堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

西へ。 ~White Castle Himeji~

 遠方の友人が、白いうちに姫路城を見たいという。
 2009年~15年で大改修があって、通称通りの白鷺城に戻っていた姫路城なのだが、瓦まで白く塗っていたのが3年ほどで落ちるらしい。今ならまだ白いに違いないと。

 しかしまあ、大阪か岡山在住くらいでないと、なかなか姫路日帰りも難しい。
 せっかくだから友人を集め、一泊してろくでもない悪の集会を開こうということになった。

 不思議なもんで、20年前に、まだアナログモデムやISDNで繋いでいた頃のインターネットで知り合った連中が、声をかければ10人やそこらは集まってしまう。

 

 

f:id:mubouan:20180625122941j:plain

 友人とぞろぞろ連なって歩いて、しかも私がカメラにつけてたレンズが超広角。あらゆるカットに友人が写りまくっている。まあ大体後ろ姿だけど。
 このカットに写っているのが私の友人であるかは神のみぞ知るところである。

 

f:id:mubouan:20180625124755j:plain

 入場ゲート前でちょっと右に逸れると、下山里丸の石垣が「黒田官兵衛の作った」という案内つきで展示されていた。
 前来たときそんな紹介なかったぞ。「軍師官兵衛」の後になってつけたやろ。

 右手、石垣の角のところの算木積み(左端にちらっと見えてる、整った形の石を角だけ積み上げてるやつ)がないのが、戦国時代中期くらいまでの古い形式。
 こういう石垣にしてる時期なら、秀吉が姫路城を統治していた頃のものだと。

 秀吉が三木合戦で別所長治を下して姫路に入ったときに、黒田官兵衛が普請を命じられている。その時にやったものだろう、ということになったようだ。

 

f:id:mubouan:20180625125822j:plain

 入って櫓を見ると、ちょっとだけ瓦の白塗りが落ちずに残っていた。

 

f:id:mubouan:20180625124742j:plain

 西の丸に入って天守の方。
 西の丸は、外周側に長く長く連なった多門櫓があって、その中を「百間廊下」と公開している。

f:id:mubouan:20180625130400j:plain

 もちろん防御施設でもあるけど、一部には人が住めそうな部屋も作られている。
 西の丸には城主の生活用に御殿が建てられていたので、その外周の櫓の中の部屋は、奥女中の住むところになっていた。

 百間廊下の奥には、本多忠刻千姫が嫁いできたときの化粧料で建てられた化粧櫓がある。御殿が残っていないので、千姫にゆかりのある数少ない残存施設。

 千姫は、秀忠とお江ちゃんの間に生まれたというのに、ずいぶん波乱の人生を歩むことになった人だ。
 秀頼に嫁がされたもんだから、大坂城ごと焼け死にそうになったところをなんとか救出さる羽目に。
 そして本多忠刻に嫁いでから姫路に住むことになった。
 二十歳で姫路に来て、二十代をここで過ごした間は、夫婦仲もよく子宝もあった。姫路城的には、千姫が人生で一番幸せだった時期ということになっているようだ。

 もちろん、家康が「千姫を助け出したら結婚させてやる」というから必死で助け出したのに振られた坂崎直盛のことにはあまり触れていない。
 燃える大坂城に飛び込んで火傷を負いながら千姫を救出したが、その火傷の跡を千姫が嫌がって袖にした……という悲しい説は、さすがに俗説らしいが。
 ともあれ、振られた直盛は怒りのあまり、本多忠刻に輿入れする千姫を襲撃して物理的に略奪婚しようと企てていたが、バレて誅殺された。
 徳川家としても、元々怒らせた原因にちょっと遠慮するところもあったのか、形の上では切腹にされている。

 その呪いかなにかはわからないが、忠刻と千姫の間の男子は三歳で夭折。忠刻までもが31歳の若さで結核で早世。結局、千姫は30歳を前に江戸城に引き取られる。

 

f:id:mubouan:20180625134457j:plain

 西の丸を出ても、天守は見えるがなかなか近づかない。

 やっと入った天守は、面積はそれほどでもないとはいえ六階建て。急な階段をどんどん上る。
 多分建てた当時の想定身長が5尺くらいなんだろうけど、階段の天井が低すぎて恐ろしい。180cm級の現代人だと、頭が当たるどころか背負ったリュックが引っかかったりしたわ。

