少し前、ついうっかり調べごとを始めてしまったら、作業量が膨大なのに自分の中で引っ込みがつかなくなり、とうとう全部やりきってしまった。
日本の全G1レース勝ち馬の、父親を三大始祖まで、母親を辿れる限りたどってみたの。
サラブレッド三大始祖、ダーレーアラビアン・ゴドルフィンアラビアン・バイアリータークのことは、競馬ファンはみな知ってる。
今はほとんどダーレーアラビアンの子孫ばかりになって、ほかはかなり細ってしまっていることも、ちょっと知ってれば知ってる。
けど、実際のところどういう血統の種牡馬がいつ頃栄えていったのか、今回の作業である程度見えた。
また母馬の方も、三頭とまではいかないけれど、数十頭くらいの牝祖にたどり着けて、ファミリーナンバーという番号が振られている。
これも調べてみた。
調べてみた表を眺めながら、ちょっと茶飲み話でもしようと思う。
いや、ちょっとじゃないな。膨大な茶飲み話を複数回に渡って。
調査基準
日本のG1級のレースについて、その勝馬の父系と母系を辿れる限り辿った。
G1級のレースは、以下のものとした。
- 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬として創設から)
- 東京優駿(東京優駿大競走として創設から)
- 菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬として創設から)
- 桜花賞(中山四歳牝馬特別として創設から)
- 優駿牝馬(阪神優駿牝馬として創設から)
- 秋華賞(創設から)
- エリザベス女王杯(創設から・当初は4歳牝馬限定)
- NHKマイルカップ(創設から)
- 朝日杯フューチュリティステークス(朝日盃三歳Sとして創設から)
- 阪神ジュベナイルフィリーズ(阪神三歳Sとして創設から・91年から牝馬限定)
- ホープフルステークス(2017年のG1昇格から)
- 天皇賞(春)(1938年の鳴尾競馬場・帝室御賞典から)
- 天皇賞(秋)(1938年の東京競馬場・帝室御賞典から)
- ジャパンカップ(創設から)
- チャンピオンズカップ(ジャパンカップダートとして創設から)
- フェブラリーステークス(1997年のG1格付けから)
- 大阪杯(2017年のG1昇格から)
- 安田記念(1984年のG1格付けから)
- ヴィクトリアマイル(創設から)
- マイルチャンピオンシップ(創設から)
- スプリンターズステークス(1990年のG1格付けから)
- 高松宮記念(1996年の高松宮杯G1格付けから)
- 宝塚記念(創設から)
- 有馬記念(中山グランプリとして創設から)
血統を遡る場合、JBISサーチを主に使った。他のデータベースもあるけれど、やはり軽種馬協会のデータだけあって、古い馬などの正確性が高く見えた。
それから、JBISにもデータがないような馬が、p.bogus.jpというサイトで見つかる。ただ淡々と膨大な量の血統データだけがある不思議なサイトなんだけど、ここはほんとに古い馬でも出てくる。
ウィキペディアは、馬の概説やレースの勝ち馬一覧などを見るのが手軽なので利用。(血統表は時々細かい誤記があるみたいだったので、基本はJBISを参照した)
また、肌馬のファミリーナンバーなどについて、英語サイト Thoroughbred Bloodlinesを参照した。
サラブレッドの定義とジャージー規則のこと
いきなりファミリーナンバーと少しずれちゃうんだけど、明治からの日本競馬黎明期、海外から多くの競走馬を輸入した。
しかし日本競馬自体がまだしっかりしてなくて、血統をきっちり記録してなかったり、輸入する時に紛失してたりして、血統不詳になっちゃってる馬もけっこうあった。
血統登録の制度ができるのが1925年、つまり昭和元年なので、それまではおそらく私的に記録してるにとどまってたのかと思う。
これは別に日本だけ極端に雑だったわけじゃなく、欧州以外でも血統不明にしちゃう問題は起きてたらしい。
それに加えて、イギリス人が一方的に血統にこだわって定義問題を起こしてたりもする。
