堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

「地下鉄に乗るっ!×駅メモ」コラボイベント行

 ちょっとお休みにしつつ運動不足を解消しようと思い、いつもやってるステーションメモリーズを見ると、京都でイベントがある。

ekimemo.com

 で、合わせて企画切符などチェックすると、

www.nankai.co.jp

 南海本線(指定区間)・大阪市営地下鉄京阪電鉄が乗り放題になって、うちからだと南海中部版で1890円。
 かなり格安になる上、地下鉄全線を含むので行き帰りのルート選択も融通がきく。強い。

京都市交通局:市営地下鉄1dayフリーチケット(地下鉄1日乗車券)

 京都市営地下鉄は1dayパスがあるので、これも合わせて利用ということで、交通費はかなり安上がり。

 

 

 で、駅メモのイベント開始は、まず京都駅からになる。(これ忘れるとイベント進行しない)
 ……のだけど、私は別件ですでに京都駅へのアクセスは済ませてあったので、いきなり京阪本線から中書島宇治線六地蔵駅へ。

 地下鉄・JRの六地蔵駅は北へ300mほど歩く。

 

 で、六地蔵駅にアクセスしてみたところ、新たなイベントミッションがアンロック。
 「醍醐寺に行こう!」ときた。

 私はてっきり京都市営地下鉄を乗り潰せば終わるイベントかと思いきや、京都市営地下鉄の東西南北各エリアの観光スポットを訪れるミッションも含むのだった。

 幸い切符もフリーパスだから、まずは醍醐駅で下車。
 醍醐駅から醍醐寺は東に1kmほど歩く。

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 醍醐寺は、真言宗醍醐派の総本山。
 山科あたりは来たことがなかったもんだから、この寺もはじめて。

 拝観料800円。京都の寺社仏閣は入場料が結構遠慮ない、が、醍醐寺の場合は入って中を見ると納得行く価格ではあった。

 

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 まずは三宝院というところに。
 座主が住むところで、特別史跡特別名勝で、建物の大部分が重文で一部は国宝という。

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 醍醐寺室町時代には五重塔を残して焼失していたのだが、秀吉が醍醐の花見をやったときに全面的に復興させたもので、かなり秀吉びいきの寺。
 表書院(国宝)から眺められる庭園は、1598年に秀吉が設計したのを今に伝える。秀吉の趣味だけあってわりと派手。写真には入ってないが、お社が見えると思ったらやっぱり豊国大明神だった。
 またこの庭園に通じる唐門も秀吉センスのもので、黒漆塗りの扉にめいっぱい大きく桐紋を金箔であしらった、実にわびさびの対極にある代物。

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 しかし、秀吉特有のブルジョア・パワのある庭園の雰囲気を上手く収めるのに失敗してしまったな。

 三宝院の奥の方は国宝になっているが、そこまでは今は公開していなかった。
 正直私は日本画がわからんもので、長谷川等伯の襖絵とかたくさんあるらしいんだけど、良し悪しも値打ちも読み取れないのよね。まったく和泉の田舎者は。

 

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 続いて伽藍の方へ、まず仁王門。1605年に秀頼が建てた。
 ちょっと樹木茂りすぎと思うんだけども。

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 別アングル。

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 仁王像は室町時代の戦火を免れた、1134年に勢増・仁増によって造られたもの。

 

 仁王門をくぐって、しばし森の中のような道を歩く。

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 清瀧宮。本殿は重要文化財
 1097年に、寺の鎮守として祀られたが文明の乱で焼失。1517年に再建、1599年に拝殿が作られた。結構色が落ちちゃってるけれど、桃山風の派手さは垣間見えるな。

 

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 醍醐寺名物の五重塔は、951年に完成してその後戦乱に消失することもなく現代まで残る運の強い塔。もちろん国宝。
 高さ38mあるので、ガンダムの2倍以上。ただし屋根の上の相輪が13mあるので、五重の屋根までならνガンダムくらい。
 中にも、制作年がわかる中では最も古い空海像など壁画があるそうで、それは五重塔とは別に国宝指定されている。

