かつて、社台・メジロに比肩する大牧場だった西山牧場。
90年代後半、ちょうどセイウンスカイが世に出る直前に規模を大幅に縮小、所有する繁殖牝馬も250頭から50頭に減らし、自家種牡馬もほとんど売却することになった。
それでセイウンスカイの父シェリフズスターも、種牡馬を廃用されて売却。
セイウンスカイの活躍後に慌てて捜索されるものの、行方不明。まあ、あの頃の日本だと、成績不振の輸入種牡馬の「廃用」って、イコール屠殺だろうと思う。ファーディナンド事件より前のことだし。
で、巷で言うには(というかWikipediaにも書いてるような話として)、西山牧場の低迷とリストラ断行は、導入した種牡馬に失敗が続いたことが原因のひとつであると。
西山牧場は、たくさん繁殖牝馬を抱えて、自家繋養の種牡馬をつけて馬をたくさん出す方針だったそう。
スタッドの種牡馬をつけるには都度お金がかかるし、種牡馬と相手の肌馬を自己所有して繁殖を行うというのは、方針としては別におかしくはない。メジロ牧場もそういうやり方だった。
しかしそれがうまくいかなくなってしまったのは、どういう流れがあったのかなと。
種牡馬が失敗だったというなら、導入した種牡馬を順に見ていけばなにか見えるんじゃなかろうか。
どんな馬を繋養してたか調べるところから、と思ったら、うぃきぺにリストアップされてた。助かる。
ではこれらを、繋養開始年が早い順番に並べてみた。
- 1961- オーロイ (Auroy)
- 1965(66)- ザラズーストラ (Zarathustra)
- 1968- アワバブー (Our Babu)
- 1968- マタドア (Matador)
- 1972- スターアッフェアー (Star Affair)
- 1972- タンディ (Tandy)
- 1974- ダイコーター
- 1978- フォワードパス (Forward Pass)
- 1978- ファーストドーン (First Dawn)
- 1979- ホウシュウエイト
- 1979- シャンペンチャーリー (Champagne Charlie)
- 1982- レッドアラート (Red Alert)
- 1983- ニシノシーザー
- 1984- ニシノエトランゼ
- 1984- ニシノノーザン
- 1985- シルクテンザンオー
- 1985- ケラチ (Kellathi)
- 1987- スカラマンガ (Skaramanga)
- 1987- シェルシュールドール (Chercheur d'Or)
- 1987- ニシノリファード
- 1988- マラキム (Malakim)
- 1989- ロイヤルトルーン (Royal Troon)
- 1988- ニシノライデン
- 1989- ニシノエイカン
- 1990- デビスシロー
- 1990- シェリフズスター (Sheriff's Star)
- 1990- ニシノミラー
- 1994- セントビートル
- まとめ:繋養種牡馬は失敗だったの?
1961- オーロイ (Auroy)
1957年英国産。競走馬時代はあまり情報が見つけられなかったけど、1960年の英ダービーで4着がある他、netkeibaの掲示板では2000ギニー3着もあり、8戦1勝だったらしい。
日本では1962年から産駒が出てるので、61年に供用開始か。西山牧場ができるのは66年なので、前身の田中牧場時代からいた種牡馬かな。
血統は、父Aureole。クラシックは勝ちきれないものの古馬になって大活躍。種牡馬も60-61年英リーディングサイアー。産駒は凱旋門賞馬で日本でも種牡馬として活躍したセントクレスピンなど。20世紀なかばに大繁栄したHyperion系の一角。
母の父はMieuxceという馬で、仏ダービーなど9戦5勝。
67年のサイアーランキング22位が最高。
日本での代表産駒は文句なしにカブトシロー。新聞が読めると知られる、人気薄で飛んでくるのに人気になると飛んでいく、天皇賞・有馬記念の勝馬。もともと西山正行氏の持ち馬だったんだけど、現役中に金銭トレードされた。西山牧場の生産でもなかったからか、種牡馬入りしての繋養先は西山牧場ではなく、日本軽種馬協会の九州種馬場。
