先週末は、遠方に散っている古い友人らと名古屋に集まっていた。
名古屋といえば信長公を世に出した土地。広い濃尾平野は古くから重要な土地でもあり、多数の城があった。
城をめぐりまくろうぜ、というプランを練っていたのだが、さすがに丸根砦や岩倉城、荒子城などは歴史知識的に難易度が高いのと、そもそも現在城跡らしいものが残ってない。
結果、犬山城→小牧山城→名古屋城、と、比較的オーソドックスなところを攻めることにした。
犬山城
犬山城は現存12天守のひとつで国宝でもある、知名度は非常に高い城ではあるのだが、実際来ると意外と小さい。
まあ、犬山藩を治めた成瀬氏は3万5000石程度で案外小藩だ。尾張徳川家の家老、つまり陪臣だったから独立大名でもなかった。
しかしまあ、城の良し悪しは大きさで決まるものでもなく、歴史的な景観の城下町を通って城山までくれば、大きく神社が構えている。ちょっと上がれば国宝天守。
城初心者にも楽しみやすい。
城とまちミュージアムでは、この江戸時代の犬山を模したジオラマと、各種文化財の展示。
犬山城とセットの入場券で、「城とまちミュージアム」「からくり展示館」「どんでん館」に安く入場できる。
この写真はからくり展示館をアート気取りに撮影したものだけど、基本的にあそこはブキミ・アトモスフィアがある。
どんでん館では、地元の祭の山車を展示している。
町並みは歴史的な商家らしいのも残る一方で、そういう建物にどんどん観光客向けの商売人が入居して食べ物や雑貨を売っている。
ま、正しい。静かで美しい城下町は私がひとりで行く分にはいいんだけれど、持続性に問題がある。犬山には実際観光客も集まって賑やかだ。
小牧山城
小牧山城は、信長が美濃を攻めるにあたって尾張北方に構えた城。
たった4年で放棄されているので、ちょっとした砦くらいのものかと思われていたんだけれど、近年の発掘調査などからかなり本格的に城と城下が開発された、清洲に次ぐ信長の本拠地だったとわかってきた。
後に小牧・長久手の戦いで、家康が拠点にしたこともあり、そのときにかなり大規模に改造されたという。
だから、発掘調査で石垣が見つかってもその時のものだろうと思いきや、使われている石材が、その時秀吉方が拠点にしていた山から取れるものだった。じゃあ、信長時代から石垣を積んでいたと考えるしかないと。
写真の模擬天守は、1967年に建てられた博物館兼展望台。
他に、小牧山城史跡情報館という新しい展示施設もできていて、最新の調査結果をプロジェクションマッピングなどハイカラな技術を駆使して紹介している。(なぜか日根野弘就をやけに重く扱っているところがあって首をかしげたりしてたけど)
天守からの景色は、実に濃尾平野を一望する感じで、ここらを治めるにはいい立地にも思う。
まあ、信長は稲葉山城を落として美濃を取ったら、小牧山の町ごと稲葉山=岐阜に移転してしまったのだけれど。その後の尾張はまた清洲を中心に治められてたようだし、小牧山は新しい街づくりの実験みたいなとこだったのかね。
名鉄で駅からくると2kmほど離れているけど、城の隣にアピタがあって、その前から名古屋まで直行するバスが出ている。
名古屋城
名古屋城はねえ、まあ別にいまさら何をいうほどでもない有名なとこだから。
しかし、こういうだだっ広い平城は結構写真が難しい。ただただ天守や櫓を写した程度の月並みなカットばかりになってしまう。しかも天気が悪くなってきた。
現在、天守は改築するとかしないとかで、公開中止で立ち入り不可。
そろそろ取り壊しの準備も始まるらしいから、外から見られるのも今のうちかなあ。
かわりに本丸御殿ができていた。
ひとつ前の写真で長い行列があるが、これが本丸御殿入場待ち。かなり長い列ではあるけど、そこそこいいペースで進む。この状態から並んでも20分程度の待ちで済んだ。
中はさすがに真新しい。
元々は城主の住居、しかし将軍上洛の御成所にされちゃって、城主は二の丸御殿に移ったとか。
立派さで言えば二条城本丸御殿にも劣らない壮麗なやつ。
一緒に行った歴史ファンの友人によると、「尾張徳川家のノリだと、上洛殿を立派にするのは『将軍様のために』っていうより『おら尾張の力を思い知れあんまりナメるなよ』という感じじゃないか」というような話だった。
立体的な透かし彫りの彩色欄間もすごいなと思ってたが、これは富山の井波彫刻だそう。
堀の水が抜かれていて、底に石材が並べてある。
石材は他にもたくさん集められている場所があったが、どうやらこれも、石垣の補修作業の一環らしい。
本丸御殿と天守だけでなく、全体的に手を入れるようだ。
もっと城らしさが増すようにやるんだと思うが、今の姿も今のうちしか見られないのかも。