堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

月記 2022/10 母の四十九日

 日記なんか続くわけがないのだが、月に一度くらいあったこと書いてもええかと思った。

 

母の四十九日

 9月に亡くなったので、10月末ごろに四十九日の納骨だった。

 昨秋に急に体調を崩して、痴呆のようになってすぐ寝たきり状態になった。
 しばらく原因がわからなかったけれど、7年も前に手術した乳癌が今頃出てきて脳に転移していた。その時点で余命3ヶ月と。
 それが一旦回復して、また歩けるようにリハビリしよう、というとこまでは来たらしいけどまただめで。

 

 私は現在の基準でASDといわれてる身だけれど、その出処はおそらく両親で、特に母親の方だったように思う。

 母も、子供の頃からIQが極端に高かったらしい。
 そして自分の思い通りにならないと激怒するタイプだった。
 だから、思い通りになるはずがない子供だった頃の私は、怒鳴りつけられて引っ叩かれた記憶ばかりが残っている。

 

 自分と他人の区別が怪しいとか、人の気持ちのわからなさも私以上だったように思う。私は「こうすればこうなる」とワンステップなら経験から判断する意志があるのだけど、母は私にはそれすらない。

 ある時、帰宅した途端にいきなり「うるさい」と実に気分悪い調子で言われ、なんだと聞いたら、玄関のドアクローザーが強めになっていて閉まる音がうるさいという。本人はずっとそう思っていたらしいが何もせず誰にも言わずにひとりでイライラして、突然私を罵倒する。
 大体私が一番言いやすいから私に言う。父親はまた何か言われて気に入らなければ数日不機嫌を撒き散らすような巨大ガキだし、弟はそういう親と兄に囲まれて育った適応で何を言われても一切情け容赦なくあたりがきつい。
 ASDが気を使わないでいいとした相手にとる態度の見本みたいなものだ。

 ドアストッパーをセットしたのも私じゃないし、普通に言えば少し弱めるくらいのことはできる、うるさいと思ってたなら私にでも親父にでも早く言えばいいだろ、仕事から帰ってくるなり私が悪いわけでもないことでそんな物言いされたら気分悪いにも程があるだろ、と丁寧に言うてやっても、わざわざ玄関にやってきて「ドアしめるときっていうのはこうやってドアを手で抑えて」と怒鳴りつけながら実演しやがるもんで、もう怒鳴り合いするしかないでしょ。
 あっちはもう「毎日毎日ドアがうるさくてイライラする」で頭全部埋まってる。自分もそうなるからわかるけれど、知能の高さとか論理性とか全部飛ぶ。

 私が成人してからだから怒鳴り合いになるけれど、私が子供の頃は一方的に罵倒され続ける形になってたのよ。

 

 母の母も、宇和島の果てで生涯を送った人だから私は直接は知らないのだけど、そんな感じの人だったらしい。「怒鳴りつけられて引っ叩かれた」という話しか、母の口から出てこなかった。
 「母が嫌だった」という話を母からよく聞かされたのは、祖母が亡くなってすぐの時期だった。ほら今私も同じことをしている。
 生きてる間に言いそびれた、弱ってしまってから追い込むような言い方もできなかったわだかまりが、いくらでもあったんだろう。

 よく似た親子であった。

 

 母は実家でそんなんで、大阪に出て働いて、しばらくして結婚して、泉佐野に引越して、余所者と迫害され、家に膨大な借金ができて取り立てが来る、耐えかねて宗教に走って、それでようやく落ち着けた。
 だいぶ不幸な目にあってる人ではあるのだが、泉佐野というろくでもない土地由来の苦痛は同じかそれ以上(あんなところで小中学校に通うのがどれだけ地獄だったか)受けていた上で、私は少なからず母のストレスのはけ口にされていたところもある。
 普通の子は、母親に投げつけられた裁ち鋏が畳に深々と突き刺さって折れた記憶はない。原因は、私が夕食のおかず嫌がって食べなかったこと。

 

