レオダーバンに始まり、ナリタブライアン・ビワハヤヒデ兄弟、自身が最優秀三歳牝馬にして2頭のGI馬と4頭の重賞馬の母になったビワハイジ、さらにマーベラスサンデーやシルクジャスティスといったグランプリホースなど、多くの名馬を生産した早田牧場。
90年代には社台に続く大牧場と知られていたのだけど、2002年に破産。さらに早田光一郎氏も種牡馬シンジケートの資金を横領したことが発覚、懲役5年の服役に。
なんでも、快進撃と思われていた90年代からすでに自転車操業状態で、それをどうにかしようと、かなり無茶な手で金を集めていたりもしたとの話もある。
まー、過剰投資が原因だとはいわれている。
もともと、早田光一郎氏が2500万円預かってカナダでモミジという馬を買って競馬に出したら12勝の活躍、そして86年のクイーンステークスを勝つロイヤルシルキーを産み、さらに別の子モミジダンサーがマーベラスサンデーを産んだ。
もちろんパシフィカスも光一郎氏が見初めて買ってきたというから、馬を見る目はあったらしい。ビワハイジも持ち込み馬だから、母アグサンを見込んで買ったんだろうし、成功例を見るとすごいのを見抜いているのも確かだ。
なので、かなりの勢いで馬を買っては輸入してたそう。それで百発百中で当てているなら経営傾きはしないだろうけど、まあ、現実にはそれは無理だったと。
でもって、早田牧場は生産や輸入のセンスは良くても、仔馬のうちの育成がダメといわれてたところに、笠松競馬の調教師だった宮下了氏を迎えて環境刷新、そこから飛び出したのがビワハヤヒデ・ナリタブライアン・マーベラスクラウンという超大物。
ならば育成にドカンと投資しようと、99年に完成する育成施設天栄ホースパークに突っ込んだマニーが20数億。2002年の倒産時、負債総額58億円だったから、うーん。
ナリタブライアンが、種牡馬入りしてわずか2シーズンで早逝したのも、あまりにも痛かったと思う。まあ20億のシンジケートを組んで種牡馬入りしたときに、相応の保険金も掛けてたと思うんだけど、しかし満額補えたとも限らないし……。
その前に輸入して成功していたリヴリアもたった5世代しか残さずに11歳で死んでしまったし。
また、攻めの牧場経営をするなら、種牡馬の繋養も欠かせない。
大物種牡馬を所有できれば、種付け料で億単位の収入が何年も続く。
だからこそ、種牡馬を買うとなると、大金を積むことになる。
実際、ブライアンズタイムなんて超大物を当てたんだから、この収入は相当なものだったろうと思う。
種牡馬に恵まれなかった西山牧場が衰退してしまったけれど、ブライアンズタイムを当てた早田牧場・CBスタッドが苦しむとはどういうことか。
過剰投資もあるだろうけど、果たしてCBスタッドの他の種牡馬はどうだったんだろうか。もしかして、ブライアンズタイム以外はハズレだらけだったなんてことはなかろうか。
繋養種牡馬はどんなのだったかな、と検索してみると、こちらの記事(馬鹿に馬晴雨も馬耳東風より)に96年末当時に調査されたリストがあった。
ちょっと隙間ができるけど、2000年以降はJBISサーチで供用種牡馬の繋養先がわかる。
96年のリストになくて2000年にいるのが、エムアイブラン、サニーブライアン、ビワタケヒデ、ブラッシングジョン、マーベラスサンデー、ワイルドブラスター。2001年からシルクジャスティス。
隙間の3年にナリタブライアンがいる。
96年にいなくて2000年にいる輸入種牡馬がブラッシングジョンだけなのが気になるところ。イケイケの経営を続けられていたら、外国産種牡馬が強かった90年代後半に新種牡馬を導入しないとは考えにくいように思う。
94年のGATTウルグアイ・ラウンドで馬の輸入関税が下がったりもして、リーディング上位は輸入種牡馬が席巻するようになるのが90年代後半。
そんな時代なら光一郎氏が札束握ってアイルランドあたりに飛んでる気がするけど、そうでもないらしい。多分早田牧場の経営危機も明らかになっていく時期で、ちょっと無理だったのかな。
90年代後半の早田牧場の様子をうかがうべく、CBスタッドの繋養種牡馬を見てみれば、なにか感じるところがあるかもしれない。
