90年代半ばに現れ、「サンデー旋風」を引き起こしたサンデーサイレンス。
産駒はあまりにも強く、13年連続リーディングサイアーにして、通算勝利数など無数の記録を取った。
そして恐ろしいことに、サンデーサイレンス産駒が種牡馬入りしても、ディープインパクトを筆頭にまた種牡馬として活躍する。
そんなサンデーサイレンスだけあって、「ある程度母馬の方も良いサンデー産駒なら、未勝利や未出走で種牡馬入りしても引きがある」ってな状態になってしまった。
エイシンサンディなんて有名なところ。
怪我で未出走のまま引退し、母エイシンウイザードもオープン特別を含む7勝、重賞での入着や連帯、GI出走経験もある、ということで種牡馬入り。
で、地方で大活躍したミツアキサイレンスなどを出した。
他にはどんな種牡馬がいたのか、と思ってあれこれ検索して眺めてみたら、アイランドキングという種牡馬を見つけた。
アイランドキングは、4歳秋まで出走できず、未勝利戦も惨敗。
プログラムに未勝利戦がなくなった5歳、盛岡に行ってみたり、500万下を2回走ってみたりで、結局掲示板にも載らずに全敗し、引退。
母馬がアイランドゴッテス。デビュー2戦目の野菊賞というレースをレコード勝ち、クラシックは惨敗するものの、5歳になって盛り返して一気に勝ち上がり、関屋記念・京王杯オータムハンデと重賞2勝。他にオープン特別もふたつ勝った、夏のマイルではかなりの活躍を見せた馬。
父がサンデーで、母がそれだけの馬だから、種牡馬入りできたようだ。
おそらく種付け料も無料かタダ同然だと思うけど、年に数頭ペースながら、2002~09年に19頭の産駒を出した。地方で勝ち星を挙げた馬もいるらしい。
が、産駒の名前を見てると強烈なのがいる。
ユタカカネカセゲ。
どういう名前やねんな……。武豊も吉田豊も相当稼いでるやろ。
馬主は、武内豊彦氏という方。「ユタカ」を冠号にして、98年から2010年にかけて、地方競馬で馬を走らせていたようだ。馬を買うのも中小牧場の馬ばかりで、正直あまり値段も高くない馬ばかりに思われる。
2000年ごろ、新冠の佐藤静子さんの牧場で生産された、1999年生まれの馬を買った。ユタカオヤシオと名付けられたそのアングロアラブ馬は、高知競馬や福山競馬で11勝をあげ、武内氏の所有馬41頭中6番目の獲得賞金570.7万円となった。
翌2000年生まれは、ユタカオヤシオのひとつ下の弟を買ってユタカマックスと名付けるも、これは勝てずに終わって賞金も稼げなかった。
2001年生まれの世代は、佐藤静子牧場から直接買い付けた。ドリカムハンターと名付けられ、またも福山で12勝、キングカップという重賞の3着にも入った。賞金876.7万円は、武内氏の所有馬で2番め。
相性の良い牧場と出会った武内氏。
2002年生まれは、佐藤静子さんから2頭買付けて、一頭はユタカマルゼン、もう一頭にはユタカカチタインヤと心の声が響くような名前をつけた。福山で3勝。しかし最後のレースが競走中止なのは、事故で予後不良になってしまったのかもしれない。
この二頭は、コウザンハヤヒデというアラブ末期の名馬の産駒。1995年に中央競馬でアラブ競走が廃止され、一気にアラブの生産が激減していく時代に、荒尾競馬で無敵の12連勝。当時のアラブの頂点を極めるレースだった園田の全日本アラブ優駿も勝利した。
でもアラブが求められない時代に、それだけの名馬でさえわずか5年、41頭の産駒しか出せなかった。その中の2頭が、マルゼンとカチタインヤだった。
カチタインヤ、と叫んでみるものの、まあ、福山競馬でならある程度勝つことはできている。
ただ、福山の賞金水準なんて、勝って10万20万の世界。福山の賞金水準では、とにかくたくさん走って出走奨励金と僅かな賞金を持って帰ってもらう、というのが精一杯だろう。多少勝ったところで、という話だ。
さらにいえば、武内氏はこれまで基本的に頑健で繰り返しレースを走れるアングロアラブを買って走らせていた。
しかし、95年にJRAがアラブ競走廃止、それで生産地ではアラブ生産が減り、地方競馬も続々とアラブ重賞を、そしてレースを廃止していく。
最後に残ったのは福山競馬かと思うけど、それも2009年まで。
もう、アングロアラブには、走る場所がなくなっていくのが明白だった。