カブトシロー以外は、残念ながら条件馬止まり。
1965(66)- ザラズーストラ (Zarathustra)
1951年アイルランド産。アイルランドダービーとセントレジャーを勝ってクラシック二冠、古馬長距離三冠のゴールドカップとグッドウッドカップも勝って二冠。24戦13勝。
65年から供用。こんな大名馬を日本に持ち込むのは大変そうだけど、競走成績ほど種牡馬としては良かったわけじゃないみたい。それに加えて高齢だったのもあって、なんとか日本に来れたか。67年には死んでしまった。
これも多分前身の田中牧場時代から居た種牡馬。
父はPersian Gulf。コロネーションカップなどを勝って、種牡馬としても毎年重賞馬を出していた。日本でも、産駒のパーシアが日本で種牡馬として活躍。
母の父Sansovinoは、1924年のダービーとプリンス・オブ・ウェールズステークスを勝った馬。
日本での代表産駒は、目黒記念・日経賞・カブトヤマ記念を勝ったカツタイコウ。それから阪神障害ステークスのホウシュウアンダー。
1968- アワバブー (Our Babu)
1952年アイルランド産、英国で走って1955年の2000ギニーを勝った。56年から種牡馬入り。日本での供用開始は68年か。77年に亡くなる。
ここから西山牧場として輸入した種牡馬になるはず。
血統は、父My Babu。アメリカでは2歳リーディングサイアーになったこともあり、日本的にはパーソロンの祖父として名前が見れる。
母の父はBlue Peter。戦争によるセントレジャーステークスの中止で英クラシック三冠を逃した名馬で、種牡馬としてもFairwayやHyperionという歴史的大種牡馬に次ぐリーディング3位にまでなったこともある。
代表産駒は、キョウエイアタック(中日新聞杯)、タイホウシロー(セントライト記念)、タイバブー(北九州記念)など。
1968- マタドア (Matador)
1953年英国産。ジュライカップなどを勝った。58年から種牡馬入りしていて、日本に来たのは68年。78年に亡くなった。
父Golden Clowdは、今はもう父系としては衰退したThe Boss系。The Bossはスプリンター種牡馬として英国で成功して、子孫が日本で人気になってよく輸入された。でも当時はスプリンターの活躍できるレース体系が整備されていなくて不遇だったとか。
母の父Mazarinは、St.Simonの孫Doriclesという種牡馬から広がった父系の種牡馬。
これがサクライワイ(スプリンターズステークス連覇・安田記念勝ち、桜花賞2着) とキョウエイグリーン(スプリンターズS・安田記念)を出す活躍。これで1973年、西山牧場が社台を抑えてリーディングブリーダーになった。
短距離路線が整備されてた時代だったら、もっと活躍してただろうといわれる。
1972- スターアッフェアー (Star Affair)
1962年オーストラリア生まれで、オーストラリアの重賞を5勝している。21戦10勝。
1966年に種牡馬入り、日本では72年から供用開始。83年没。
父はStar Kingdomというオーストラリアの大種牡馬。
母の父はComic Courtという、これもオーストラリアの種牡馬で、詳しくはわからなかった。
産駒は条件戦を8勝してるけどオープンには届かなかったらしいブルーロマンとか、安田記念で2着に飛び込んだストレンジメグロあたりが代表か。アワバブーやマタドアに比べると落ちる。
サイアーランキングは、77年の79位が最高らしく、それ以外は3桁。(ランキングの情報については、JBISは74年からしかデータがないみたいで、netkeibaは古いランキングではどうも数値が頼りなくて採用できなかった)
なんでオーストラリア血統を導入したのかは、ちょっとよくわからなかった。