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 観音堂。これはわりと新しく、1930年ごろに周辺の複数のお堂と合わせて大伝法院として建立された。
 西国三十三ヶ所の十一番札所がここ。その他朱印や納経はここで受付。

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 不動堂。写ってる不動明王の前に護摩壇があったら、今は炊いてなかった。暑いし。いや暑いから炊いてないわけじゃなかろうけど。

 

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 金堂。これが醍醐寺の中心だけあって、重厚長大、どんと構えている。本尊の薬師如来像も中に。

 二度に渡る焼失の後、紀州の湯浅から秀吉の命で移築が計画され、1600年、秀頼の代になってやっと完遂。
 しかし湯浅にもこれほどのお堂を持つ寺があったことになるけど、今となっては湯浅のどこの寺だったかもわからないそうだ。

 

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 それから最後に霊宝館。
 醍醐寺には国宝・重文が4万点ほどあるらしいが、その一端を展示している。

 ここに飾っていた桜の油絵に、なんだか異様な立体感があるのがあって、最初立体的に造形してるのかと思ったら違って、わかってから見ても角度によって見えるものが変わってるとしか思えないような、不思議な絵があったんだけど、誰の絵だったのかな。古いものじゃなくて、現代の絵だったけれど。

 

 猛暑日すれすれの平日正午ごろ、流石に人は少なかったけれど、桜の時期ならずともいいところだった。
 秀吉の影響が強いもんだから、京都式の雰囲気に派手さと親しみやすさが加わってるのかもしれない。

 

 次は、駅メモのイベントとは関係ないけれど、ちょっと城巡りとして行ってみたかった山科本願寺へ。東野駅が近い。
 寺、といっても、当時から城と呼ばれてたような代物で、山城が当たり前だった時代に輪郭式の平城なんて先進的な構造をしていた。

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 まあ、もちろん今となっては何が残っているわけでもなく、本願寺の山科御坊があるだけ。法華宗に焼き討ちされてしまって。

 ここはちょっと寄っただけなので、地下鉄に戻る。

 

 駅メモの地下鉄イベントは、どうやら東西南北それぞれ尋ねる場所があるらしい。ではどこから行くか、ということで、次は北に行ってみる。
 烏丸御池で乗り換え、烏丸線を国際会館方面へ。

 そうすると、松ケ崎駅にチェックインしたところで北のイベントがアンロック。で、「下鴨神社へ行こう!」ときた。
 まあ、私は松ケ崎駅から南にはるばる歩いたけれども、Googleマップによると2km以上の道のり。
 地下鉄から歩くなら、鞍馬口駅のほうがだいぶ近いようだ。

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 まあ下鴨神社は来たことも何度かあるので簡単に。
 前に来た時は加茂川マコトが二次元で商店街の広告塔やってたもんだ。

 

 地下鉄まで歩いて戻るのも馬鹿らしいし、京阪のフリーパスもあるんだから、出町柳から三条まで乗車して地下鉄に復帰。
 次は東西線を西の方へ。

 西側は、終着駅の太秦天神川にチェックインしたところで、「二条城へ行こう!」がアンロック。
 二条城なら駅から近い、というか二条城前という駅があるので、そこからすぐ。

 入城料は600円だが、後から気付いたけど地下鉄の1dayパスの特典に二条城の割引があったようだ。

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 二条城、そういえば中入ったことなかったので、いい機会。

 しかし信長の野望なんかだと足利将軍家の居城であるイメージだけども、この二条城は徳川将軍家の京都での宿所だそう。水口城に近いものか。
 過去には足利義輝が造りかけたもの(完成前に三好三人衆に襲撃されて陥落)、信長が足利義昭に作って与えたもの、信長の宿所として作られたもの、と複数の「二条城」と呼ばれたものがあったらしい。