近代競馬って16世紀まで遡れるらしいけど、統一血統書たるジェネラルスタッドブックができたのは1791年。その時に、作った人が古い資料をかき集めて血統書を作った。資料ない馬もあっただろうし、どうも最近DNA鑑定とかで間違いらしいのが見つかったりもしてるけど、とにかく血統書ができた。
で、1821年に「サラブレッド」という単語を用いるようになり、1901年に「先祖8代あるいは9代に渡って純血馬が交配され、かつ1世紀前まで血統が証明でき、近親馬の競走成績が優れていること」という定義を作った。
さらに1909年にはジャージー規則というさらに厳しい定義ルールを作って、「先祖をすべて辿ってもジェネラルスタッドブックに登録されている馬しか、サラブレッドと認めない」と言い出した。
そりゃ130年前から血統こだわってた英国はいいけど、他所からすれば「いきなり無茶いうな」だったろうと思う。
アメリカでは、1860年代に南北戦争で血統書が多数失われているという事情もあって、ジャージー規則で「血統わからん馬が混じってるからサラブレッドじゃない」と言われる馬が続出。
というか、以前から「アメリカなんぞの怪しい血の馬がやってきて英国の格調高い大レースを奪って血統を汚してる」と、締め出しのために作ったフシもある。
一応まあ、「血統不詳のサラ系」と呼ばれていいなら英国のレースに出ることはできたけど、繁殖に入ってからはそういうのは低く見られてしまう。
例えば、1850年に生まれて、61年から74年まで14年連続・さらに76, 78年に米国リーディングサイアーになったレキシントンという大種牡馬がいた。
でもこれは血統に不明点があり、ジャージー規則ができた時にサラブレッドの定義から外され、子孫が全部まるごとサラ系にされてしまった。
競走馬の血統で「子孫」といったら父系や母系の直系だけを指したりするけど、この場合は広義の子孫、血統表に含まれたら、っていう。
そのレキシントンを母の母の母の母の父に持つダーバーも、サラブレッドじゃないといわれながら1914年のダービーを勝った。
そして母の父としてトウルビヨンを出しちゃった。フランスの大種牡馬で子孫にどんどん活躍馬を出し、子のジェベル・孫のマイバブーが英2000ギニー(皐月賞的なレース)を親子制覇。もちろん全部サラ系。
ジャージー規則で「サラブレッドじゃない」と多くの馬をイギリスから排除したら、排除された馬を気にせずどんどん繁殖に使ったアメリカやフランスの競走馬のほうが、レベルが高くなっていった。
というか、ジャージー規則に従うと、レキシントンの血が入ってるからナスルーラもロイヤルチャージャーもマームードもサラ系で、ノーザンダンサーもヘイローも、ノーザンテーストもサンデーサイレンスも全部サラ系になる。120年過ぎた今となっては、どうやったらジャージー規則に従ったサラブレッドを作れるか悩むね。
1948年の英国では、マイバブーが英2000ギニーを取り、英国ダービーもフランス産馬マイラブが、セントレジャーまでアメリカ産のブラックターキンが勝っちゃって、三冠みんな持っていかれるという一年になった。
それで結局どうしたって、ジャージー規則の方が廃止になった。
競馬はブラッド・スポーツというものの、純血なんて概念を好き勝手振りかざしたら結局自滅した、というお話。
日本の血統不詳な名馬たち
で、日本の「豪サラ」。
1900年頃の競馬黎明期の日本では、欧州人から見るとポニー扱いされる馬が在来馬だったので、競馬とか軍用馬のために海外から輸入して馬産を始めた。
しかしやっぱり血統書の管理などが行き届かず、よく紛失されていた。
「血統書ないんだけど見た感じサラブレッド」っていう馬が、実際レースで強い、子供もよく走る。
そこに1901年のジェネラルスタッドブックによるサラブレッド定義問題がやってきて、「血統書ないけど見た目そうだから」じゃサラブレッドとは呼べなくなっちゃった。
そういう血統不明馬で、特にオーストラリアから輸入したのを豪サラと呼んだ。
代表格はミラという馬で、1895年にオーストラリアで生まれ、1899年に日本に輸入。その時血統書を紛失されつつも、13戦10勝・2着3回と大暴れ。