なおブライアンズタイムの前の成功種牡馬リヴリアは、93年9月に死んでいる。ナリタタイシンの皐月賞の半年後に早逝というのは不運そのものだった。
*アウザール
エプソムダービーを10馬身差の史上最大着差で圧勝しながら、種牡馬入り後1年で誘拐されて行方不明になったシャーガーの子。
アイルランドセントレジャー、オーストラリアのクイーンエリザベスS・アンダーウッドSとGIを3勝し、シャーガーのたった28頭の産駒では唯一のGI競走勝ち馬。
アイルランドで種牡馬入りするも、1989年シーズンだけ供用されて、早田氏に買われて日本のCBスタッドに入った。
なんというか、ディープインパクトが三冠取ってすぐ引退して種牡馬入り、でも1年で営利誘拐で殺されてしまい、残された僅かな産駒の中で唯一のGI馬だったリアルインパクトを、海外から買いたいと言われた……みたいなことがあったとして、そんなん吹っ掛けるに決まってると思うんだけども、早田氏はいったいいくら積んだんだろうか。
当時の日本は競馬界でのポジションが低いパートII国だったし、そこにシャーガーの血が消えると思われる。まあシャーガーの子でなければ超一流馬ってわけではない普通の一流馬、とも見えるけれど、実際どうだったんだろう。
で、産駒はというと、中スポ賞四歳Sのイブキラジョウモン、京都四歳特別と若草Sを2着したバンブーフェリーニくらい。
仮に普通のアイルランドクラシックホースの価格で買われていたとしても、これじゃ失敗だろうと思う。
種付け頭数は60頭くらい確保できていたものの、6年目に半減して7年目以降は一桁。やはり産駒が走らなかった、という判断と思われる。
*アジュディケーティング
87年生まれで、アメリカで2歳GIを2勝。引退してCBスタッドへ。
91年から供用開始で、なにぶんダートに偏ってはいるものの、地方、特に南関東で産駒が大活躍した。
サイアーランキングも中央だと27位が最高になるけど、地方だと2001~2008年の8年連続1位。代表産駒のアジュディミツオーが後継種牡馬になった。中央の芝でもミデオンビットが七夕賞を勝った。
種付け頭数も安定して多く、98年からは140頭くらいつけていて数ならブライアンズタイム以上だった。
まあアメリカのGI馬だから安くはなかろうけど、結果も良いし活躍期間も十分長かったので、これは成功した輸入種牡馬といえると思う。
アンシストリー
86年生まれで、89年の弥生賞3着から皐月賞3着。その後はバレンタインステークスを勝った。競走成績で見ると種牡馬入りするほどには見えないけれど、底は見せてない感じはあり、マルゼンスキー産駒なのを見込んで、ってところだろうか。
早田牧場とおなじ日高の、川上景吉氏という牧場主の生産。名義はそうだけど息子の悦夫氏が牧場を引き継いでいたとのこと。
悦男氏は後にナリタタイシンやマヤノトップガンを生産して、牧場を成功させていくんだけど、この頃はまだなかなか芽が出てなかったらしい。
それで当時とすれば成績も血統もいいアンシストリーを種牡馬入りさせてCBスタッドに入れた……というようなことなのかな。半ば功労馬かもしれない。
産駒も少なかったけれど、一応1600万条件を勝ったセザンファイターがいる。
内国産だし、CBスタッドや早田牧場の経営を左右するような種牡馬ではなさそう。
*イルドブルボン
75年生まれで、78年のキングジョージと79年のコロネーションカップを勝って、全欧三歳牡馬チャンピオンと翌年の最優秀古馬牡馬になった。
きょうだいや近親にも英仏の重賞馬がいる良血で、父は天下のNijinsky。
そして種牡馬としても英国で6年、ヨーロッパのGIを勝つ馬を次々と生み出している大成功を収めている真っ最中。
で、1987年にCBスタッド入り。
いやいくら積んだんだ。バブル期の日本人怖いな。
しかしこれは後知恵だと重々承知なんだけれど、マルゼンスキーの激烈な強さと種牡馬としての成功を見て「Nijinsky系は日本に合う」と、90年代当時には思われていた。
しかも90年代に入ってCarleonの産駒が輸入されて大活躍するから、なおさら確信は固くなったと思う。
