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大阪市「旧町名継承碑」めぐり(12) 西成区今船

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 西成区の、阪堺線の今船駅あたりにまとまって存在するのでチェック。

 

目次

 

訪問記4月21日

東今船町(西成区

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 場所は、阪堺線今池駅すぐ東のコンビニ前。
 碑の向こうは、かつて今船ロータリーといわれていたロータリー交差点があった。

 

 今船町という地名の由来は、昔はこのへんが海岸だったから、船の出入りが多かったから、という。
 まあ上町台地以外は水没していた時期もあったくらいだし、タイミングによってはこのへんが海岸だった時期もありそうではある。

 住居表示を実施する直前のものと思われる地図によれば、東今船町ってずいぶん小さい、しかも三角形に変に区切られた感じの町域だったようだ。(上のGoogleマイマップにも町割のレイヤーがあるので参照のこと)
 次の西今船町の碑文によると、元々の「今船町」はかなり広大だったっぽいんだけども、なぜこんなに縮み果てたんだろう?

 

西今船町(西成区

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 今池駅から道を渡って南、今は屋根が壊れてブルーシートで覆われている地蔵尊のすぐそば。

 こちらの碑文によれば、まず明治以前から「今船町」という地名があった。
 それが、阪堺線の線路を基準に東今船町と西今船町に分けられた。阪堺線明治44年に開通したから、それよりは後だ。
 で、大正14年に今宮村が大阪市編入された。
 それから、昭和18年に行政区画の変更があって、「関西線南側以南が西今船町となった」とある。これが謎だ。関西線なんてだいぶ北だぞ。

 これもしかして、関西線の新今宮駅南側すぐにあった西船町の碑に書くべきことを、誤って西船町の碑に書いちゃってる?

 

曳船町(西成区

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 今池駅を出て右手。道の向こうに西今船町の碑が見えている。

 かつて遠浅の海浜がここまで迫っていて、沖合の船を海岸に曳きよせる慣わしがあったのが町名の由来とのこと。

 

三日路町(西成区

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 ぜんぜん目印になるようなものがない道端に立っている。杏林記念病院前から東にちょっと行ったところ。

 町名の由来も「旧小字名による」とだけで、どうにも書くことがないな。
 以前「三日路ふれあい寄席」というのが開かれていた形跡があるんだけど、どうも情報がはっきりしない。

 

梅通一~九丁目(西成区

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 さっきまでのと同じ道沿いだけど、ずっと西の方。南海本線を越えて更に西にいったところ。梅南2公園にある。

 西成区国道26号線西側(旧木津村の地域)は、東西に長い短冊状の町割になっている。
 住居表示実施前は、「○○通」という東西に走る道の両脇を町域にする町割りだったらしい。住居表示の実施により、道を境界にするように再編され、町名から「通」が消えた。

 で、なぜか「梅通」と「梅南通」とがあったのが、「梅」じゃなくて「梅南」に統合された。なんで……?
 すぐ北では、「旭通」と「旭南通」が素直に「旭」になってるのにな。