少女漫画を正しく理解できる回路を私は持ってないんだけど、女性向けの深夜アニメは結構好きで、気が向いた作品は見ている。
まあ、女性向け作品で描かれる嫌がらせとかの手口が、男の私から見るとすさまじい悪意に満ちていて、本当に怖かったりする。そんなのをホラー的に面白がっているので、あまり正しい見方ではないと思うけど。
「3D彼女」でも、小学生の妹を利用して痴漢冤罪をかけて警察に連行させるなんて、実にえげつない嫌がらせがあった。しかも主人公がアニメオタクだから、周囲がみんな幼女にイタズラする変質者だと信じ込んでしまう。
こえー。
しかもこの作品の場合、あの痴漢冤罪も、主人公がいかに蔑まれた恋愛弱者かを示すための一要素に過ぎない。
この作品は、恋愛弱者が恋愛をするとどういうことになるか、というのを、生々しく描いている作品だ。
生々しくもっともらしく、執拗に描いている。そしてそれが実に悲惨で怖い。
男性が、特に希望していない恋愛沙汰に直面した場合、どうなるだろうか。
拒絶すると、周囲から非難される。
女性の側から好意を示すことは、現代では異常なことではない。けれども、男性側からよりハードルが高いのも確かだ。だから、それを無碍に断るとは何事だ、となる。理路はわからなくはない。
男のくせに女性に好意を持たれて嫌がるのは異常だ、という非難もある。この理路は承服しづらいが。
では応じてしまうとどうなるか。
恋愛などする気もなしに生きていたら、急にやれと言われても対応できる体制がない。あまり上手くはやれない。
すると、「ちゃんとやれ相手に失礼だ」と非難が周囲から飛んできて、ろくでもない男だとレッテルが貼られる。
まさにこのアニメで描かれていたやつ。
この構図を男女ひっくり返してみると、戦前の封建社会みたいだ。
男が勝手に女性を見初め、嫁にほしいなんていいだす。
そしたらお互いの家族や親族が続々現れ、「あんな家の娘では」と蔑まれたり、逆に「いいところの人だから是非嫁に行け」と個人の意思を無視した都合を押しつけられたりする。
断ればもちろん非難囂々。
仕方なく受け入れて結婚したら、今度は「うちの家では嫁はこうするんだ」と周囲の要求する嫁であることを強要され、「夫に尽くせ」と圧力をかけられる。
まあ、法制度上の縛りがいろいろついてくる結婚と、その遙かに前の段階の恋愛とではだいぶ違うのだけど、周囲が当事者に横槍を入れまくる構図が同じ。
封建社会が終わって自由主義が来て、こういう本人の意思を無視した結婚はよくないとされる時代が来たはず。
だけど気がつけば、男女逆にした同じ目線が、男性に向けて再構築されているのだ。
また、「3D彼女」で描かれている通り、男性側がアニメオタクだとかの、いわゆる恋愛弱者だったら余計に周囲の圧力が強くなる。
「おまえみたいな奴にこんないい女の子が好意を寄せてくれているのだから」という、実に無礼な蔑みが当然の前提とされる。
恋愛関係におけるトラブルはすべてオタク男のせいに決まっている。周囲がそう決める。
弱者男は常に反省しなければならず、謝罪しなければならず、行動を改めなければならず、不足は必死で挽回しなければならない。相手ではなく、周囲がそういって彼を責め立てる。
恋愛弱者と強者の組み合わせの交際は、当人よりも周囲が納得する形で行われなければならない。自由はどこに行った。
この点について、「3D彼女」は実に生々しくリアルだ。
そして残念ながら、弾圧される主人公のつっつんは、ぼろくそに罵られながら周囲の圧力に矯正され、納得される恋愛をやろうと苦心惨憺するのだ。
哀れなりつっつん、キモいモテないオタク野郎と蔑まれてきたがゆえに、「恋愛のひとつもできないモテない男は悲惨だ」という思い込みがコンプレックスになっているのであろう。
転がり込んできた機会を逃してはいけないと、必死にしがみついてしまうのだ。
しかし、恋愛にしがみついている限り、果てしなく人格を否定され続ける。恋愛弱者と強者の格差を埋めたと周囲が認めるという、おそらく絶対こないであろう時が来るまでは。
その終わりなき侮蔑に堪忍袋の緒が切れたときには、「恋愛など不幸の源泉でしかない」と固く信じ込んだ悲しい青年が生まれてしまうのだろう。
「3D彼女」は悲惨なリアリズムを追求する作品ではないから、そんなエンディングは描かれるまいが。
恋愛なんかする気がないなら、突然機会が転がり込んできても、する気がないことを貫徹した方がいいのだろう。
恋愛する気がない生活をしている時点で、よほど何か際立った特長でもなければ、自動的に恋愛弱者に位置づけられているはずだ。