ただその、「合うに違いない」と思って大金積んででも購入して、実際日本で種牡馬させてみたら、なんかこう……という感じで終わった例も多かった。イルドブルボンはそのかなり大きな事例で、Nijinsky直子の最後の超大物・ラムタラがやっちゃったみたいな感じというか……。
あとから振り返ると、やっぱりNijinskyはちょっと重い、欧州競馬向きの馬だったんじゃないの、と今は言われてしまっている。マルゼンさんとCarleonが例外だった。
まあ、晩年まで安定して60頭ほど種付けを続けていたので、種付け料をしっかり取れていれば商売的には大丈夫そうではある。
中央重賞馬は、メモリージャスパーとシルクグレイッシュを出してはいる。
地力はあったけれど、やっぱ日本に合う種牡馬ではなかった感じがある。種牡馬としての成績もラムタラに似てる感じがあるな。どっちも平地は良くてもG3くらいで、障害重賞馬も出してるの。
イイデタイショウ
Lyphardの子を受胎した母スイートリベンジを輸入して、90年に持ち込みで生まれた競走馬。母はアメリカでG2を勝っていて、近親にもフランスの重賞馬がいるそう。
最初から種牡馬にするつもりだった馬かな。
オープン入りはして仁川ステークスを勝っているんだけど、あいにく芝があんまりで勝鞍はすべてダートだった。
「Lyphardの子の良血馬で、競走馬としてはもうひとつだったけど、種牡馬として日本で大成功」の例としてモガミがあるから、狙いとしては似た感じだろうか。時期が14年ずれてるんだけど。
人気はなく、レースを走るに至った産駒がイイデタイヨウという馬一頭だけみたい。上山競馬で一勝した。
前に調べた西山牧場も、89年に肌馬を輸入して血統の刷新を図っていたけど、同じことを同じ時期にやったのが、早田のイイデタイショウ、西山のセントビートルか。
*ヴィジョン
1981年生まれで、アメリカでセクレタリアトステークスを勝った。
そしてそれ以上に、Carleonの全弟。
名種牡馬だった兄ほどじゃないけれど、引退後はアイルランド供用で種牡馬入りして、重賞馬も後継種牡馬も出す程度には結果を出していた。
大種牡馬の兄弟が代用種牡馬として注目されるのはままある話で、ディープインパクトの兄ブラックタイドみたいにかなりの成功を収める例もある。
輸入されたのは95年のようで、種牡馬は85年からやってるから10年過ぎて、おそらくもう「種牡馬としては兄に大きく劣る」と判断された馬かと思う。
それで「重い欧州より軽い日本なら」という線に賭けてみたならわからなくもない。
その結果、トシザブイという目黒記念の勝ち馬が出たけど、他は全くダメというくらいで終わってしまった。
種付け数も初年度38頭で翌年からすぐ減りはじめて4年目に1桁。
大金を損したわけじゃなさそうだけど、それなりの金額は払ってるだろうし、もう少し結果ががほしかったか。
*カンパラ
トニービンの父。血統表見るとなぜかカタカナで書かれていて「輸入されたの?」と思うけど輸入していた。
まあ93年に輸入した時点で17歳の高齢。95~99年生まれまで産駒がある。
輸入直後の94年には108頭、翌年62頭でその次は21頭、まあ初年度で利益は確保できてそうに見える。
年齢的にも無茶な値段で買わされたとは思えないし、特に日本で良く走った産駒もないけれど、早田牧場を傾けたなんてこともなかろうと思う。
エムアイブラン
92年に早田牧場で生まれて、長くダート路線で活躍し続けた馬だった。平安ステークスや武蔵野ステークスなどを勝っていて、ダートのグレードが整備されてた時代ならもうちょっと格上扱いされたかな。
近親にテイエムプリキュアやテイエムハリアーもいる。
99年に引退して種牡馬入り。
ブライアンズタイム産駒というのもあってか、種付け頭数も3~40頭あり、多くはないけど69頭の産駒を出した。活躍馬というほどの子はないけれど、功労馬的な種牡馬入りかと思ったらまずまずやれていたようだ。
3年目でCBスタッドが破綻、その後はほぼ引退状態に。
サニーブライアン
94年生まれ。
シルクレーシングは早田牧場の上客だったらしいけど、シルクライトニングを制して皐月賞で穴を開け、シルクジャスティスを制してダービーでも穴を開けた、誰もが驚いた二冠馬サニブー。これはもうフロックでもなんでもない!
