サラブレッドというのは、競走の速さだけを追い求めて人為的に作り上げた動物だ。
人が両親を選んで交配させて、子を作らせる。
そして人間は恐ろしいことをするものなので、とんでもない近親交配をさせた事例なんかもある。
日本の事例では、ミラクルユートピアがある。
3歳春に帝室御賞典を勝って、ダービーに向かうも直前で怪我をして引退し、幻のダービー馬になってしまった。そして、こんな強い馬を再び作りたいと思いつめた牧場主が、種牡馬入りしたミラクルユートピアを、姉と、そして母親と交配させてしまった。
で、血統系競馬ファンの中には、ミラクルユートピアのような危険な配合の事例を探し回る人がいたりもして、そういう人に発見された、究極の近親配合の事例があった。
ニクルークベンセジュバという、ポルトガル生まれのアラブ馬。
アルファベット表記だとNychlyk-Ben-Cejubaというらしい。フランスのサイトでも見つかった。
父Cejuba-El-Beranaと、母Ben Jahdとが、全姉弟(父母ともに同じきょうだい。通常、競馬では同じ母馬から生まれた馬をきょうだいと呼ぶが、父馬が別の場合は半きょうだい)になっている。
1代前と1代前が同じ血統の馬、これ以上の濃い近親交配は論理的に不可能で(ニクルークベンセジュバにさらにCejuba-El-Beranaをつけるようなことをすればもっと濃くなるので訂正)、意図があってやるなら生産者が異常だし、事故か何かだろうか。よくわからない。
ポルトガル生まれで、どうも詳細な血統は不明だけど、純アラブ馬であるらしい。先に書いたフランスのサイトでは、もう少しだけ血統がわかる。
母Ben Jahdがアルゼンチン生まれ、父Cejuba-El-Beranaはポルトガル生まれらしく、1歳しか違わない。その母Qkehdahk Ex Hendaも、父Jaceroもアルゼンチンの馬。
となると、Qkehdahk Ex HendaがJaeceroの子を受胎した状態でアルゼンチンから輸入、持ち込み馬としてCejuba-El-Beranaが誕生。そして同じく輸入されたBen Jahdと配合、という形かな。
そして、そんな恐ろしい配合の馬を、どういうわけか日本人が輸入した。
ニクルークベンセジュバ産駒の生産者は下川原市太郎氏となっているので、この人が導入したらしい。
普通に考えてあまりにも危うい、避ける理由ならわかるけど、ことさらこの馬を選んだ理由はさっぱりわからない。
こんな血統でも、致命的な問題や繁殖力の問題はなかったようで、ちゃんと産駒を出している。netkeiba.comにあるだけで7頭。牡馬2頭は未出走で抹消されているが、まあそれくらいは普通だ。
牝馬4頭・牡馬1頭が競走名をもらっていて、しかもすべて繁殖に上がっている。
ちなみに芦毛のホモ遺伝子を持ってたようで、産駒はすべて芦毛。
子を積極的に繁殖に上げるあたり、やはり血統的に意図があったのかな。
種牡馬になったゴーマルハクバは、netkeibaに23頭の産駒が登録されている。
が、これだけ居て競走名があるのがわずか3頭、そして出走して競走成績を残しているのがガーディアンという一頭だけ。
単に血統が奇妙すぎて買い手がつかずに処分されただけなのか、あるいは何か遺伝的問題が出てしまったのか……?
80年生まれの牝馬ミスシラユリは、未出走で繁殖入り、13頭の子を出して、4勝したユノユキヒメ、3勝のユノサンディ、スノーリバーを出した。
そして、85年生まれのマルミホワイトが繁殖入りしている。
マルミホワイトから94年に生まれたハヤテヒーロー(父ホーエイヒロボーイ)という馬が、金沢・高知競馬で20勝する。アラブウィンターカップなど重賞勝ちまである、かなりの強豪馬。ただ、アラブ競馬が衰退する時代の流れに抗えず、種牡馬入りまではできなかった。
そして、84年生まれの牝馬チヤーミイー。
7頭の子がいて、出走したのが3頭。
その中で、93年に生まれたオーシャンキングという牡の子が2勝して、これがなんと種牡馬になる。
どうも馬体や毛並みの良さから宮内庁に見初められたようで、宮内庁御料牧場に入るという、なんとも数奇な運命を辿る。主に乗馬用の馬を生産していて、おそらくサラブレッドより頑健なアラブのほうがいいのかと思う。
90年代なんてもうアラブ競馬がどんどん下火になっていく頃で、オーシャンキングと同年だとダイメイゴッツほどの名馬でさえ、種牡馬になってもわずか39頭の産駒しか出せず、6年の供用の後、消息不明になった。
オーシャンキングは、宮内庁御料牧場でしっかり子孫を残しながら、2020年まで種牡馬登録されて健在。2021年の速報版種牡馬名簿には名前がないが、2020年の廃用リストにも名前がない。多分まだ死んだりはしていないと思う。
全姉弟の子という異常な血統を持ち、ポルトガルで生まれた牝馬が、なぜだか日本に買われ、遺伝的問題もなんのそので子孫を繁栄させ、名馬も輩出し、そしてアラブ競馬衰退の流れにまで抗って皇室に見初められるほどの美馬を出した。
数奇な運命を辿る競走馬は時々いるとはいえ、ここまでの馬はなかなか珍しい。
宮内庁御料牧場生まれのダイ○スカーレット
宮内庁御料牧場の生産馬を眺めてたら、面白いのがいた。
あのダイ○スカーレットが。
宮内庁御料牧場には、いつも1~2頭の種牡馬も抱えているんだけど、その中にキングエルシドという馬がいた。
大井競馬を走って14戦未勝利の馬だけど、栗毛で馬体がよかったのか、宮内庁御料牧場に引き取られて種牡馬入り。アラブ血量32.10%のアングロアラブ。
競走時代の馬主は、「トウコウ」の冠号で知られた渡辺喜八郎氏だった。息子の隆氏は、エルコンドルパサーの馬主。
で、宮内庁御料牧場で生まれた馬も、たまに競馬に出ることがある。
キングエルシド産駒も何頭か走っている。あいにくレースに勝った馬はいないけれど。
そのうちの一頭が、ダイヤスカーレット。
なお1990年生まれなので、2004年生まれのダイワスカーレットのほうが明らかに後。もしかするとやんごとなき生まれに憧れて名前を似せたのかもしれない。
ダスカと略すのであれば、やんごとなきダスカと平民のダスカとか、区別の必要があろう。
ちなみにダイヤスカーレットの母系を辿ると、netkeiba.comなどでは5代母コハイランエツチで止まっている。
しかしこれは、日本アラブ馬の大牝祖オーバーヤン五ノ七の子だ。血統的には歴史のある名家の出といっていい。さすが宮内庁御料牧場に入るだけはある。そこを見て選ばれたのかどうか知らんけど。