堺風の頭部

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倉本圭造「日本人のための議論と対話の教科書」読書メモ

 著者のネット上の記事を好意的に読んで、それから別の話を聞いて「早まったかな」と思う事態を生じさせてしまい、普段どういう主張をしてる人なのか確認すべく、表題の著書を読んだ。

 

  • 1~2章の、極端な人同士の罵り合いは何も生み出さない、というのは分かる話ではあり、最初から決まってる結論に飛びつく動きをしすぎる人は多いと思うし、そういう人を煽ること仕事にしてる人もおるなあ、とは私も思う。
  • デービット・アトキンソンの主張することはそんな雑に「中小企業が多すぎるから淘汰しろ」なんて言ってるわけじゃない、という話は興味深く思われた。
  • 会社の中で保守派と改革派が対立しているような状況で、極論で反対する人には上手く言葉にできない不安や危惧があるものだから、上手く汲み取って活かすべき、というのも、いい話だと思う。
  • その割に竹中平蔵に関しては特に理由も説明なく「冷酷な新自由主義者」で片付けてしまってるように見えた。いやまあ私もあいつは手前の金のために何千万という日本人の生活を踏みにじった悪質で冷酷な新自由主義者の政商だと現時点では認識してるけど、そんなに簡単に片付けず事実関係をちゃんと見て判断しよう、と言われてたようにも感じたのだけど……。

 

  • 3章のコロナ対策の章から、出羽守が政府の言うことを否定することを目的にして騒いでる、みたいな妙な論調になる。
    そして、左右の極論を言ってる人を上手く無視するように持っていくべき、みたいな話になっていき、2章までの相互理解や上手く落とし所を探っていくような論調とがらっと変わる。
  • 望月衣塑子さんを名指しで、Twitterでの発言ひとつ引用して「事実に基づいてない」と非難していたけど、発言ひとつの事実誤認を指摘してもそれが誤りだというだけであって、そのまま望月さんが極論家であると規定してしまうのは乱暴に過ぎないか。
    極論や誤りの否定と、ひとを極論家だと規定して否定するのは大きく違う。
  • おそらく具体的に指してる人があるであろう政府に批判的な医師のことを、名前も挙げずに罵倒しだしたのはなんなのかな。望月さんは名指しで叩くけど、この医師は名前出さずに、その人が本当にそうなのかもわからない理由(名前出さないから判断しようがない)を並べて極論家と全否定するのは、読んでる私が誰のことを言ってるのか想像がつくからこそ、手口として卑怯というほかない。
  • またPCR検査が不足だと訴えることについて、「流行初期にはむやみに検査しても大部分は未感染だから、大量検査よりクラスターの把握と行動追跡を重視すべきだった」というのはわかる。結果的には超過死亡も見られず、諸外国に比べて数字の上では悪くない結果になったというのも、数字でいえばそうは言えるとは思う。
    しかし統計の数字はそうでも、感染して苦しんだ人や、他国より少ないとはいえ近い人を亡くした人もあるわけで、「海外ではもっと死んでいた」と統計の話に丸めてしまうのは冷酷(竹中平蔵が冷酷というなら冷酷なのは悪いことよね)な出羽守にはならんのかな。
  • かなり感染者が増えてクラスター追跡で済まなくなって、体調不良がありながら検査を受けられない人が多数出てる状況が生じてたんだから、「検査を拡大しろ」という主張に合理性があった時期もあった。
    私が住んでいたのは大阪だから、県が積極的に検査拡大に動いて実際に感染者も重症者も少なく抑えていた鳥取や和歌山との対比で見えてたよ。
    状況の変化があったことを、検査拡大の主張が非合理になる流行初期やかなり状況が進んでからの時期を時系列を無視してピックアップして、検査拡大論者を出羽守だなどといって極論家扱いするのは悪質じゃないか。
  • 「政府はこういう事情でこういう対応をしている」とちゃんと国民に説明することも政府のやるべきことのひとつと思うけど、それができていなかった結果、批判が湧き上がってるとも言えないだろうか。それを一方的に、批判者は反権力が目的と決めつけて極論家だとしている。
  • メディアも、政府の動きを伝える役割もあり、別に政府広報でもないんだから批判することもあり、それこそ私には「メディアは政府寄りのことを言ってることもあれば厳しく批判することもある」、いわば70点くらいの仕事を大体やってるように見える。産経でもたまには左派が誉めてることもあるよ。
    それを望月さんをダシにして『「反権力を叫べるなら中身はどうでもいい型陰謀論」で盛り上がってしまっている。』なんていってるの、それこそ私には、メディアは悪いと言えるならなんでもいい態度に見える。
  • 右の陰謀論は「中国や韓国は崩壊する!」「アメリカ大統領選挙で勝ったのはトランプ!」というような一見してバカバカしいものだからどうでもいい、左の陰謀論は一見してわからないから悪質、というのも恣意的な話。
    中韓崩壊論の本をずっと出してた人とアベノミクスで日本崩壊の本をずっと出してた人がいる、みたいな、同等のものを並べりゃどっちもバカバカしいだけ。
    右の陰謀論、例えば「日本共産党中核派革マル派はグル」みたいな、知識があればバカバカしい話もわからんで信じる人なら相当数いるでしょ。それを煽るようなのも。

 

  • 右も左も極端な奴が騒ぎ立てて健全な議論を妨害するから、極端なやつをうまくあしらって無力化しつつ建設的な話を進めよう……と、一見いいこと言ってるようには見える。
    が、メタな視点に立って両極端を排除する、などということを、自分が真ん中に立って行うことができる、と思うのは傲慢なだけじゃないかな。
    敵の側ならとにかく全否定する、というのが極論家の態度だと書いてるように思うけど、両方の極端だと認定した範囲の人たちを敵扱いして全否定してるのがメタな態度と称するものに見える。極論そのものでは。