ダービー後に骨折と屈腱炎で早々と引退して種牡馬入り。
父はブライアンズタイム、母方の近親にサニースワローもいる良血でもあり、CBスタッドに入った。(なぜかうぃきぺでアロースタッド入りとあるけど、多分CBスタッド破綻後に移動したものと思われる)
すごい大物が出たわけじゃないけど、勝ち上がり率が見事で、特に地方だと4頭に3頭は勝つくらい。重賞馬も愛知杯のカゼニフカレテ、中日新聞杯のグランリーオを出している。
頭数も2年目まで100頭以上、3・4年目に落としたものの、5年目にまた100頭を超えている。活躍種牡馬といってよさそう。
なんか独特の愛嬌がある、二冠馬なのにやっぱり強豪とは思えないサニブーだったけれど、種牡馬としてもさり気なく意外と頑張っていて、末期の早田牧場・CBスタッドを、力の及ぶ範囲で支えていた。
*サンシャインフォーエヴァー
1985年生まれ、88年にアメリカの芝路線でマンノウォーステークス、ターフクラシック招待、バドワイザーインターナショナルとGIを3勝。最優秀芝牡馬にもなった。
有名エピソードに、早田光一郎氏がサンシャインフォーエヴァーを買おうと持ちかけたら「10億円」とふっかけられた。流石にそれは無理。
しかしふと見ると、ほとんどおなじ血統構成で、勝ったのはフロリダダービー程度(フォーティナイナーを負かしてはいる)のブライアンズタイムがいて、じゃあこっち、と買ってきたらああなった。
アメリカで種牡馬を始めたサンシャインフォーエヴァーは、全然期待ほどの子は出さず。
代わりに買われたブライアンズタイムがすでにナリタブライアンやチョウカイキャロルで大成功を収めている1996年、再び打診してきた早田光一郎氏に買われてCBスタッドに移った。
なんかこう……ふっかけられた時の意趣返しにいってない?
明らかに結果が出てるから安く買い叩いていると思うし、そのためにわざわざ買いに行った気もするんだけど、逆にブライアンズタイムの代用になると思われたか、初年度105頭・2年目112頭・3年目87頭。
まあ、日本に来てからはやはり活躍馬は出なかったけれど。
早田牧場の肌馬とも結構よく付けていて、成果は出てないとはいえ邪険に扱ってたわけでもない感じ。
意外と損はしてない種牡馬かもしれない。
*シエラスター
86年に英国で生まれ、7戦1勝らしいけどその1勝がイタリアセントレジャーだという。どういう使い方……? ロイスアンドロイスみたいな馬が本番勝っちゃった感じだろうか?
父はちょっと古いけど大種牡馬Mill Reef、母方近親にも重賞馬が多数いて、なかなか血統は良い感じらしい。
91年にはもう日本に入ってたみたいで、92年から産駒が出ている。種付け数は初年度51頭、2年目39頭、3年目20頭で4年目にもう一桁。種付け数の割に受胎率がちょい低めにも見える。
産駒成績はまあ、鳴かず飛ばずといっていいかな……。
ミルリーフ系が成功してたから、という以外にはこの馬に目をつけた理由も見えず、成績も歴史にまるで残らず、ただ単に失敗に終わってしまったんだな、くらいしかわからない。
まあイタリアでこの程度の成績で終わった馬が高額とも思えないし、大失敗とかでもないと思うけれど。
*スターリフト
1984年英国生まれ。仏GIロイヤルオーク賞を勝って、重賞4勝の強豪。
父はこれもMill Reef。半兄には凱旋門賞馬Sagaceがいて、いとこにアイリッシュダービー馬ザグレブがいる。
日本で91年から種牡馬入りして、最終世代は98年生まれで、2000年死去。
ミルリーフ系種牡馬も、マグニテュードやミルジョージが大成功していたとはいえ、スターリフトの10歳も上だ。
80年代後半にイナリワンやオサイチジョージなどの活躍を見て「ミルリーフ系いける!」と思って90年ごろに輸入された種牡馬がけっこういるんだけど、90年代日本のスピード競馬の流れに全然乗れずに全滅した。
多分これは安くない買い物だったと思うけど、種牡馬としての成績はまったく残せなかった。90年代なかばに競馬見てた私でも、全く記憶がないレベル。
初年度こそ67頭つけたけど、翌年から毎年半減という調子で復活することもなく。
