堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

リニア鉄道館・荒子城跡

 トヨタ博物館のあとは日を変えて、用事もあったのでそれを済ませ、午後からは名古屋のリニア鉄道館に向かった。

 

リニア・鉄道館~夢と想い出のミュージアム~

 これが正式名称らしい。

 近頃レゴランドの不調が話題の金城ふ頭へと、あおなみ線に乗って向かうと、駅前、レゴランドの反対側にある。
 ゆーてもレゴランドの袋持った人ずいぶん見かけたけどな。私が興味あるかというと、レゴみたいな高いおもちゃ買い与える家じゃなかったから特に想い出ないけど。

 

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 リニア鉄道館、2011年と最近できただけあって、まだまだ真新しい感じ。設計が21世紀だねえ。

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 中に入るなりこのカッコいい展示。
 大阪もかつて弁天町に鉄道博物館があったもんだけど、あれはもっと素朴だった。

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 C62-17、かつて木曽川橋梁の強度試験のために走行して129km/hを記録、狭軌での蒸気機関車世界最速記録。

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 見たことありそうな形だけどそのはずはない、300Xこと955形新幹線試験電車。443.0km/hを叩き出した、当時世界最速の電車。

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 でもって、超電導リニアMLX01-1。2003年に581km/hをマークした世界最速の鉄道車両

 こういう世界最速車両3台でもって出迎えてくる。MLX01は中も入れる。普通に新幹線っぽい。

 

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 エントランスを抜けると、列車を並べた大きなスペース。

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 300系新幹線。改めて見ると別に300Xとさほど似てもいない。
 私が初めて乗った新幹線は、多分できたばかりのスペースワールドに連れて行かれた1990年あたり、300系デビュー直前か。100系しかなかった頃って、多分私には0系と100系の見分けがついてない、ただ「ひかり号」だった気がする。
 新幹線に乗り込むプラットホームで、入線する新幹線に写ルンですのシャッターを切って、結局ブレててダメだった、そういう記憶があるんだけれど、あれは確かに300系だった。ただ、何の時にその写真を撮ったかわからない。

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 知らない車両で、なんとも新しいような古いような、不思議なデザイン。モハ52形というものらしくて、元は京阪神間の急行として作られてたそう。

 戦後すぐに阪和線に投入されていて、その時にマルーンとクリーム色のツートンに塗られたものがあったそうだ。もしかしてこの色? 
 しかし大阪生まれ育ちとはいえ、これが阪和線を走っていたのは私が生まれる20年は前っぽい。見てはいないだろうなあ。
 記憶の阪和線車両はいつも103系、それから関空快速の223系。

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 見るからにレトロなモハ1形国鉄どころか鉄道省1921年製。戦前に三信鉄道(現飯田線)、戦後に大井川鉄道に流れていき、94年にJR東海が回収して復元。
 阪堺電車で内装が木造のやつには現役車両として乗ったことがあるけれど、外装まで木造はないな。大井川鉄道は一体いつまでこれ使ってたのだろう。

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 もっとレトロに見えたけど同じ大正生まれで10歳足らずの差、1913年製のホジ6005形。よく見ると煙突が生えてる。車両の中に蒸気機関を収めて単独で運行できるようになってる蒸気動車というものだった。
 そんなもん乗る客は恐ろしく暑苦しいと思うのだけど、ローカル線用の簡便な車両として使われていたそうだ。

 今でも「気動車」というのは、もとを辿れば蒸気動車を略して蒸が取れたものだとか。そういえば確かに、ディーゼルエンジンなんかをもって「気動」とは、ちょっと不思議な感じではあったなあ。

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 中から見たらこの有様。暑そう。実際の運行のときはドア閉めてたかもしれないが、そうすると狭く閉ざされた機関室の運転士と機関士が地獄ではないか。

 

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 この作った当時は先進的だったんだろうけど今見ると完全にダサい感じになってるデザインは、やはりの80年代センス。1988年に生まれたクロ381形。特急しなのの先頭車両として、グリーン車パノラマカーをやってたそうだ。

 

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 屋外には、ケ90形なる軽便鉄道用の豆機関車。太多線の元になった東濃鉄道で使われていた。762mm軌間用、三岐鉄道北勢線とか、あすなろう鉄道なら走らせられるか。

 奥に見えるのは117系で、中で弁当食っていいスペースとして利用されていた。冷房付き。

 建物が充実している分か、屋外展示はごくわずか。弁天町にあったやつは屋外もかなりあったもんだけどね。

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 それからジオラマコーナーに戻ってみたら、車両を走らせるデモをやっていた。20分のうち末尾5分位を見たせいだろうか、わざわざ照明を落として夜として、検査車両とかを次々走らせる、わりかしマニアックな内容だった。
 一応手を置くところはあったけど、手持ちで換算70mmの望遠、スローシャッター0.8秒を一応ブレて見えない程度に抑えつつ、流れる車窓の明かりを線状に捉えたラッキーショットよ。

