どんどんいこう。
ソードアート・オンライン
原作1巻は読んでいた。はず。
妙に内容の記憶が薄いんだけれど、ヒースクリフとか他と混同しそうにない名前の記憶は合ってたし、ほんとに死ぬVRゲームを突破する話だとか筋も覚えてたから、まあ読んだはず。
前から不思議だったのが、原作を読んだ記憶でも、ファンイラストなんかを通して見ていても、妙にアスナの印象が薄い。果たしてあのヒロインをどう思ったのか、さっぱり思い出せない。
アニメを一通り見ても、やっぱりアスナが何者かよく見えてこない。
単独で強い剣士であり、最大攻略ギルドの創立者であり、そのくせ料理スキル取ってる恋女房役であり、SAOが終われば急転して救出されるお姫様役になり、と、あんまりにも融通無碍に役割を乗せすぎてる感じ。
SAOのゲームシステムは、レベル制っていってたりスキルの話してたりしてるけど、多分「レベルが上がって得られるスキルポイントを割り振る」って形だと思う。それだと、アスナが最高クラスの戦士であることを「料理スキル取ってる」の一言で瓦解させかねない。
それでもやっぱり、アスナがヒロインとしてキリトさんに傅くためには料理スキルが必要だとあれば、それを持たせてしまう。
別に融通無碍が悪いことでもないのだけど、キャラを立てることより、ストーリー上の役割をこなすことが優先してるから、なんだかキャラの芯がなくって、「どういうキャラだっけ」という印象がすっぽ抜ける感じがある。
良し悪しで比較するんじゃないけれど、「とある魔術の禁書目録」のキャラ作りとは対極にあるなあ。
あれはキャラにひとつの機能しか持たされなくて、その機能が必要とされる出番がなければ放置される。インデックスでも御坂美琴でも神裂火織でも放置される。
必要な機能を持ったキャラがいなければ、キャラが作られる。それであんなにキャラ山盛りになる。
あのシリーズをずっと読んでて、数年ぶりに登場するキャラの名前を見ても、「確かこんなやつ」くらいに思い出せる。キャラを覚えやすい作品だとは前から思ってたけど、単機能だから出来事とキャラが直結しているのもその理由かもしれない。
それでSAOのキャラに戻ると、じゃあ直葉はどうか。
ネットのネタとか見てると、お兄ちゃん逆レも辞さぬヤンデレキモウトの如くになっているけれど、まあ、ストレートに拡大解釈したらキモウトになるなと理解できる程度には、キャラに一貫性はあった。
直葉はそんなにヤバい妹なのかな、と思いながら見てたら、作中ではそれほどでもなかった。
とはいえ、アニメ最終話でキリトのゲーム内パートナーとして再起用されるなんて扱いを受けていて、また首をかしげる。それがヤンデレキモウト解釈を発生させたんじゃなかろうか。
どうもこの、「物語上必要なら」でキャラをぶん回すやりかた、一歩間違えばひどい扱いになるのかな、と思うのと、アニメより先のストーリーを追っていったら、直葉もやっぱり融通無碍に曲げられ続けて芯が失われていくのかなあ、と予感してしまう。
ずいぶん悪くいってるようなのだけど、別に見てる段階でダメという印象はなかった。
それが、見終わってから思い返すと、なんかこんな話しか思い浮かんでこないの。不思議。
別の話になるが、ちょっとやることが残虐に思えたところがある。
VRゲームの中だから、というのが挟まれている、それはわかるんだけれども。
でも、現実へ影響が出るとまで明言してから痛みを感じる設定に変更して、腕切り落として胴体を両断して目を串刺しにして殺害、しかも後に現実世界で登場したら目を悪くしていた、というのは、いくら悪役が相手だといってもびっくりした。
「魔法科高校の劣等生」でも、アニメ終盤でいきなり「治癒魔法があるから怪我しても大丈夫」みたいな扱いでテロリストと銃撃戦やりだして驚いたもんで。
その発想は「SM調教師瞳」と同レベルやぞ、と、思ってしまうのだ。
多分だけど、一昔前の感覚だとNGだと思うし、若い子向けのものにそういう感覚のもの出しちゃうのは感心しない、とはおじさんとして言い張っておく。
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか
例の紐しか知らんかったけれど、ヘスティアはなかなか好ましいキャラだった。こういう犬っぽいのは好き。
ToHeart世代が神岸あかり以来、犬チックキャラが嫌いなはずがないんだけれども、ああいう賢い忠犬に限らず、やたら懐くあんまり賢くなさげな犬も私は好き。昔飼ってた犬はそんなんだった。
最後まで「なんでこのタイトルなんだろう」という疑問が抜けなかったけれど、内容的には、いわゆる俺TUEEEものを至極丁寧にやっていて感心するし、素直に面白かったな。
見た感じゲーム内世界っぽいお約束が多数盛り込まれてるけど、はっきりゲームだとは言ってしまわない。ゲームと言った途端に人の命が軽くなるのを回避しつつ、モンスターが出ることやら、攻略目標としての階層ダンジョンやら、ドロップアイテムやらを利用はしちゃう。力技だけどそれアリなんだなと。
主人公が「嫌味のない性格」と設定されてるけど実態がそうなってないというところまでお約束な気がするけど、ベルくんはちゃんと嫌味のない性格で造れているように思う。
「努力の効率が異常に高い」っていう設定をベルくんに与えてしまってるのがなるほどってところ。「強いから強い」という設定とは印象は変わるし、主人公がちゃんと努力も挑戦もする話を書ける。
ハーレム風になってはいくけれど、まあ昔のギャルゲー風の言い方をすれば、はっきりメインヒロイン格なのはヘスティアとアイズとリリだけで、その三人については丁寧に描かれていた。
ちゃんとしてるから好感持てる、実によかった。
氷菓
私はミステリ嫌いを長年公言しつつ、心の底から自認しているくらいなんだけれど、実は米澤穂信は奇跡的例外で、「氷菓」から「ふたりの距離の概算」まで原作を読んでいる。
他の例外は深見真の「ブロークン・フィスト」だけ、しかもトリックをギャグとして笑ったからであって、真っ当に読んで面白がったのはほんとに米澤穂信だけだろな。
原作があれで作るのが京アニとなったら、秀作に決まっていて実際その通りだから、何を言ったらいいものだろう。
私が観た京アニ作品は、ほとんど日常的な、現実にありえるような絵面が続くやつばかりだったけど、「氷菓」は意外と頻繁に超常的というか、心理描写を視覚化してるカットが多数。
「氷菓」の内容だったら、それをしない方が一般的な選択な気がするが、さすがに京アニだけあって、やるならやるできれいにやってのける。
そういえばあの、「童貞を殺す○○」というネタがちょくちょく現れるもんだけど、なんかただ単に猥褻なだけのものにそういう扱いが付けられ、それ童貞に限らず皆殺しにするんじゃないかと思わせるんだけれども、少なくとも千反田えるは正しく童貞を殺すヒロインだと思う。