ここまでの繋養種牡馬の産駒はよく走って、繁殖に上げた牝馬も多くなってただろうから、血が遠いのを入れたんだろうか。スターアッフェアーならHyperionくらいしかクロスしそうな祖先はいないし。
1972- タンディ (Tandy)
1966年英国産。あまり情報がないけれど、23戦5勝だったらしい。
72年から日本で共用されて、最後の世代は84年生まれ。
父はMilesian。日本的にはパーソロンの父として有名。
母の父はHard Sauce。牝馬二冠のミスオンワードや、名種牡馬ハードリドンの父。
代表産駒は、東京4歳S・弥生賞・スプリングSと連勝して皐月賞に一番人気で挑んだリキアイオー。京成杯3歳Sを勝ったフェアスポートもいる。
パーソロンが大活躍していた時期で、また前からいるアワバブーと同じMy Babu系を入れ替えるための一頭、という狙いかな。
競走成績は大したことがないけれど、それをいったらパーソロンも競走成績はよくなかったから、蓋を開けなきゃわからない。
まあ蓋を開けた結果は、79年のサイアーランキング56位が最高で、パーソロンほどの大成功には及ばなかった。
1974- ダイコーター
1962年日本生まれ、65年の菊花賞馬。菊まで皐月賞とダービーも2着で、ほかに2歳の頃のオープン戦に3着した以外は全部勝っていた。菊花賞以後は低迷し、障害にまで出走したが、活躍まではいかず引退へ。
69年から上田牧場で共用されて、74年からは西山牧場での供用になったかな。86年に種牡馬引退。87年に亡くなった。
父は60年代日本のトップ種牡馬ヒンドスタン。
母ダイアンケーはアメリカから輸入されてマル外として走り、短距離を8勝した。
母の父はLollolkidという馬だけど、あんまりよくわからない。Whisk Broomというアメリカの殿堂馬に遡れる血統。
代表産駒はまずニシノライデン(産経大阪杯・阪神大賞典・鳴尾記念・京都新聞杯勝ち。宝塚記念・有馬記念・菊花賞3着)、それからキタノリキオー(目黒記念・中山記念・札幌記念)、プレジデントシチー(朝日チャレンジカップ・小倉記念)など、中央重賞勝馬8頭。
少し前まで、内国産種牡馬が不遇で、シンザンでさえシンジケートを組めず、種付け料も下げて、伝手で集めた牝馬としか種付けできないくらいだった。
シンザン産駒が何頭も重賞を勝って、それで内国産種牡馬が見直される流れになるのが70年代前半。そこで西山牧場にダイコーターが来る。タイミングにも恵まれた。
サイアーランキング最高位は81年の4位。79年から82年にかけて30位以内でかなりの好成績。
1978- フォワードパス (Forward Pass)
1965年米国産。23戦10勝で、ケンタッキーダービー・プリークネスステークスの二冠を取ったが、三冠目を逃してしまった。
78年に西山牧場に買われ、79年から産駒が出てるけどすぐに死んでしまい、81年生まれ世代が最後。
父On-and-Onは、58戦12勝でオハイオダービーなどを勝っている。
母方が優秀で、母Princess Turiaは本人もエイコーンステークスなどを勝っていて、姉妹にはアメリカの殿堂馬Real Delight、ケンタッキーオークス馬Bubbleyもいる。
日本での産駒は、長く走ってオープン入りしたデビスシローが賞金的には最大。西山牧場で種牡馬入りするので後述。勝ったレースの格だと、北海道3歳ステークスを勝ったマックスファイアーがいる。
アメリカでの種牡馬成績がいまいちだったっぽいけど、それでも良血のクラシック二冠馬だ。安い買い物ではなかったと思うし、早逝したのは痛かったと思う。
サイアーランキングは84年の106位が最高。
1978- ファーストドーン (First Dawn)
意外なほど情報がないんだけど、競走馬としては重賞勝ちはないみたい。
1971年生まれアメリカ産。78年から日本で供用され、87年生まれの産駒が最終世代。
父は大種牡馬Bold Ruler。Bold Rulerの子も種牡馬として活躍していて、日本ではステューペンダスがラッキールーラやカツアールなどの活躍馬を出した。