*ステートリードン
84年アメリカ生まれ、セクレタリアトステークスとハリウッドダービーを勝った。
父はNureyev、半兄にアメリカ殿堂馬マニラ、おじにターゴワイス(日本で種牡馬として活躍、天皇賞馬レッツゴーターキンなどを出した)がいる。
89年から92年までアメリカで種牡馬やってたようで、その頃の産駒にイタリアGIIリボー賞のPater Nosterがいる。93年から日本へ。
良血の強豪馬で、これも安いわけがない種牡馬。
しかしこれが空振りで、地方で重賞を複数勝ったカミスドリームが唯一の活躍馬か。中央では1998年のリーディング122位が精一杯。
4年目まで4~50頭つけていたけど、産駒が走らないからという感じで5年目から激減した。
マニラも種牡馬としては冴えなかったから、どうも兄弟揃って競走族だったみたい。
ただ、テイエムプリキュアの母の父だったりして、ブルードメアサイアーとしては意外になかなかだったりも。
*ダハール
81年生まれ、アメリカでサンルイレイS・センチュリーハンデ(芝)とサンファンカピストラーノハンデ(ダート)、フランスでリュパン賞(芝)を勝った。
父はLyphard、母は名牝Dahlia。だから弟がリヴリア。
他の兄弟もDelecant、Dahlia's Dreamerの2頭がGI馬、ディカードレムも日本に輸入されて種牡馬になって中央重賞馬を出した。
87年に種牡馬入りして、オーストラリアでGIを取る馬を多数出しているから、あちらでの繋養か、あるいはシャトル種牡馬だったのかな。
そしてリヴリアが死んでしまって、その代わりとしてCBスタッドに買われてきて95年から産駒がデビュー。
しかし高齢になってからの輸入というのもあってか、活躍産駒は出なかった。
それでもリヴリアの再来を期待されたのか初年度118頭。翌年から半減するけど単純に年齢かなあ。年齢的にそこまで高い買い物じゃなかったかもしれないけど、それなら初年度にたくさん付けて稼いだらペイしたかもしれない。
ナリタタイシン
ご存知皐月賞を勝った、1990年生まれの3強BNWの一角。
父はCBスタッドの星リヴリア。姉にも阪神牝馬特別を勝ったユーセイフェアリーがいて、これも小さい体で長く走って、2016年まで生きたから29歳の長寿。ナリタタイシンも2020年まで生きたから、結構サラブレッドの長寿って遺伝する印象がある。
種牡馬としては97年から産駒がデビューするけれど、やはりちょっと体格が小さすぎる種牡馬は嫌われたかな。あんまり相手の肌馬も良くは見えなかったな。
種付け数は40頭台、5年目で急減して6年目が最後で隠居。
産駒成績は、一応地方重賞馬が一頭だけいる。中央だと500万下を勝てたらいいところで終わった。
まあ、ブライアンズタイムの収益でも足らんような経営してた早田牧場を救えるような内国差種牡馬なんて、あの頃には誰もいなかった。タイシンにそんなこと背負わせるものではなかった。
ちょうど2002年生まれが最終世代の産駒みたいなので、多分CBスタッド破綻のあとはそのまま種牡馬も引退して、ゆったり余生を過ごしたんだと思う。
バンブービギン
1986年生まれ。2歳で未勝利戦も勝ち上がれず、3歳春にやっと上がったと思ったら夏競馬を連勝。神戸新聞杯2着、京都新聞杯を勝って、そのまま菊花賞まで勝って、最優秀父内国産馬になった。
その後骨折と屈腱炎で、復帰できずに引退。
父はダービーを勝って、そして神戸新聞杯で骨折して菊花賞を前に無念の引退になったバンブーアトラスで、息子が無念は晴らした。他にも多くの中央重賞馬を出した、内国産としてはなかなかの活躍をした種牡馬だった。
母方近親には特にこれといった活躍馬はない。母の父はノーザンテースト。
93年から産駒が出始めるけれど、重賞馬は金沢競馬で活躍したリードジャイアンツくらい。中央重賞馬はなし。やはりこの時代の内国産種牡馬は厳しい。
30頭程度の種付けで、5年目に半減。7年目からは数頭と、CBスタッド破綻少し前から引退に近い種付け数になり、破綻のタイミングでバンブー牧場に帰ったのかと思われる。もうちょっとだけ種牡馬を続けて隠居して、2012年まで生きた。