 

 トヨタ産業技術記念館もいいけれど、こちらもおもしろい博物館であった。素晴らしい。
 インドあたりから来たらしい人たちの団体があったけれど、ずいぶん楽しそうにしていた。わざわざ海を渡ってここに来るとはチョイスがいいなあ。

 

荒子城跡

 さて、あおなみ線は途中で荒子を通る。
 「花の慶次」を読んで育った我々の世代には、前田利久から利家に引き渡されることになった荒子城を、正式な辞令なしには渡せないと偽兵の計を使って慶次と助右衛門が守った、あのエピソードで知られる。
 これはひとつ見にいってみねばなるまい。

 荒子駅からちょっと行ったところに荒子公園があり、荒子城跡はその中にあるかのようにGoogleマップで出ていた。
 私はそのつもりだったが、駅前で近隣地図を見ると、公園ではなくもっと南に離れた神社にあるという。
 結果的にGoogleマップが間違いで、修正報告しておいたが、まったく困ったもんだ。 

 ところで荒子で下りてから、奇妙にカメラの調子が悪くなった。
 荒子前田利家の生誕地であるとプッシュしているようで、駅前にも利家公初陣の像が作られていた。当然撮影しないはずがないし、した記憶もはっきりあるのだが、SDカードにない。
 荒子公園まで行って、カメラがハングアップしているのに気付いたが、その時に直前のカットが無事かまでチェックしなかったな。

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 荒子公園では、一応荒子城関係の何かがないかと探しながら歩いてみたが、特に何もなかった。
 唯一「前田利家荒子梅園」という碑があったものの、別に昔からここに利家が梅園開いてた気もしない。 

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 荒子公園すぐ南に、観光名所らしい荒子観音がある。
 それに隣接してというか敷地内にというか、神明社があったのだけど、本殿は茅葺きの屋根に覆われ、拝殿はわざわざ廊下をつけて奥に長く作ってある。こういう小さなお社くらいのものではめったに見ないような贅沢な作り。

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 荒子観音のお堂も、なんだかだいぶすごい造りしている。装飾過剰というか構造が過剰というか。

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 この多宝塔が、1536年に再興された名古屋市内最古の木造建築として重要文化財になっている。

 そしてまたしてもカメラがフリーズ。こんなトラブル起きたことなかったんだけどな……。

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 山門もまた豪勢なやつ。

 仁王像が円空の作。荒子観音には、仁王像の余材で作った円空仏が大量に残されており、全国に5000ほどあるうち1256体がここにあるそう。

 

 山門前の参道をまっすぐ南に降りていくと、街角博物館とした荒子観音の紹介看板がある。さらにそこに、前田利家誕生の地として富士天満社への誘導がある。
 誘導どおりにいったらすぐY字路にさしかかり、どっちが正解かわからなくなるが、そこは右が正しい。

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 富士大権現天満天神宮、まあ今となっては小さなお社。

 名前通りに木花咲耶姫と菅公を祭る。荒子城の前田氏によって城内鎮守に勧進され、1555年に前田利家が社頭を再興した棟札があるのが最古の記録とのこと。元は木花咲耶姫の神社で、前田氏は菅原道真の末裔だということになってるので、それで菅公が追加されたようだ。

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 利家生誕の地の碑はここに。

 荒子城跡を示すのはもっと簡素な看板だったが、ともかくここが荒子城ということでいいらしい。
 だいぶ小さな城で、「尾陽雑記」「古城志」によると、東西68m南北50m、一重堀を巡らせただけ。土豪の屋敷に近いくらいのものかもしれない。
 実際「乙酉集録」という書物荒子城の図があるらしいが、それでは「尾州荒子御屋敷構之図」となってるそう。でもって慶次の屋敷も城の南東側にあったそうだ。( Wikipedia)

 築城は前田利昌(利春とも)、利家の親父。
 利昌死後に利久が城主になって、花の慶次の例のエピソードがあり、利家に渡った。花の慶次がどこまで脚色かは置いとくが、信長の命で前田の家督が利久から利家に移ったことは本当だと思うし、少なくとも猿が泣いてはいないと思う。

 その後、利家の息子の利長が城主になったが、1575年には親子とも越前に移った。その時に置き土産というか、荒子観音の本堂を再建して、近くの七ヶ村には祭りに使う「馬道具(ばどん)」を残していった。馬道具は現存するものもあって市指定文化財になっている。
 しかし城の方は、主がいなくなってそのまま廃城。

 慶次ネタで触ってもいい土地かと思うが、特にどこでも触れていない。今の利家プッシュ状態は、2002年の大河「利家とまつ」で発生したものらしい。大河強いね。

 

 ちなみにカメラ不調は、荒子観音を離れるとぱたっと止まった。
 荒子観音になにかあったんだろうか。あるいは、カメラについてた何かが荒子観音の霊験で払われたのだろうか。