母系もかなり良血で、母Lovely Morningは活躍種牡馬Bold Ladや最優秀二歳牡馬Successorの兄弟。他にも近親にうじゃうじゃ活躍馬がいる。
代表産駒は、シンザン記念のシルクテンザンオー。これは西山牧場で種牡馬になるから後述。
成功例があるBold Ruler系を導入するとして、良血だけど競走成績はいまいちだった種牡馬というのは比較的買いやすかったのかな。
世間的にはテスコボーイを筆頭にPrincely Gift系が大流行していたけど、後追いよりはこれから来そうなBold Ruler系を狙ったかな。Bold Ruler系はその後も八大競走勝ち馬も複数出して、ロイヤルスキーやSeattle Slewへと広がっていく。
ファーストドーン自身は、86年のサイアーランキング98位が最高で、活躍種牡馬とは言えないけれども。
1979- ホウシュウエイト
1970年日本生まれで、ハイセイコーの同期だった活躍馬。毎日杯を勝って、関西馬の雄といわれてクラシックに挑んで惜敗。でも関西ではやはり強くて、セントウルS・日経賞を勝った。79年から種牡馬入り。
父は60年代日本の名種牡馬チャイナロックで、ハイセイコーやタケシバオーもこの産駒。
母方も遡ればクレイグダーロッチに至る一族で、母の父ホウシユウもヘレンサーフの牝系で桜花賞馬ブランドソールなどの兄弟。
代表産駒は、負け無しで2連勝して挑んだ阪神三歳Sで故障、予後不良になったニシノバルカン、中京3歳Sを勝ったニシノカブトザン。
サイアーランキングは85年の191位が最高。
馬主さんと西山牧場の付き合いもあったみたい(ホウシュウの冠号を持つ馬は他にも多数西山牧場から出ている)で、日本的な良血もあって繋養されたのかな。
1979- シャンペンチャーリー (Champagne Charlie)
1970年米国産。39戦8勝で、GIIIを2勝した。
76年から種牡馬入りしていて、日本では79年から供用。netkeibaを見る限り93年の産駒が最後。
父は言わずとしれたNorthern Dancer。
母の父Boleroは、G2を2勝してるみたい。父系をたどるとRock Sand(英三冠馬)にたどり着く。
サイアーランキング最高位は、85年の34位。
Northern Dancer系種牡馬が世界を席巻する時代に、結果的にはあまり当たらなかった種牡馬だけど、買ったときの値段がどうだったのかな。Northern Dancer産駒なら何でも高かったかもしれないし、そうでもなかったかもしれない。
ノーザンテースト並は無理でも、ノーザンディクテイターとかノーザリーくらいのヒットになってりゃよかったのに、と思わなくはない。肌馬の方の能力もあったとは思うけれど。
1982- レッドアラート (Red Alert)
1975年アイルランド産、英国G3をひとつ勝って12戦5勝。82年から西山牧場で供用されている。フランスに残していった産駒に、Play It SafeというGIマルセルブサック賞の勝ち馬がいる。
父Red Godは大種牡馬。
母の父Gratitudeは、The Boss系の種牡馬。あまり大物ではないと思う。
代表産駒は、ダイヤモンドSを勝ったドルサスポート、オープン特別を2勝して種牡馬入りしたニシノエイカン、セントライト記念2着のセントナダラ。障害オープン馬のカールシローも。
80年代はNorthern Dancer系が隆盛する時代とはいえ、まだ一色に染まるわけでもなかった。Red God系にも、ダービー馬カツトップエースや桜花賞馬ブロケードを出していたイエローゴッドがいた。
比べると、レッドアラートのほうがThe Boss系が入ってたりして短距離寄りの血統に見えるんだけど、それがダイヤモンドSの勝馬を出すからなかなかわからない。
サイアーランキング最上位は、87年の76位。
1983- ニシノシーザー
1978年アメリカ産、輸入されて日本で3戦してボロ負け、そのまま引退して83年に種牡馬入り。