ビワタケヒデ
ビワハヤヒデの弟、ナリタブライアンの全弟。
スペシャルウィークと同期で、クラシックには参加できず、夏にラジオたんぱ賞を勝った。
脚部不安で引退して1999年から種牡馬になり、2000年から産駒が出るけど2005年がラストクロップ。
なおビワハヤヒデはオーナーの意向であまり無理をさせないことになり、個人牧場で余生を過ごしていた。それでも70頭も相手が集まった年はあるものの、2002年生まれを最後に産駒はなく、ゆったりと30歳、2020年まで生きた。BNWはみな長生き。
ナリタブライアンは98年に早逝したから、兄二人のかわりにビワタケヒデが種牡馬として跡継ぎに押し出された感じ。
初年度は67頭、2年目以降は30頭前後で推移。4年目にCBスタッドが破綻。5年目も移転先で少し仕事したけど、6年目が最後。
特に実績がなかった兄たちの代用という微妙なポジションながら、実は意外と頑張る馬も出していて、ナムラカイソクなんて1億稼いで金沢のスプリングカップも勝った。
まあ、早田牧場を救うにはタイミングが遅かったな。そろそろフジキセキから内国産種牡馬復活への流れは始まりつつあったんだけども。
*ブライアンズタイム
トニービンが2000年、サンデーサイレンスが2002年に早くも死んでしまったから、生き残ったブライアンズタイムの天下が来るのかと思ったら、早田牧場が先に倒れてしまった。
1990年から供用されていて、当初は60頭ほどの種付け数だったところ、94年に80頭、97年に110頭、99年に130頭、2002年に153頭とどんどん増えていった。
種付け料もそりゃ相応の高額だったはずで、とにかく稼いでもらわないとどうしようもないという早田牧場の苦しみが見えちゃうな。
*ブラッシングジョン
1985年アメリカ生まれ。アメリカのダートではハリウッドゴールドカップを、フランスの芝でも2000ギニーを勝つ両用で、89年のアメリカ最優秀古馬。
アメリカで90年から種牡馬入りして、ケンタッキーオークス馬Blushing K.D.など複数の重賞馬を出し、98年から日本に来た。
父はBlushing Groomで、2000年前後くらいにはかなりホットだった。日本でもアブクマポーロやマチカネフクキタル、サクラローレルなど活躍馬がいた。
Northern Dancer系からHail to Reason系に流行りが移って、それと違うところでBlushing Groom系に目をつけるのはいい線だろうとは思うんだけど、うーん。
弟が日本に輸入されたのが京成杯3歳ステークス3着のインディードスルーだとか、甥にはエイシンワシントンがいるとか、日本的にダメって感じもしない。
年はけっこういってたとはいえ、多分これは安い買い物ではなさそうかな。
おそらく期待も大きく、初年度に94頭もつけている。
しかし2年目からダダ下がりで2002年には10頭。レースに出る前から仔馬があまり良くは見られなかったっぽい。
初年度産駒がレースに出てみればやっぱりいまいちで、結局地方重賞馬が3頭出ただけに終わってしまった。
これは厳しい結果になってしまった。
西山牧場が導入したマラキムと似た感じがあるなあ。
しかしBlushing Groom系が、Nashwanからバゴを経てまた日本で活躍しだしてるんだから、なかなか血統はわからない。
プレジデントシチー
83年生まれ、父ダイコーター・母ニシノアイゲツ・母の父マタドアというザ・西山牧場という血統だけど、なぜだかCBスタッドにいたらしい。
本人が92年夏まで走っていたから93年から種牡馬入り。2世代・3頭の産駒を出した。もちろん活躍はしていない。
*ポリッシュネイビー
1984年にアメリカで生まれ、マイルくらいのGIを3勝した快速馬だった。
88年から種牡馬になり、ケンタッキーダービー馬Sea Hero、セクレタリアトSのGhazi、その他重賞馬を複数出していた。
93年に早田牧場に買われて来日。