そして2004年、信頼の佐藤静子牧場から、武内氏はサラブレッドを購入。
それがユタカカネカセゲだった。
「カチタインヤ」の叫びの後、「カネカセゲ」といううめき声になるのだけど、実はこの後数年で、武内氏は馬主を辞めることになるようだ。
ユタカカネカセゲ、血統を見るとなかなかおもしろくはある。
父がアイランドキングなのも、安い種付け料の中でも一発があるかもしれない、という期待を感じる。
母の父サクライットーというのは、名前でピンとくる人は古い競馬ファンだと思うけど、これはハギノトップレディの全弟。父サンシー・母イットー。未出走だけど華麗なる一族の良血を買われて種牡馬入り。それなりの成功も収めていて、宇都宮競馬のとちぎダービー勝ち馬ハシモトキングを出している。
サンデーの息子に、ハギノトップレディの姪を配合した、と読んでみれば、もしかして何か、と思えなくもない。佐藤静子さん、ニクい配合をしてくれるぜ。
そしてユタカカネカセゲは名前通り、2006年に、200万円の賞金を出してくれる園田競馬のファーストトライ競走に挑戦。そして9頭立て5着に玉砕。
もう2戦して惨敗し、2007年に慣れ親しんだ福山に戻ってきた。
福山競馬ではまずまずのレベルだったようで、2着・3着のあと3連勝。
その後半年ほど勝てない時期が来るが、11月にまた調子を戻し、1-2-1-2-2と冬場に好走。しかし年が明けて2月には出走取消して、次は敗退。
それで引退したようだ。
カネカセゲ、という叫びは、結実しなかった。
その後武内氏は、2007年生まれのユタカムサシ・ユタカヤスベエという二頭のサラブレッドを最後に、馬主としてはnetkeiba.comから見当たらなくなる。
やはり馬主としての赤字が苦しくなって、カネカセゲという悲痛な叫びが叶わなかった後、馬主業から徹底していったのだろうか……。
ところが。
netkeiba.comで、馬主・武内豊彦氏の近走成績のページを開くと、ムサシ・ヤスベエの後にユタカサウスとイカンセンという2頭を走らせている。
所有馬一覧にその2頭は出てこない。
なんのこっちゃと思ったのだけど、イカンセンは中央競馬でデビューして、そのときは浅見巌氏が馬主となっている。旭川に移ると、馬主は清川孝徳氏になる。笠松に移ったら、柴田光男氏に変わった。
そして福山に流れ着いて、武内豊彦氏が馬主になった。
これはおそらく、地方競馬を移籍するとき、その競馬場での馬主資格を持っている人に譲渡されているんじゃなかろうか。馬主資格はそれぞれ違うはずだから。
そして最後のレース、2010年9月20日の彼岸花特別に出た時、馬主が(有)ビクトリーに変わる。
所有馬を見てみると、これも「ユタカ」を冠号にしている馬が多数いる。
おそらく武内豊彦氏の関係会社で、個人名義と会社名義を何らかの事情で使い分けていたのを、2010年9月中頃に会社名義に統一した、それで個人名義としての馬主が消えた、ということかと思う。
(有)ビクトリーは、最後に2008年生まれの馬を3頭入手し、福山競馬を走らせ、ビクトリーロマンとビクトリジュウベエを2013年の福山競馬廃止まで走らせたようだ。
これなら会社が傾いて撤退じゃないのは明らかで、武内豊彦氏がお金に困っていたわけでもなさそう。
どうやら、「カネカセゲ」という名前は、別に破産寸前なほどお金に困ってるとかそういうわけじゃなかったらしい。単にカネを稼いでほしかっただけ。よかった。借金苦の馬主はいなかったんだ。
(有)ビクトリー名義で面白い馬名は、と。
ユタカエフジューゴ。ダサい……。というかユタカイーグルって馬はいないみたいだから、それでよかったのでは?
ユタカノ○○シリーズが、ユタカノエガオ、ユタカノコイビト(誰や)、ユタカノテンカ(福山で58戦もして6勝)、ユタカノデバン(51戦も出番はあった。7勝)、ユタカノホシ(ゴルゴル星みたいなもの?)、ユタカノホホエミ。
ユタカヒトミチャンは、ユタカノコイビトの姉なんだけど、ヒトミチャンってどこから出てきたのかは血統表からはまったくわからなかった。
ユタカフクキタルはいるけど、ユタカワラウカドはいない。ユタカフクワウチがいる。
しかしユタカカチタインヤ・ユタカカネカセゲほど強烈な叫びは感じられない。
やはり会社名義では、人間の魂の叫びなどは表に現れてこないのだろうか……。