父Stage Door Johnnyは、アメリカでベルモントSを勝った馬で、種牡馬としてもGI馬を出してるんだけど、日本的にはほとんど知られてない。Princequillo系。
母方も特に活躍馬はないみたい。
西山牧場で2頭の産駒を血統登録したみたいだけど、未出走らしい。
Northern Dancer系が隆盛する80年代とはいえ、日本では70年代からPrincequillo系種牡馬にもボールドリックやデュール、ターゴワイスなど活躍しているのが複数あった。
ただ、活躍してたのはRound Tableの子孫だったけど、ニシノシーザーはPrincequilloの別の産駒Prinice Johnの系統。ちょっとひねってる。
まあ、ニシノシーザーは競走成績や種付実績から見て、当て馬だったかもしれない。
1984- ニシノエトランゼ
79年アメリカ産、輸入されて日本で走り、3連勝してきさらぎ賞2着。クラシックはマル外で出走権がなかった。その後の成績はよくなく、アメジストSの2着があるだけ。84年に種牡馬入り。
父Stop the Musicは、Hail to Reasonの産駒の中で活躍した種牡馬の一頭。Haloが凄まじいのに比べると見劣るけど、Temperence HillとかCure the Bluesの子孫が後に伸びていった。
母Come My Princeは、アメリカGI 2勝で95年北米リーディングサイアーになったPalace Music(父The Minstrel)を生んでいる。
産駒に中央の重賞馬はないけど、そこそこ走って賞金を持って帰るタイプの馬が多く出たみたい。1億以上稼いだ馬も3頭出した。
サイアーランキングは92年の64位が最高。
新興のHail to Reason系種牡馬として導入する狙いだったなら、実に先進的。リアルシャダイより前だし、後にブライアンズタイムやサンデーサイレンスが席巻することなんて知る由もなかった頃。
1984- ニシノノーザン
1979年生まれ、アメリカから輸入されてマル外で走り、2歳で新馬・特別と連勝するもその後は勝ちきれないレースが続いて条件馬のまま引退。84年に種牡馬入り。
父はNijinsky。
母の父はPrince John。Princequillo系の一角。
20頭ほど産駒は出したものの、ニシノエトランゼのほうが成績が良かったせいか、87年生まれの産駒が最後になってしまったみたい。
Northern Dancer系はシャンペンチャーリーがいるけど小粒だし年だし、仔馬から買った新しい血を……と思ったけど能力的にイマイチだった、って感じだろうか。
1985- シルクテンザンオー
1979年日本生まれで、3連勝でシンザン記念を勝って、しかし故障で長期休養、その後は好走するも勝てずに引退。85年から西山牧場で種牡馬入り。94年までは供用されてたとのこと。
父はファーストドーン。西山牧場で繋養されていた。
母はあのミスマルミチ。だからイットーやニッポーキングの弟になる。華麗なる一族だ。
代表産駒はシルクムーンライト(北九州記念)。それからカーネーションカップの勝馬ブランドピートもいる。ランキングは200位以上になったことはない。
出走できた産駒は50頭程度しかいなかったようだけど、ファーストドーンの後継種牡馬としてやれるだけはやったのかな。
1985- ケラチ (Kellathi)
1980年米国産。競走馬としては特筆すべきことなし。血統で買われた馬。良血なのは確かで、競走成績の割に高く買ったか、血統の割に安く買ったか。85年供用開始。94年生まれが最終世代らしい。
父は70年代末のアメリカ最強馬Seattle Slew。80年代にシアトルスルーの子を日本人が種牡馬としてよく買ってたみたい。バブル期……。
母のDesert LawはアメリカのヴァニティハンデというGIを勝っている。
母の父はCourt Martialで、56-57年の英愛リーディングサイアー。2歳リーディングは6度。
産駒はあいにく空振りみたいで、3勝したブランドジャネットが一番ましかなあ。サイアーランキングも200位にも届かず。
