堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

◯◯な方のミラクル

 ウマ娘のガチャは一貫して引きが終わってるのは先日取ってみた記録のとおりなんだけれど、ケイエスミラクルは50連めで入ってた。
 ダイイチルビーも必死で石貯めて臨んだら20連で出たんだけれど、このあたりはなにか私に甘いのだろうか。

 

 ところで、ここでヒシミラクルがすり抜けてくるというお笑いネタが当然に予想され、またふたりのミラクルの体型差をイジって区別しようというけしからんネタが広まった。まったくよくない。
 イエスはいいました。ヒシアケボノの身長を負け惜しみと思われずにいじれる者のみが、ヒシミラクルの体型をいじりなさい。なお私は180cm以上ある。

 

 「ミラクル」の名を持つ競走馬、ケイエスとヒシ以外にも色々思い出せると思う……と思ったけどなかなかそうでもないな。
 少なくないんだけど、ヒシミラクルの存在感がありすぎて他が霞むか。

 

 ケイエスミラクルはちょっと、90年代後半くらいに悲劇の名馬本とか読んで、マティリアルとかサクラスターオーと並べて覚えてたタイプでないとすぐには出ないと思う。 私はそういうタイプだった。
 ノースフライトですら地味という人もあるくらいで、瞬間的に鮮烈に活躍したタイプの馬って記録には残りにくい。記録だけだとスワンステークス勝っただけだから。
 だから後から資料見ても目立ってこないし、リアルタイムに競馬見てても、たまたま注目から外れてたりすると記憶からも外れちゃったりする。
 注目していた人が口伝しないと残らない類のもので、急に死んでしまう馬が出た途端に騒ぎ出すというのも少しどうかと思うところはあるけれど、しかし誰かそれをやらないと何も残らずに消えていく。

 

 血統好きならミラクルアドマイヤあたりが出やすいかな。
 デビュー戦で勝ってはいるものの明け4歳(当時)、その後条件戦を2つ使って勝てず、脚部不安で引退しただけの馬だったけど、父トニービンで母バレークイーンという超良血。兄フサイチコンコルド、全姉グレースアドマイヤ(5勝)、その後も弟にボーンキングアンライバルドが出る。
 その良血もあって種牡馬になって、結果カンパニーが生まれてGIを2勝。

 

 ダート通だとミラクルオペラなんて出てくるだろうか。
 2000年4月に4歳(当時)でやっとデビュー、芝で好走するも勝ちきれずにダート転向が成功、2001年5月には1600万条件を勝ち上がってオープン入り。そして東海ステークス2着から灘ステークスを勝ち、盛岡マーキュリーカップ・金沢白山大賞典と3連勝。
 GI挑戦の2001年ジャパンカップダートで、クロフネと前年の覇者ウイングアローに続く3着。年末の帝王賞でもロジータの子・カネツフルーヴの2着。

 ただ、ダートの英雄で「オペラ」というと、1999年NAR年度代表馬、史上初でいまだに唯一の、地方競馬所属のまま中央のGI(フェブラリーステークス)を勝ったメイセイオペラという超大物がいる。
 ギリギリ直接対決もなく、2000年はメイセイオペラが調子を崩し、さらに屈腱炎で夏に引退になってしまった。ほんとに入れ替わりでミラクルオペラが活躍しはじめる。
 なお「オペラ」と共通しているけど、ミラクルオペラの父はオペラハウスで、メイセイオペラの父はグランドオペラ

 

 ダートの名馬ならもう一頭、ミラクルレジェンドもいる。
 25戦12勝、重賞6勝の頑健で強い名牝で、レディスプレリュードJBCレディスクラシックと連覇して、引退レースのエンプレス杯もしっかり勝っていった。
 繁殖に上がってからも、7番子まで中央ですべて1勝以上あげている。

 現役産駒のミラクルティアラは、中央で8戦して3-2-2-1という実に安定感の高い走り。負けたのも2勝クラスから格上挑戦したオープンの端午ステークスだけ。まだ3歳だし、これから楽しみ。母に負けない活躍もありえる。

 

 他に、優駿たちの蹄跡の引退競走馬名鑑で探してみると、まだ出てくる。

 ダンツミラクルは、87年に佐賀競馬でデビューしてダートのマイル前後で7勝して、古馬になって中央入りするとむしろ芝のほうが良かったみたいで、条件戦からぽんぽんと3連勝で89年の小倉記念を勝った。
 しかし繁殖に上がったものの、産駒4頭がみな牡馬。種牡馬入りするほど活躍した子もなく、もう血統は繋がっていないらしい。

 

 ヤマニンミラクルは、91年にデビューして、早くから活躍して京成杯3歳ステークスを勝利、朝日杯でも2着。
 弟にも京成杯3歳Sを兄弟制覇するヤマニンアビリティ、京都3歳Sを勝って早枯れに終わらず古馬になって函館記念も勝ったヤマニンリスペクトがいる。

 私が初めてリアルタイムに見ていたヤマニンの馬というとヤマニンパラダイスで、大体90年代のヤマニンというと3歳戦では強い快速馬が多くて、皐月賞桜花賞ですらもうピークを過ぎてる感じだったなあ。
 当時の私には物足りない感じがしたけれど、のちの競馬はどんどん早くに活躍できる仕上がりの早さが重視されていくようになるのだった。

 

 ミラクルタイムは、あの98世代。
 マル外だったのでクラシックには出られない時代だったけれど、新馬戦2着のあと4連勝で、毎日杯京都4歳特別(99年に廃止、今の京都新聞杯のポジション)を勝った。
 父はグラスワンダーと同じSilver Hawkで、マイルより中距離以上と思われてたか、NHKマイルカップへは向かわず、なんだか不自由なレース選択をしていた。
 おかげで、セイウンスカイスペシャルウィークキングヘイローとも当たらず、エルコンドルパサーの快進撃にも巻き込まれず。グラスワンダーは故障で春を棒に振っている。
 毎日杯ではダービー2着馬のボールドエンペラーや、皐月賞5着馬のディヴァインライトを下している。京都4歳特別でもメイショウオウドウを下している。
 この4歳春時点でのミラクルタイム皐月賞やダービーに出られていれば、と思わせる強豪の一頭だったらしい。

 しかし秋になったら燃え尽きたか、オールカマーで復帰して以来、ほとんど掲示板に乗ることすらできない惨敗を続け、名古屋競馬に流れても戦えず、そのまま引退していった。

 

 でまあ、強いという意味でも別の意味でも、ミラクルユートピアが私はまっさきに思いついてしまうのだけど。