Danzigの子で、2年前に導入していたアジュディケーティングと被る感じもあるけれど、あちらはダート種牡馬になった。
こちらは父の快速を受け継いで、3歳重賞ふたつをすぱっと取って、それから意外にも障害入りして中山大障害まで勝ってみせたゴッドスピードなど、芝で走る子が出た。ダートも地方重賞馬は多数出ている。
ただ、走る馬は走ったけど平均点があんまりだったみたい。導入後にAEIが1を超えたこともない。
種付け頭数は安定して60頭ほど確保していたし、輸入価格が安かったなら大損ではなかったかもだけど、競走成績がよくて、種牡馬としてある程度実績を出したところで買うという、なんか高くつきそうなタイミングで買うのは光一郎氏のやり方なのかなあ。
結局98年にオーストラリアに再輸出されている。
*ミオロベルティーノ
1989年アメリカ生まれ。アメリカでG2を勝った。
父はRobertoで、弟にもG2馬がいて、おじに米ホープフルステークスのBanquet Table、米GIを3勝したState Dinnerがいる。
94年に種牡馬入り。
リアルシャダイ・ブライアンズタイムに続くRoberto系の成功種牡馬になれればよかったんだけど、種付け数自体も初年度26頭と注目もされないで、そして競走に出てもぜんぜん走らなかった。
高い買い物ではなさそうだけど、それにしても結果がさっぱりすぎる。
早田牧場には大怪我ではなかろうけど、着実に余命を削ったと思う。
*ミルフォード
1976年生まれで、エリザベス女王の所有馬だった。
GIは勝ってないけど重賞3勝。
父は70年代の名種牡馬Mill Reef。姪にウインドインハーヘア、甥にNashwanなど母系もかなりの大物揃い。
ただ、1980年に種牡馬入りしているけどイタリアのG3を勝つ程度の産駒しかでてなかったようで、日本に1987年に買われてきている。
日本では80年代のミルジョージ・マグニテュードの成功を見ているタイミングだったから、種付け数も初年度140頭とかなり多くなったけど、どんどん減って7年目で5頭になった。
結果は桜花賞3着のラックムゲンとか、地方重賞馬が精一杯だった。
本国で種牡馬としてはあんまり、とわかってから日本に買われた馬っぽいので、そこまで高額だったわけじゃなさそうではあるけれど。
ミルフォードの導入当初の人気ぶりで、続けてシエラスターとスターリフトも輸入して失敗してしまった……という流れかな。
マーベラスサンデー
かつて早田牧場新冠支場を起こすきっかけとなったモミジの孫。ブライアンズタイムじゃなくてライバル社台のサンデーサイレンスの子ではあるけれど。
92年に生まれ、GIこそ宝塚記念だけとはいえ重賞6勝、有馬記念2着2回。
98年に種牡馬入りして、99年から産駒が出る。
平地GI馬は出せなかったけれど、かなり障害に強かった。キングジョイとかマーベラスカイザーとか。
賞金的にはシルクフェイマスがトップで、種牡馬入りもしている。
種付け頭数は、CBスタッドでは毎年100頭。破綻・移転直後の2003年は減らしたけど、移転先優駿スタリオンステーションで166頭に増やした。人気種牡馬といっていいだろう。
これでも早田牧場を立て直すには足りなかったんだから、やっぱりもう90年代後半には無理になってたんだろうなあ。
*モガンボ
1983年アメリカ生まれ。父はMr.Prospector。母も米3歳チャンピオン。
米2歳GIのシャンペンステークスを9 3/4馬身差をつけて勝っている。
87年には種牡馬入りしていて、米GIメイトロンステークスを勝っているAnh Duongを出している。92年にCBスタッドへ。
日本ではコンスタントに60頭くらいつける中堅種牡馬という感じだけど、中央重賞馬は障害で京都ジャンプSを取ったメイショウワカシオくらい。地方重賞馬は時々出ていた。
ダートいけるのか、地方での勝ち上がり率が70%強くらいあったから、大損はしない感じの種牡馬だったのかな。
パっとしてないといえばそうだけど、安定して60頭つけ続けてたら十分仕事はしてる感じもある。損をしたか利益をあげたかは、購入価格次第かなあ。