Seattle Slew系は、アメリカでの隆盛に比べると日本じゃあんまり成功しなかった。輸入はしたものの全滅した中の一頭。
1987- スカラマンガ (Skaramanga)
1982年英国産。重賞勝ちはないが5戦4勝。87年から日本で種牡馬入り。
父はShierley Heights。大種牡馬Mill Leafの代表産駒で種牡馬としても活躍。
母の父もTudor Melodyというかなりの大種牡馬。
産駒はさっぱりだったみたい。ランキング最高位は93年の200位ちょうど。
80年代末は、Northern Dancer系が流行りすぎて肌馬もそればっかりになって、代わってMill Reef系種牡馬が人気になり、ミルジョージやマグニテュードなどが活躍してた時期。
それでスカラマンガを導入したんだと思うけど、これが空振りだったのは不運に見えるな……。
1987- シェルシュールドール (Chercheur d'Or)
1983年米国産。14戦4勝、フランスのGIIIを勝ってるだけ。
引退してすぐ日本に来て、87年に供用開始。
父はNorthern Dancer。
母も凱旋門賞馬Gold Riverで、良血なのは確かだ。
産駒は、オープン馬ブランドノーブル。
主流だから外せないNorthern Dancer系、老いたシャンペンチャーリーを更新したかったところに、競走成績がいまいちだけど血統はいい、というのは狙いとしてはわかる。
ランキング最上位は、94年の108位。
1987- ニシノリファード
1982年生まれ、アメリカから輸入されてマル外で走り、5戦目で勝ち上がってその後勝てずに引退。87年から種牡馬入り。
父はフランスの大種牡馬Lyphard。
母Mantaはサンタマルガリータ招待ハンデなどを勝っていて、ニュージーランドで活躍種牡馬になるTawfiqを生んでいる。
産駒は、3勝したブランドオペラが精一杯。
種牡馬入り前提で輸入して走らせたっぽいけど、あいにく競走馬として芽が出なかったこともあってか、産駒自体が少なくランキングも散々。
これもシャンペンチャーリーの更新を考えて導入したNorthern Dancer系だと思う。
しかし仔馬の頃に買って競走に出してるんだから、レースで活躍してくれたらまだしもよかったのになあ。
1988- マラキム (Malakim)
フランスでG3をひとつ勝った、12戦3勝の馬。88年から西山牧場で産駒を出している。
父Blushing Groomはフランス生まれのGI 5勝馬。アメリカで種牡馬として大成功して一大系統を築いている。
母River Millは、近親に大レース勝馬が多数。姉妹に仏GI 3勝のRiverqueenがいる。
母の父は大種牡馬Mill Reef。マラキム自身の成績より良血が買われた感じ。
代表産駒は、南関東から東北の地方競馬で活躍したバンチャンプ。他に北九州短距離Sを勝ったセントパーク、ニシノフラワーの妹ニシノファイナルもシリウスSを勝っている。
Blushing Groom系だと、アブクマポーロやマチカネフクキタルを出したクリスタルグリッターズとか、サクラローレルを出したRainbow Questとかがあるから、Seattle Slew系と違って日本でダメなわけでもない……のだけど、マラキムだと小粒な感じが。
サイアーランキングは、96年の118位が最上位。近い時期に導入された他の種牡馬よりはいいんだけど。
1989- ロイヤルトルーン (Royal Troon)
1982年生まれのアメリカの馬。5勝で、ハンデG3を2着している。
産駒は90年生まれから出ているけど、海外で供用されてた時期もあるのかはよくわからなかった。
父Foolish Pleasureはアメリカの殿堂馬。競走でも種牡馬としても活躍してる。最強といわれた名牝ラフィアンとの悲劇のマッチレースが有名。
母Killaloeは、ロイヤルトルーンの他に、Mr.Prospector系の一系統を築いているFappiano、GI馬Torrentialを産んでいる。近親にもオジジアンやHonor and Gloryがいる。血統から見ると期待できそうに思える。