 母の宗教、神慈秀明会なのだけれど、あれにも心底不快な記憶しかない。
 中学の頃に、教団が信楽の山奥に巨大な神苑を作るため、なりふり構わぬ悪質な勧誘と集金を繰り返していた。道端で人を捕まえて「あなたの幸せを祈らせて」と手かざしするおばちゃんがいたのを、40代以上なら覚えてると思うけど、あれ。
 95年にオウム事件が起きて新興宗教への風当たりが悪くなる直前に神苑が完成、いきなり「これまでの態勢は間違っていた」と方針転換して、穏健な目立たない態度に切り替えたから、若い人は知らないと思うんだけど。
 高額な寄付を強いられたとかの訴訟も複数あり、敗訴もしている

 実際、私も中学の頃に教団のおばはんに取り囲まれてギラついた目で大声で入信を強要し続けられること数時間、耐えかねて首を縦に振ったから、その時信者になっている。別に脱会の手続きなどしていないから、まだ籍があるかもしれない。
 その時の文句は今でも覚えているけれど、どう見てもアルミダイキャストにメッキした、私らの世代なら「超合金」というてたあれの、金型のバリが残った雑な作りの小さな仏像みたいなものの写真がたくさん載ったビラ見せて、「家や財布に突然現れた、神様が遣わしてくれた奇跡の証拠」とか言うてくるの。現物ですらない。それが21世紀の超科学ね。

 今どんなに穏健になっていようが、神慈秀明会はこういうクソみたいな行為でむしりとった金で巨大な神苑に君臨し、買い漁った美術品をMIHO MUSEUMで見せびらかしている連中。
 「以前の旧体制は間違っていた、今は改めて新体制になってる」と言っているのだけど、その旧体制の築いた資産の上に座って、「旧体制は悪かった」と他人事みたいに切断処理しているだけ。被害者への謝罪などしていないし、本当に反省しているなら財産を処分して被害者に補償しているはずだ。
 教祖が死んだときに、MIHO MUSEUMを使って美術骨董の相続税を逃れようとしたのがバレた。税務調査で、31億円の遺産があるとしたところに16億の申告漏れがある、とされてる。よう儲かる宗教やってたもんやな。

 しかし神慈秀明会、あまり政治に踏み込んでる印象はなかったけど、へー、小泉の頃の農水大臣岩永峯一に6000万の献金ね。本部のある甲賀市の、滋賀4区選出の。
 それがバレたから息子が後継者になろうとしたのが頓挫、今は甲賀市長に収まってると。へー……。地元の権力者への付届けはしっかりやってると……。

 

 ちと脱線が過ぎた。

 宗教にハマるというのは私にはない行動で、そこだけは母と私が一致しない。
 私も入信させられたとはいえ、馬鹿げた手かざしをやらされるのも受けるのも、おばはんが勝手言うてるだけの寝言みたいな教義にも苦痛以外感じず、おひかりと称する袋を投げ捨ててそれっきりになった。

 手かざしのような現世利益をうたう宗教は、「良いことがあれば信心のおかげ、悪いことがあれば信心が足りないせい」と心底人を舐めきった理屈で動いてるから、人を救うことが論理的にありえない。金集めてるだけだ。

 

 まあでも、どうなんだろう。
 母にもASD的な非合理を嫌う性質があっても、それでもまだ宗教にすがるほうが楽だと思えたのかもしれない。それくらいに酷かったのは、環境としては同じところにいた私にもわかる。
 私くらいの年だと、機械やコンピューターのような、ひたすら合理性の塊のようなものが娯楽にまで入ってくるから、ひたすら合理と遊んでいられる。母にはそういう逃げ場はなかったかとは思う。

 また、私も一時伝統宗教に興味を持って、『歎異抄』やら色々と読んでみたりもして、浄土仏教に関してはかなり好意的に思っているから、どこかそういうスイートスポットみたいなのがあるのかもしれない。
 だからといって、人から教えを押し付けに来られても困るけども。話を聞く相手はこっちで選ぶよ。

 

 浄土の教えに従えば、阿弥陀仏の本願はすでに遂げられているんだから、誰もが輪廻転生の苦痛から解放されて東方浄土に往生できることになっているので、まあ母もそうなってるんだろう。
 悪人なおもて往生を遂ぐ。況や善人をや。
 別に私から見て良い人だったか悪い人だったかなどは特に問題ではない。末法の世の凡夫に何が善なのかわかることもなく、よって善行をすることもできない。そんな悪人だからこそ阿弥陀仏が救う。