しかし99年に急に種付け数が減り、さらにその後は受胎率が下がってしまって、2002年のCBスタッド破綻でさらに減り、2004年世代を最後に種牡馬引退。
レオダーバン
88年生まれのトウカイテイオーの同期。
皐月賞は出られず、青葉賞を鮮烈に差し切ったことからダービーでテイオーのライバルに躍り出て、でも青葉賞勝ってダービー勝てる馬はいないジンクスに負けて2着。
テイオー不在の秋だったけど、菊花賞はレオダーバンが制した。
93年に引退してCBスタッドへ。
種牡馬としての人気は、マルゼンスキーの子というのもあってかそこそこで、50頭くらいをコンスタントにつけて5年。98年から急に一桁に減るけど、これは子が走ってないから見切りをつけられちゃったか。
産駒は地方重賞馬が3頭いる程度。
ワイルドブラスター
92年に生まれた持ち込み馬で、父はWild Again。同年生まれの同父にナリタキングオーがいる。Nearctic系だけどNorthern DancerじゃなくてIcecapadeの子。
後にWild Againの子ワイルドラッシュが輸入されて、トランセンドを生むことになる。
本人は中央のダート重賞を3つ取った。そこそこの活躍と、あまり配合相手に困らない非主流血統で種牡馬になれた感じかな。
99年に種牡馬入りして、2001年までに産駒は22頭。
まあ不人気種牡馬ではあったし、活躍馬は出ず。
まとめ
早田光一郎氏の種牡馬の買い方が、なんか「期待する理由がわかる」って感じのが多くて、そうなると高値をふっかけられてそうに見える種牡馬もけっこう見られた。実際どうかはわからないけれど。
ただまあ、周囲の牧場の生産者から見ても「これなら期待できる」と理解してもらえないと使われないわけだから、それは正しいのかもしれない。
初年度から見向きもされなかった輸入種牡馬、というのは、ミオロベルティーノくらいだった。
そして抜群に当たったのは、サンシャインフォーエヴァーの代わりだったブライアンズタイムなんだから、やはり難しい。
超一流種牡馬のブライアンズタイム、活躍種牡馬のアジュディケーティングがいて、中堅どころとか、輸入直後には大人気を集めた有名種牡馬とか、それなりのものは持ってきている感じ。
内国産で種牡馬としても良かったマーベラスサンデー、サニーブライアンがいたのも大きい。
まあ比べて悪いけど西山牧場ほど失敗が続いてしまったわけではなくも見えた。
やはり破綻したのは、別のところで攻めすぎたのが大きかったのかな。
96年以前に導入されていた種牡馬については、検索していて見かけた早田光一郎氏について書かれたblog記事で、いくつか見られた。
- ダンサーズイメージ(米GIケンタッキーダービー1位入線)
- ヴァイスリーガル(カナダ年度代表馬・リーディングサイアー3回)
- サティンゴ(仏GIグランクリテリウム)
- ホットスパーク(英GIフライングチルダースS)
- ハバット(英GIミドルパークS)
- マナード(仏グランクリテリウム他GI2勝)
- カーホワイト(仏GIイスパーン賞)
といったところがあったそう。
まあ上の記事では手厳しいし、競走成績ほどの種牡馬成績ではない感じはあるけど、ダンサーズイメージは83年の2歳リーディングになって、ヴァイスリーガルはゴールドシチーを出してはいる。
とはいえGI馬ばかりで、購入価格は高そう。
ヴァイスリーガルに至ってはカナダでリーディングを3回取るような成績を出しているのを買っている。66年生まれの馬で、79年に輸入してるから13歳とはいえ、実績が良すぎるからかなりお金を積んだと思う。そして80~85年の6シーズンだけしか活動できなかった。
そして弟のVice Regentが兄に代わって11年連続でリーディングを取るほど成功した。競走成績がさっぱりだった弟を買えてればもっと安かっただろうし、28歳まで生きたから長く活躍できたし、ひょっとしたらノーザンテーストみたいな大種牡馬になっていたかもしれない。たらればにも程があるけどね。
やっぱり、「期待する理由がわかるけど、だからこそ高く買わされてそう」って選択をしてる感じはあるなあ。