代表産駒は……賞金で言えばユウシャ。コンスタントに45戦も走って5勝、1億以上稼いだ。地方ではロイヤルスターなど活躍馬があった。
本人がさほど走らなかった良血馬、選択が悪いわけじゃないだろうけど、残念ながらこの馬は空振りだったように思う。
サイアーランキングは94年の148位が最高。
1988- ニシノライデン
活躍はしたけど斜行で処分受けること6度、降着制度の父なんていわれる、ちょっとおもしろめの馬。1981年生まれ、シンボリルドルフの同期という不運な世代だけど、逃げずに立ち向かい続けてGIIを4勝と好成績を残した。88年に供用開始。
父ダイコーターの後継種牡馬ポジションだったと思うけど、なんせ気性に問題があって、出走できない馬も多かったとか。
母方も、昔活躍した馬がいるけど最近は、という感じ。
母の父ダディダンフィも、輸入はされたものの活躍馬は出なかったらしい種牡馬。
産駒は平地2勝・障害2勝で小倉障害Sを3着したカムシャインが賞金ではトップだけど、5000万円ちょっと。しかも騙馬。やはり気性が。
結局サイアーランキングも200位にも届かず。
牝の子も、もう西山牧場が縮小方針に切り替えていく時期のせいか、ほとんど繁殖入りできてないみたい。
1989- ニシノエイカン
1983年生まれ。オープン特別2勝で、89年に種牡馬入り。
父レッドアラートの後継種牡馬ポジションかな。
母方はフロリースカップ系で、曾祖母トサモアーは桜花賞2着・オークス3着で菊花賞2着という強い牝馬だった。
産駒はほとんど出ていなくて、シローパンジーという子が大井で一勝したようだ。実質的には当て馬だったかもしれない。
1990- デビスシロー
1981年の国産馬。オープンに上がったけどオープン級の勝ちはなし。
90年に種牡馬入りして西山牧場で供用されるも、競走に出た産駒は一頭だけ。
父は西山牧場供用のフォワードパス。
母の父も西山牧場の代表種牡馬マタドア。
兄弟にはGIII勝馬のプレジデントシチーがいる。生粋の西山牧場血統。功労馬的に残したのかなあ。
1990- シェリフズスター (Sheriff's Star)
1985年英国産。クラシックは勝ちきれなかったけど、古馬になってコロネーションカップとサンクルー大賞を勝った。現役中から西山牧場での種牡馬入りが決まっていたそう。
90年から供用開始されて数年鳴かず飛ばずで、西山牧場のリストラが決定されたのが97年。セイウンスカイのデビュー年だった。
父はポッセ。英国のサセックスSとセントジェームズパレスSを勝っているマイラー。シンコウラブリイの母の父でもあり、種牡馬として日本に輸入されたけど、事故で繁殖能力を失ってしまった。
母の父はKalamounで、トニービンの祖父。
兄にもセントレジャーステークス・サンクルー大賞の勝馬ムーンマッドネスがいる。
代表産駒はもちろんセイウンスカイ、それからオープン馬のセイウンエリア。
97年に西山牧場を離れるとともに廃用。西山茂行氏の話では、98年時点でもう死んでいたという。
導入した1990年は、西山牧場が繁殖馬の血統改良を進めている時期。英国でGIを2勝した強豪馬を引退すぐ買い取って日本に輸入するのは、かなり大きな買い物だったと見られる。
起死回生の種牡馬だったように思えるけど、セイウンスカイより前の世代があまりにも走らなかったのが不運だった。97年までのサイアーランキングは196位とかで、98年にいきなりセイウンスカイとセイウンエリアが31位まで跳ね上げるの。
1990- ニシノミラー
1984年生まれ。西山正行氏が馬主だけど、生産は大塚牧場。
マイル路線でそこそこの活躍で、中山金杯を勝っている。90年から種牡馬入りか。
父はドン。名スプリンター・サクラシンゲキを出している。
母の父はパーソロン。
産駒は少ししか出せず、地方でワイルドシンザンという馬が2勝した。
1994- セントビートル
母コッパーベイが受胎した状態で輸入された持ち込み馬。1989年に生まれて、日本で走って5戦1勝。
