堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

17年もカメラを触ってたら写真はうまくなったのか?

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 私が撮った写真でなかなか出来がよいやつを選抜して、ずらっと並べるサイトを作ってみた。

 やってみて思ったのだけど、上手く撮れたやつだけ選抜して並べたら、自分の写真の腕が上がったような気分になれてなかなか良い。

 

 ところで、私がカメラを触り始めたのは、だいたい2002年ごろだった。
 当時勤めていた会社で、料理写真を撮る任務を下され、どう撮ればいいのかと調べ回ったのが興味の始まりだった。

 最初に自分で所有したデジカメは、友人に安く譲ってもらったカシオXV-3
 初めて新品で買ったのは、コニカKD-400Zだった。あと一眼レフというのを使いたくて、中古で安く見つけたオリンパスC-1400XLとかも使ってたな。

 で、その頃に私が撮った写真が出てきた。
 当時の私の写真の腕は、どんなもんだっただろうか。何枚かマシなのを選び出して、自分で講評してみよう。

 

2003年にC-1400XLで撮った写真

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 16年前の私は一体、何を考えてこのように撮ったのか。
 同じように画面の右にビルを入れた空の写真が、何枚も、違う日にも撮ってあったので、私はこれが良いと思ってこうしたらしい。わからん。
 単に空だけ写ってる写真は、よほど雲が良いとかでなければ面白くはなりえないけど、そのへんを気にしたのかなあ。

 

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 夕焼けのグラデーションといういい被写体を見つけたようだ。露出を変えて撮り直してたり、最初は広角端で撮ったけど散漫だから、望遠で切り取り直した形跡もあった。
 これは16年前の私も少し考えて撮ったようだ。

 しかし水平が出てないなあ。今なら電子水準器に頼って水平出すんだけど。そこは機械の進歩に助けられてる。

 C-1400XLはアスペクト比5:4のかなり縦に長い画面ってせいもあるけど、空がちょっと多いかな。もうすこし下げてもよかったか。
 どうせなら歩道からじゃなくて、車が切れたところで車道に出て、ちゃんと道路が画面の真ん中に集束するように撮りたい気もする。

 

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 これは旅行で、愛媛県の遊子水荷浦の段畑に行ったときの写真だ。
 さすがに場所自体がすごい景色のところだと面白い画にはなる……のだが、手前の木……。

 しかしまあ、どこかの高台に登って視点を高くして撮るくらいの工夫はしてたようだ。下から・上からといろいろ工夫した形跡はあった。
 上手くなろうとしてる努力はしてたのかもしれない。

 

2003年にXV-3で撮った写真

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 これも遊子水荷浦だ。ホトケノザを下から見上げるように撮る、というのは段畑ならでは感はあるな。
 今ならもうちょっと背景の整理とかに気を使えるんだけど、まあ、面白いものを見つけてはいる。

 

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 瓦のパターンに、落ち葉のアクセントを見出したらしい。
 影と明かりで画面を分割してあったりして、16年前の私にしてはいい方だ。

 

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 2003年頃の私は、なんとなくこういう感じの写真をよく撮っている。
 ある程度構図を考えてるっぽいんだけど、そもそも距離が半端に遠い。それで何を撮りたかったかわからない写真になりがち。

 私は後に望遠レンズを持ったら写真が良くなったタイプなんだけど、昔から距離が遠いんだろうなあ。

 

2003年にKD-400Zで撮った写真

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 あじさい。
 ぽんぽんぽん、と3つ配置する構図は、今でもやるかもしれん。
 ただ、今やるなら左に写り込んでる半端なやつを入れない。
 このアジサイに対してなら3つは諦めて、もっと寄って、左下のやつが画面2/3を占めるくらいにして、右のは脇役にしちゃう構図にするかなあ。

 

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 AWBで撮ってから、ホワイトバランスを太陽光にして撮り直すという工夫が見られる。この辺は、今の私は「RAWだと後からやれる」と済ましてしまう部分やなあ。

 構図が悪くて、もうちょっとカメラが上を向いてるべきだな。目を引くポイントを画面を1/3に区切ったライン上に置く(ファインダーにそれを表示できる)、というセオリーにこだわりすぎたんだと思う。惜しい。
 換算70mmでF3.7、ISO100で1/8.6秒というのを、わずかなブレで抑えたのはよく頑張ったと思う。息止めて身体をなにかに預けて、とか当時は工夫してたな。今なら手ぶれ補正と増感で終わり。機械がよくなると楽。

 

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 丹波立杭焼の登り窯。
 もっと画面を斜めに横切るように、左下から右上に向かうように窯を入れたいところか。そもそも窯の下から撮るほうがよかったかも。
 こういう構図で、かなり窯にカメラを寄せてるのは悪くないか。

 水平は……まあ、多分無理な姿勢で撮ってるから仕方ないか。

 

上手くなっているか?

 16年前の自分の写真に講釈を垂れる程度には、理屈は身についているようだ。それを上手くなったというのかは別として。

 ただまあ、理屈が身につくと、「箸にも棒にもかからないようなハズレ写真」というのは大幅に減っているように思う。
 やっぱり、16年前の写真は大半が全くどうしようもないような、ただカメラ向けてシャッター切っただけ、何の意図もわからないカットだらけだ。
 今回選んだ古い写真は、「何か考えて撮影したな」と今見て感じられたカットだけど、それが50枚に1枚とかしかない。

 今はもう少し、「これなら絵になるかも」というものを見つけて、「今つけてるレンズならどう撮るか」と気が周り、結果をある程度予測しつつシャッターを切れてるように思う。
 シャッター切る前に「やっぱ無理だな」と思い直すことも多いし、撮った直後に「やっぱダメだったな」と思うことも多い。

 結果、撮影枚数自体がかなり増えてる(2003年当時は一日出かけて30枚くらいとかだが、今はすぐ100枚くらい撮る)し、明らかに失敗と思える写真も減っているから、まあ「見られる」という写真がかなり増えた。
 傑作だ、と思うほど良い写真は、今でも少ないけれど。

 

 あとまあ、機械が良くなってるせいで失敗しなくなってるのもあるよね。昔は手ブレでアウトになる写真も多かった。
 やっぱ新しいカメラはいいなあ。電子水準器バンザイ、手ぶれ補正バンザイだ。