たまに鶴見橋商店街に買い物にいくので、ついでに花園町のあたりを少し巡った。
鶴見橋商店街の「越前屋」というスーパーがすごく安いのだ。
ところで、上記のマップには、私がネット上で探せる範囲で見つけ出した旧町名継承碑の位置をプロットしてある。
もし私が見つけてない旧町名継承碑の情報があれば、コメントにでも送ってもらえれば幸い。
目次
訪問記2月21日
西萩町(西成区)
現在の住所で、花園北2丁目16番地。
西萩町、というと、じゃりン子チエの舞台の名前だ。
私はてっきり、萩之茶屋駅の西側あたりをざっくりイメージして「西萩」という架空の地名をつけてるのだと思ってたら、実在していた。
じゃりン子チエの舞台は昭和53~4年くらいらしいが、西萩町という町名は大正14年から昭和48年まで存在した。昭和53年にはもう消えてはいるけど、「ごく最近まで使ってた地名」という感じだろうか。
そしてチエちゃんの通うのは西萩小学校。あいにく実在しないようだが、この旧町名継承碑は弘治小学校の北東角にある。
近隣の小学校は今宮小学校・萩之茶屋小学校があったが、今宮小はちょい北、萩之茶屋小は南海本線の東側で、西萩じゃなく東萩町だ。この弘治小学校が、西萩小学校になるのかな。
(なお弘治小学校・萩之茶屋小学校ともに児童数減少により廃校になっている)
しかし、西萩からほんのちょっと行って国道26号を渡ると、70年代末なら大阪屈指の賑やかな商店街だったはずの鶴見橋商店街がある。
チエちゃんの住む町が、そんな華やかな商店街に隣接するところの雰囲気には、ちょっと思えない。
チエちゃんやテツの気配はすれど、しかし現実にあの景色は現れてこない、異世界との狭間みたいな雰囲気がする町であった。
東萩町(西成区)
西萩があれば東萩町もある。
萩ノ茶屋駅を下りて改札を出て、ガード下を東側に出たところだ。住所は萩之茶屋2丁目10番地。
町名の由来を看板に従って読み取ると、まず、明治のはじめは単に西成郡の今宮村の一部だった。(なにか小字があったかもだけど情報なし)
「当町域付近に所在した萩の植込みをもつ二軒の茶屋(萩之茶屋)」というのが町名の由来という。
で、萩之茶屋から名を取って、明治40年に南海電鉄が駅の名前にした。
それから大正14年に今宮村が大阪市に編入されて、萩ノ茶屋駅の西と東にあるから、ということで、東萩町と西萩町ができた。
ちなみに、萩之茶屋は本店が廣田神社(今宮戎神社のすぐ近く)の門前だったそうで、萩ノ茶屋駅近くにあったのは支店らしい。徒歩で住吉街道を歩いてる人向けの商売と思うが、よく儲けてたのだなあ。
東四条一~三丁目(西成区)
花園公園にあるのだけど、あいにくこの公園はフェンスで区切られていて中に入れない。使うときだけ申請するような公園だ。
まあその、あいりん地区すぐ近くなもんで、どうしてもホームレスの方が住み着いてしまうからなんだろうけど、うーん。締め出すことが解決ではないし、この虚しく機能を失って閉ざされた公園というのも美観として最悪だと思うけど……
さておき、住所は花園北1丁目9番地。
元々今宮村の小字として東四条があり、今宮村が大阪市に編入されたとき、西成区東四条になった。
昭和18年、関西本線(このへんでは今の環状線と同じ)より北は浪速区となることになったので、東四条三丁目の一部が浪速区に割譲された。
それから住居表示の実施で消滅。
現在の花園北1~2丁目と、萩之茶屋1~2丁目の一部になったらしいので、南海本線をまたいで両側に町域があったようだ。
西四条一~三丁目(西成区)
NTT関西ネットワークセンタ今宮ビルという、目立つ電波塔が立った建物がある。その北西角に碑がある。
住所は花園北2丁目4番地。
こちらも東四条と同じように、今宮村→大阪市西四条→関西本線以北を浪速区に割譲→住居表示の実施にともない消滅、という道を辿った。
この碑は、旧町域の東寄りにあるようだ。
現在の花園北1~2丁目はわかるとして、中開1丁目・出城1丁目・長橋1丁目・鶴見橋1丁目の一部になったとのこと。
関西本線以北にも旧町域があったので、今の大国町とかも入りそう。
というわけで、今回は4つだけ。
じゃりン子チエの聖地だから、今回は巡礼だったな。