良血もあって94年から種牡馬入りしたものの、西山牧場でもあまり付けられなかったようで、産駒は3頭、出走したのは1頭。
父はConquistador Ciero。Mr.Prospetorの初期の代表産駒。
母馬のコッパーベイからは、あいにく日本でこれといった産駒は出ず。
母の父は大種牡馬Roberto。
セントビートルの種牡馬入りは、母馬を輸入した時点で決めていたことっぽいけど、さすがに競走成績が厳しすぎたか。
1989年輸入繁殖牝馬
1989年に、西山牧場は血統を改善するため、アメリカから子を受胎した母馬を4頭輸入した。
その4頭には、ニシノフラワーの母デュプリシトが含まれる。
セントビートルの母コッパーベイもこの時輸入したものと見られる。
あとの2頭はなんだろう、と、ニシノフラワーと同じ年に西山牧場で、父馬がアメリカ種牡馬の子を産んだ繁殖牝馬を探してみた。
該当した一頭はスマートダーリン。
Topsiderの子を受胎して輸入され、セントノーザンという牡馬を産んだ。これは98年まで地方で走ったせいか、種牡馬入りはしなかったらしい。
スマートダーリンは後に、パラダイスクリークとの間に、エンプレス杯を勝つローレルアンジュを出した。
もう一頭はバンブーファンという馬らしい。
Slew o'Goldの子を受胎して輸入され、シローロビンという牝馬を産んだ。
バンブーファンはこれといった子は出なかったけど、シローロビンは子の勝ち上がり率がよくて、地方でそこそこ走るくらいの子を出していた。
そしてこれらとシェリフズスターや外部の種牡馬をあわせて、牧場として血統を大きく刷新したかったんだろうと思う。
まとめ:繋養種牡馬は失敗だったの?
まあ私みたいな素人が、ネットでちょいちょい調べた程度で、偉そうに牧場の方針の良し悪しを評価できるものじゃないんだけれど。
初期のマタドア・ダイコーターは成功していたけど、後の種牡馬はどれも大成功まではいかなかった。そこそこってくらいが精一杯、全然ダメだったのもいる。
西山牧場はできるだけ自家生産する方針だったから、そこそこの種牡馬が出した牝馬から比較的良いのを繁殖に上げる、そしてまたそこそこの種牡馬をつける……と繰り返していったら、テスコボーイ・ノーザンテースト・サンデーサイレンスと全体的に上がっていくレベルに引き離されていったのはありそう。
また、シンジケートを組まれた種牡馬だと、産駒を活躍させて種付株の値打ちを上げるために、株主の取っておきの繁殖牝馬と配合しようとする。
しかし牧場や個人所有の種牡馬だと、そういう思惑が働かない。配合相手は同じ牧場のいつもの肌馬が中心。それが種牡馬としての活躍を阻んでしまうともいう。
80年ごろにはもう牝馬の質は不安視されてたみたいで、ニシノエトランゼやニシノシーザーなどは、種牡馬入り前提で仔馬を買って競走馬にしてたものだと思われる。
それが競走の時点でいまいちだったのは不運か。
同時期に買った海外種牡馬も、血統はいいけど競走成績があんまり、というのが多かった。
良血かつ競走でも大活躍してたら高くて買えなくなる。日本で成功する種牡馬って、買える値段になる理由があったけどそれを跳ね返して成功した、くらいが多いから、西山牧場の選択がおかしかったわけでもないと思う。
80年代末になって、競走馬として活躍しているシェリフズスターの導入を決めて、アメリカから高額な繁殖牝馬を輸入するという、大金を投じた抜本的改革に着手した。
それが失敗というか、結果が出るのが一歩遅かった。
種牡馬だけが凋落の理由ではないとは思うけど、種牡馬であたりが掴めなかったというのはそう思えた。
海外から導入した種牡馬に、社台のノーザンテーストや、メジロ・シンボリのパーソロンほどに成功するのがあったら、とは思う。
競走馬として輸入した馬に、マルゼンスキーのような強さと繁殖能力を持つような大物がいたら、とも思う。
トウショウボーイやサクラユタカオーのように、活躍した競走馬が種牡馬としても大成功する例がダイコーターの後にも続いていたら、と思う。