 

f:id:mubouan:20180625135319j:plain

 最上階にはお社があったので、これは歴代城主を祀ってるパターンかな、と思ったが違った。姫路城のある山に以前からあった、刑部大神を祀っている。
 天守を空襲の火災から守ったということで、霊験あらたか。

 姫路城はあまりにも城主が変わりすぎているから、一貫したお社に祀るのは難しいかもしれない。

 

f:id:mubouan:20180625135749j:plain

 怪談「番町皿屋敷」の元ネタらしい浄瑠璃播州皿屋敷」に出てくる井戸が、黒田官兵衛が作ったことにされていた石垣の上、上山里丸にある。

 なぜか小銭が投げ込まれまくっているが、日本人の習性なんだろう。

 

 今回はうっかり見落としたが、このへんから「腹切丸」という、なんだか妙に陰気な郭がある。
 日当たりが悪くて、うっかりすると見落とすような変なところにしか通路もない。おそらく城の東側を防衛する郭だろうとはいうものの、なんか変な雰囲気。
 いつのまにか、「これは罪人が切腹するための場所だ」といわれるようになったのが腹切丸。

 以前行った時に見たら、ほんとに不気味でなかなかよかったのだが。まあ、次は寄ろう。

 

f:id:mubouan:20180625140814j:plain

 城にはけっこう猫がいる。

 

 それから、城内に動物園がある。
 たった200円で入れるのだが、なかなか充実度が高い。

f:id:mubouan:20180625141108j:plain

f:id:mubouan:20180625143309j:plain

f:id:mubouan:20180625143329j:plain

f:id:mubouan:20180625143356j:plain

f:id:mubouan:20180625143415j:plain

 おっさんが動物に癒やされて悪い法やある。

 1時間くらいで出たけど、なんならもっと過ごせたなあ。

 

 

 この後、姫路駅で飲み屋に入って、呑みながら本当にろくでもないトークを繰り広げた。たーのしー

 20年前にネットに触れていられたのは幸せだったな。
 結構年も立場も違う面々が、ただ同じ趣味を媒介にしてフラットに集まっていられた。そして未だにそうしていられる。

 

 それから酒を買って宿に移動して、また呑みながら深夜まで本当にろくでもないトークを繰り広げた。たーのしー

 こういう集まりでは、やはり合宿所みたいなところで、好き勝手に呑みたいだけ呑んで潰れたら順次寝床に撤退する、というようなことができる宿がよかった。
 今回は、ビジネスホテルなんだけど最上階がスイートで、リビングに居室が4つついた部屋になっていた。値段はビジネスホテルの値段で、実によかったな。

 

f:id:mubouan:20180625151450j:plain

 翌日は、飲み過ぎてへろへろになってたり、仕事があるからと早めに帰る面々などが順次脱落しつつ、明石海峡大橋に寄り道。橋の科学館など見てきた。
 姫路から神戸の間で、ちょっと寄る程度で大物を見られる場所としてはベターな選択かと思う。本四連絡橋が3本もあるから関西ではちょっと見慣れてしまっているが、そもそもこんな橋が必要になる場所が東になかろうし。

 

 帰りの予定は距離も方向もバラバラなので、流れ解散して私も大阪へ戻った。

 知り合って20年も経ってる面々が、未だに変わらずこんな遊びに付き合ってくれるというのも、ありがたいものだ。

 

 帰ってきた日の夜に、ネットで恨みを募らせた人が有名ブロガーを刺殺した、なんて話が飛び込んできた。
 犯人も私と同じような年頃で、無職というからいろいろ上手くいってなかったのかと思う。
 加藤智大の時にも思ったけれど、現実世界で社会的にも経済的にも疎外されて、ネットでまで侮蔑された末に、というの、必ずしも理解できなくもないから怖くって。

 私の場合は、ネットで友人に恵まれて充実しているがために、憎悪を燃やしてまで特定のサービスとかコミュニティに執着する必要がない。それで救われてるだけかもしれないなあ、とは思う。