そして繁殖に上がっても、大競争を勝つ馬が何頭も出た。
1932年のダービー馬・ワカタカはミラのひ孫に当たる。
ワカタカの母・種信から4代挟んで、1964年の朝日杯を勝ったリユウゲキが出た。
ミラの別の子を経て、6代目の子孫に1971年の二冠馬ヒカルイマイ。
7代目には1967年の桜花賞馬シーエース、1972年の皐月賞馬ランドプリンスが出ている。
今回の集計は現在のクラシックに直接続く競走しか見てないけど、それ以前の帝室御賞典(名前通り帝室から賞が出る、天皇賞の前身ともいえるレース)の勝ち馬はもっといる。
時代的にも活躍期間が長く、1910年の目黒御賞典勝ち馬シノリから、1991年の福島記念を勝ったヤグラステラも子孫だから、90年以上に渡って一族を活躍させている。
それから、バウアーストツクという馬の子孫も活躍が目立つ。1922年か23年生まれで、やはり血統書を紛失されていた。ちゃんとしたサラブレッドじゃないか、という話もあるけれど。
子のバウアーヌソルから、1955年朝日杯・1956年菊花賞・1957年天皇賞春を勝ったキタノオー、1956年朝日杯のキタノヒカリ(牝)、1960年菊花賞のキタノオーザという兄弟が出た。(今回の集計に入れてないけれど、中山大障害を勝ったアシガラヤマもいる)
キタノヒカリは、母として1963年のオークス馬アイテイオーも出した。
アイテイオーも、子のアイテイグレースから、1982年に有馬記念を勝ったヒカリデュールを出した。
キタノヒカリの別の子から2代経て、1984年のエリザベス女王杯勝ち馬・キョウワサンダーも出た。
他にも宝永という馬が、やはり血統不明ながら活躍馬を多数出した。
子の国宝は帝室御賞典など9勝していて、さらに母としても、1938年のダービー、1939年の天皇賞秋を勝ったスゲヌマを出した。
それからバイカという1904年生まれの馬も、5代下に1952年に阪神三歳ステークスを勝ったワカクサを出している。
バイカの子孫は大レースの勝ち馬が少ないんだけど、タマモハイウェイなんてワカクサの子孫だ。ビワハヤヒデの同世代で、重賞勝ちはないけど長距離ならG2の2着まではあった。地味ながら100年くらいそこそこ走る馬を出し続けたことになる。
豪サラ以外にも、遡ると血統不明になっちゃう馬が大レースを勝つことも、戦前にはざらに、70年代くらいまでは時々あった。G1級を勝った最後はキョウワサンダーみたいで、最近ないみたいだけど。
しかし血統不明のサラ系は嫌われがちで、肌馬としてはまだしも、種牡馬としてはほんとに人気がなくなってしまう。
名馬といわれたヒカルイマイも、当時大人気のテスコボーイ初年度産駒のランドプリンスも、サラ系のレッテルが重く、種牡馬としてはあまり仕事できずに終わってしまった。
豪サラの子孫については、詳しく調べてる方の記事も見かけたので参照のこと。
アメリカンナンバー・コロニアルナンバー
アメリカで血統不明になって、ジェネラルスタッドブックに遡れなくなっている馬をまとめたアメリカンスタッドブックに記録されている馬の子孫もある。
そういう馬の子孫たちも、今となっては代を重ねてみなサラブレッドと呼ばれるようになっている。
古いところだと、1939年菊花賞・1941年天皇賞春の勝ち馬マルタケなんて、牝系はアメリカンナンバーのA1号族。
他にA39号族から、1953年朝日杯・55年天皇賞春のタカオー、59年天皇賞春のトサオー、62年ダービーのヤマノオーが出た。どれもスクールベルっていう輸入牝馬の子孫。
新しいのは、A4号族から、1994年阪神三歳牝馬Sのヤマニンパラダイス、2002年皐月賞のノーリーズン、2014年ダービーのワンアンドオンリーと、ヤマニンパラダイスの祖母Countly Deeからの一族として出ている。
2010年チャンピオンズカップ等のトランセンドも、少し遠い親戚になるけどA4号族。
今となってはもう、サラブレッドと区別する必要もないくらい、血統書の途切れも過去のものになってるみたい。
オーストラリア・ニュージーランドと南アフリカで、同じように血統がジェネラルスタッドブックに遡れない馬をまとめたコロニアルナンバーというのもある。