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 唐破風大好きの徳川センス。

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 二の丸御殿の中は見学できて、大政奉還の場になった部屋やらを、多数の襖絵を眺めながら見て歩く。床も鶯張りでぴよぴよ鳴らしながらぶらぶらと。
 天井見上げると天井画も場所場所で変えてあった。

 

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 本丸の方に向かうと、この美観のかけらもないようなのっぺりした門。再建するにしてももうちょっとなんかセンス働かせろよ、と思ったら、これ1626年頃のものらしい。
 扉はちゃんと銅張りの頑丈なやつで、防御性は高いが、この豆腐に口開けたような造りは。
 いろんな戦国時代モノでも、質実剛健で美とかあんまり構わなかったイメージのある徳川家だけど、この門見ると実にそんな感じする。

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 天守閣は早くに失われているが、天守台は残る。
 後水尾天皇天守に上がったこともある。天皇天守に上がった城は二条城だけ。

 関が原の合戦後、家康によって二条城の築城がはじまり、また伏見城石田三成に焼き払われていたのでその修築も始まった。
 二条城天守は一旦1606年に完成。家康が秀頼を呼びつけたら予想以上に出来がよさそうで、豊臣は滅ぼしておかんとまずいと決断したのがその初代天守
 それから、一国一城令なんて出した手前、山城に二条城と伏見城があるのは筋が通らんということで、伏見城の廃城が決定。
 さらに二条城に後水尾天皇行幸があるとなって改修が始まり、城自体が大きくなるので本丸も移動、天守も移動。そして天守の建物は伏見城のものを移築した。

 行幸の後は、家光が使ったのを最後に使われなかった。(そういえば水口城も宇都宮城もそんなんじゃなかったか)
 使われない間に、1750年に落雷で天守焼失。その後京の街の大火にも巻き込まれて本丸御殿まで焼失して、しかしそのまま幕末まで放置された。幕末には地震も食らう。

 さっき入った二の丸御殿は、地震の後に将軍家茂の上洛が決まり、荒れ果てた状態の二条城を復興させたときに修復されたもの。
 幸い第二次大戦で空襲に遭うことはなかった。

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 本丸御殿もあるが、明治時代に桂宮邸を移築したもので、特に二条城の歴史とは関わりがない。今は公開もしてない。

 

 やっぱり戦いの雰囲気がぜんぜんない城だけれど、敷地も広いし色々あるし、観光は楽しい。戦国時代よりは幕末がらみのスポット。

 

 そして地下鉄イベントは最後の南方向。
 またも烏丸御池で乗り換え、烏丸線を南の方へ。竹田駅についたら「城南宮に行こう!」ときた。

 城南宮、うん、行ったことある。で、1.5km離れている。
 ここまでかなり歩いているから、バスを使おうと思ったら、この炎天下にコンビニも見えない駅前で20分以上待つ接続の悪さに、城南宮に直接行けるバスは本数僅少、城南宮東口バス停は城南宮まで500mくらい離れてる、と。歩いたほうがマシであった。失敗。

 

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 で、城南宮は工事中。
 境内はちょうど夏祭りがあるらしく、露天が多数並んでいた。

 さらっとお参りして駅に戻った。疲れてたし。

 

 竹田駅に戻ったら、今度は京都駅でイベントのエピローグを回収。
 どうにか今回のイベントを一通り踏破したのでした。

 

 このイベントを効率よく回るなら、

 というルートが好ましい。北・東・西・南の順。
 醍醐寺下鴨神社・二条城はいずれも午後4時には入場時間が終わるので、最後に行くのは城南宮がよし。
 観光らしいことをしながら回っても、午前10時くらいにはスタートすれば一日で終わらせられると思う。

 二条城と醍醐寺は有料。二条城はちょうど敷地中央あたりが指定ポイントなので、場外からはチェックインできないかも。北側からならなんとか可能かも。
 醍醐寺はなぜか霊宝館の場所が指定ポイントなので、これは有料区画に入らなくてもチェックインできる。

 まだしばらくイベント期間は残っているので、参考まで。