機会を放り出すことにも散々文句はつけられるだろうが、機会にしがみついて果てしなく侮蔑され続けるよりは、一時のことで済む。
ああ、なんだか昔読んだ本田透センセイの「電波男」とか「萌える男」を思い出す。
あの頃確か、間違ってモテてしまわないように防御態勢を固めることを「護身」とかいってたっけ。
護身しよう。二次元を求めて孤立を恐れず。
思えば、私は本田透センセイのちょうど10歳下だな。
彼がすごいパワーで本を書いていたのが、今の私と遠からぬ年の頃か。
ところで急に話が変わるようだけど、護身が必要になるような事態、つまりその気のない恋愛沙汰を差し込まれる事態って、いい歳になってから発生することがあるらしいのだ。
私の周りの男どもという極めて狭い範囲ですら、30をとうに過ぎて突然彼女だ結婚だという事態になったケースが、複数発生している。あなたの周りにもなかろうか。
これはなんでだろう、と考えて、ひとつ仮説が立っている。
若い頃だと、私らのような恋愛する気がない男どもって、着飾らないから見た目でもわかる。行動様式も明らかに違うから、知り合うことすらない。
だから自然と放っておかれる。
確か倉田真由美のエッセイ漫画だったと思うけど、女性にとってはヒエラルキーが下過ぎる男性は不可視の存在だ、というようなこと描いてたのを見た覚えがある。
まあ実際そうだろう。こっちが見えるところに行ってないのも確かだし、見られる気がないんだから見えてない方が想定通りだ。
しかし30代にもなると、周囲の状況が変わってくる。
結婚した人も増える。結婚したら当然、妻以外の女性にアピールするような態度や行動は取るべきでなくなる。
また、以前は恋愛をしていたという男性の中にも、諦める人たちが出てくる。まして、経済的理由で諦める氷河期世代が、今30代後半から40歳前後だ。
そうすると、男性の平均的な水準がどんどん下がっていく。
外見ひとつとっても、ただでさえ老化が現れてくるのに、かまわない人は増える。かまっているつもりでも、すっかり古くなったセンスのださいおっさんになりがち。
そうなると、昔から恋愛する気もなく過ごしてきた連中が、変わらずボサっとした格好をしていても、平均が勝手に下りてくる。
外見以外にも、いろいろな要素がそうなってくる。
そして気がつけば、恋愛対象内に繰り上がっている。
今まで、こっちにその気がないからあちらもそうだろ、と思ってたら、いつの間にか検討対象にされている。
検討されてしまうと、たまたま持ってた長所が要求に合致したとか、絶対にお断りだという短所を持ってなかったとかで、合格する場合もある。
もちろん、検討されて却下されてることも多いだろうから、「30過ぎたら自然にモテる」とか勘違いしてはいけないが。生涯未婚率は上がる一方だぞ。
私の知ってるケースはいずれも、同性から見れば好人物といえる、ほんとに単に恋愛する気がなかっただけ、みたいなタイプだ。
まあ、仮にそういう機会が降って沸いてしまった場合、どうすればいいか。
当然想像されることとして、「30過ぎて恋愛の仕方もわからないのはよほど酷いボンクラ」と、若い頃よりも酷い周囲の圧力がかかる。
その上で、年齢的に早めに結婚しろと要求されるので、短期間に最終的な決定まで求められる。
一方、中高生のように人間関係の窮屈な生活は、必ずしもしていない。職場の人間関係なら、プライベートには干渉されないことも多い。されることもままあるが。
ちょっと言い方が悪いかもしれないが、まあ売れ残り同士だ。今更どっちが上もなし、アニメみたいな格差カップルにはならない。まあ周囲が勝手に上下をつけるかもしれないが、自分で自分が下だと思い続けるよりは楽だ。
ケースバイケースだから、絶対に突っぱねろとも、絶対に逃さず結婚まで行けともいえない。
ただ、このだらだら長い話の論旨は、「恋愛弱者が恋愛なんかしたら周囲の干渉が酷い」ということだ。そうなることが予想されるか、それを回避できるかは考えた方がいいように思う。
30年以上恋愛する気もなく生きてこられた者が、そんなに意欲があるはずもない。意欲を持とうという意志があっても、心身ともにそんな元気はついてこない。
10代の若者のように、干渉に耐えながら生き方を変えていくような活力は、30代にはない。
「3D彼女」は、最悪の場合、どれだけ心身ともに消耗させられる事態になるかを知るために役立つ。
恋愛の仕方の参考にはなるまい。つっつんの真似できると思ってはいけない。奴はあんなのに耐えられる点で、さすがの二次元主人公だ。とても敵わない。