そういう馬の子孫にも、1942年の天皇賞秋を勝った牝馬ニパトア以来、時々大レースの勝ち馬が出る。
ただ、こちらはアメリカよりも血統書の途切れが新しく、1850年代くらいに生まれた馬で途切れたりしている。
1979年の菊花賞馬ハシハーミットがC20号族の馬で、遡ると1855年生まれのSybilという馬に行き着く。
たまたま高齢になってからの子で繋がれることが多かった家系らしくて、ハシハーミットからたった9代遡るだけでSybilにたどり着いちゃう。
当時の日本では「8代続けてサラブレッドを配合して生まれた子はサラブレッドとみなす」となってたみたいだけど、それでもハシハーミットの母シンホープからしかサラブレッドとみなせない。
血統表を見ると、祖母イスタンホープに「サラ系」と書かれちゃう。
やはりその血統表が嫌われたのか、引退して種牡馬入りしたものの、産駒はたった6頭しか残らなかった。
C10号族で、1958年にダービーを勝ったダイゴホマレという馬は、ハシハーミットより20年も古い馬だけど、こちらは12代遡ってBettyという馬まで辿れる。
9代しか遡れないと祖母にサラ系と書かれるけど、12代遡れれば5代血統表の端っこになるので、あんまり気になりにくいだろうか。
いずれにしても、種牡馬としての成功はなかったけれど。
ダイゴホマレと同じく、マラルビという輸入牝馬の一族には、1983年に朝日杯を勝ったハーディービジョンもいる。
シンボリルドルフのライバル……になるはずだったのに怪我でクラシックに出られず引退した。種牡馬入りしたら、初年度から50頭以上集める人気になったくらいで、別に「サラ系の血が」とか誰も思わなかったらしい。Bettyまで14代遡れる。
ただあいにく、2年で100頭近くも種付けして、生まれた仔馬が2頭という受胎率で、廃用されるしかなかった。
サラ系ですらない菊花賞馬
1938年の第一回菊花賞(東京農林省賞典4歳呼馬)や、1939年の天皇賞秋(東京帝室御賞典)を勝ったテツモンという馬。
血統表を見ると、(中半)とか(トロ)とか、すごいこと書いてる。
(トロ)ってアメリカントロッター(スタンダードブレッド)だよ。馬車を引かせたり軍馬にしたりするために、速歩が得意になるように改良された品種の馬。
馬には軽種・重種・中間種がある。
重種は、農業とかばんえい競馬に使うようなでっかいやつ。
サラブレッドは軽種。
で、スタンダードブレッドは中間種。
中間種の血が入ってる馬は「中半血種」とされる。そこにサラブレッドやアラブなどの軽種を2代続けてつけると、「軽半血種」とされる。そこにさらにサラブレッド(系)を2代続けて配合するとようやくサラ系になる。
テツモンの血統書を見ると、まだ「軽半血種にサラブレッドを2代続けて配合」になってない。1代しか配合されてない。
だからサラ系ですらなく、軽半血種。
それが菊花賞を、しかも10年破られないレコードで勝った。
祖先をたどると軽半血種というのは他にもいて、1938年の天皇賞春(鳴尾帝室御賞典)を勝ったハセパークは、曾祖母まで軽半血種。祖母からサラ系。
1944年のダービー(戦時中の東京能力検定競走)を勝ったカイソウも、母が軽半血種。
曾祖母の父に豊平という、多分スタンダードブレッドらしい馬がいる。
中半血種に2代続けて軽種馬を配合して軽半血種、さらに2代続けてサラ系を配合したらやっとサラ系、という条件を満たせないから、カイソウも軽半血種になるように思うけど、うぃきぺにはカイソウはサラ系と書いてる。何が正しいんだろう?
豊平が「多分スタンダードブレッドらしい」というのは、これはうぃきぺにページがあるからそれを読んでもらうと。なんか凄まじい馬だったのはわかる。
母親のお腹の中で日本に輸入され、父親はまったく不明。
牧場でも人間にはあまりよく扱われず、他の馬にもいじめられ、隣の牧場まで逃げて勝手にそこにいた牝馬に種付けしちゃって大目玉。
それで生まれた子供が競走馬として大活躍。それから活躍馬を生み出しまくる名種牡馬になっていくっていう。
これも一種の異世界転生だろうか……。