堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

 日本は滅亡する!(何時とは言ってない)

 

 「部落差別なんて今時誰もやらない。そもそもどこが部落かも知らないから、差別しようがない。なのに、学校でいちいち教えるから、部落差別があることを知ってしまう」という話を、私と同世代のアラフォーから聞いた。
 そして同じ口から中国人への酷い差別発言が飛び出してきたから、「中国にそれだけ偏見持ちになれるんやったら、部落に対する偏見を吹き込まれたらさぞかし部落差別にも熱心になるんやろな。先に部落差別は悪いって釘刺してもらっててよかったな」と、格好よく注意して黙らせた……とTwitterでホラ吹いたらバズってたかもしれないが、あいにく私はパっと言葉が出ない性質だから、そうはならない。
 何ヶ月も前に言われたことを、「あいつの物言いが気に入らない」とねちねち考えて、つまり私が気に入らなかったのはこういうことか、と考えた末、こんなほとんど誰も読まないblogに書いてるのだ。かっこ悪い。
 そもそも140字に収まってないから、Twitterでバズを狙うことすらできない。

 

 最近、突然身近なところからすごい偏見を聞かされることが続いて、なんかげんなりしていた。
 首里城再建チャリティ商品が売ってるのを見て、「こんなもん首里城のために使われると思えん」とか信じがたい物言いをされて、何いってんだと強めに言ったら「沖縄の人間なんか信用できん」と言い捨てられたり。
 別の人と、たまたま御堂筋の韓国総領事館があったところを通りかかったら、「あいつら何か悪さしてるのバレて逃げたんや」なんて言われたり。(2018年から建て替え工事中で、今は仮移転してるだけ)

 別にどちらも、性格的には穏やかなくらいで、頭が悪い人間でもない。私よりまともに生きてる普通の人。
 なのに今の時代、ネットなのかテレビなのか、周りの人の話なのか、ここまで異様なことを信じてしまうくらい悪質な情報が飛び交ってるらしい。
 普通の人が部分的にはおかしくなるような、雰囲気というのか、世間の調子というのか、そういうのがあるらしいことが、どうにも不気味で。結構ひどく落ち込んでいた。

 

 大坂なおみさんが、黒人男性に警察が銃撃を加えたことに抗議する意味で棄権を表明した件で、なぜか日本語のTwitterでは大坂さんへの非難が巻き起こったりしていた。
 大坂さんにケチを付ける意味がわからんのだけど、まあ、ネットだととんでもない奴が目立つものだ。下衆な勘ぐりとしては、「人種差別に反対なんて言ってるやつは左翼だからクソ野郎」くらいの反射で動いてる、という説が思い浮かんでいる。
 まあ一般論とするには根拠がなさすぎるから、ケチつけてるツイートから発言者のログをたどって、こいつはそのレベルの奴だな、と判断できたらブロックするくらいのことだけれど。

 

 物事の是非を判断する時に、広く意見を聞いて落とし所を探るというのは、そりゃごもっともな話ではある。
 けれどそういう態度は、そもそも却下すべき悪質な意見が混じっていない、または排除できる場合でないと使えない。カレーと牛丼で迷ってカレギュウにするのはいいけど、牛丼とうんこだったら迷う以前にうんこを排除しなきゃいけない。
 しかし、ネットなんかうんこだらけなのは明白なんだけど、漫然とTwitter眺めてる時なんかに、うんこをうんこと切り捨てる判断をするのは簡単でない。するべき機会が多すぎる。

 判断には、基準が必要だ。
 何を基準にするって、まずは人権じゃないの。意識高い系のようだけれど、丸出しの差別発言とかを蹴っ飛ばすための簡単かつ確かな基準ではある。人権を無視すべき場合は存在しないし。
 その次に、人類が積み重ねてきた学問や知性、科学とか歴史とかなんとか学とかを使うべきときに使うと。

 しかし、これが難しい。
 自分が理解してる範囲だと程度が低すぎて、物事を判断するには足りないことが多い。
 自分の理解を超える場合は、理解しているらしい人の話を聞いて信じるしかなく、信じた相手が正しいかどうかを判断するのが困難。

 まあ、自分の判断が正しいなどと思い上がらず、しかし判断するからには自分の責任で、面倒ながらもやっていくしかないのだけど。

 

 目にした物事全てを自分で考えて判断するのも大変すぎるから、まあ、現実問題として、「この人のいうことは大体間違いない」と、人に頼ってしまうのはアリかと思う。
 あまりにも丸呑みにしてしまわず、何か怪しいと思ったときには点検することを厭わず……とするんであれば、「誰が言ってるのか」で信じてもいいかと思う。
 ある人ならどんな話でも信じる、としなくても、この人はこの件に関しては間違いないとか、部分的に信じる形をとったりもできる。

 逆に、信じる相手なんか一切作らない、物事についての判断はその場その場で自分でやる、という態度は、自分の判断能力とキャパの限界から、ずさんな判断しかできなくなるんじゃなかろうかな。
 「いちいち難しく考えなくていい」と言いながら、うすっぺらい好き嫌いだけでモノ言ってる人がそれでしょ。

 

 好き嫌いで判断する、感情論に走るというのも、それ自体は、別に否定されなきゃならんとは思わない。
 チェ・ゲバラが子供に、「世界のどこのことでも、誰のことでも、不当な扱いを受けている人がいるなら、それに深く心を痛められるようになれ」という言葉を残してるのだけど、私はこれをかっこいいと思ってしまうし、まず感情を持てという趣旨の言葉だとも思う。
 感情論で喋った結果、「弱い人の苦しみが分かる人」と思われたり、「苦しんでいる人をへらへらと侮辱する人」と思われたりするだろうけど、それは言った自分次第ってだけで。

 人の怒りや悲しみから出た感情論に、クールに論理的なふりしながら侮辱するような奴のほうがよほどやばいと思うけどな。ネットで賢いふりしてる奴によくいる。
 災害で大勢の人が被害を受けてるところに、「災害の多いところに住んでるのがよくない」とか言い出すような、順序のおかしい奴とかね。
 大体こういうのも、人にマウンティング取りたいサディズムを満たしたいってな感情が発端にあるんだろうし、そういう卑しさを感じ取って反論しようと思うのもまた感情。

 

 日本人が尊重すべき人権は、憲法で定義されている。(書いてようがなかろうが人権はあるのだけれど、この国ではこのように扱うと原則を定めてるのは憲法だろう)
 新たに定義すべき人権があったり、人権が衝突する時にどうするかとかは、これまで法律が作られたり改正される時などに色々議論されていて、法律やら裁判例で残っている。
 私は行政書士試験を受けてみたときに、うすーくだけどそういうことを学んで、なかなか興味深く思えた。

 そういう私が護憲派改憲派かと問われれば、改憲してもいいと思ってるのだ。
 24条は、同性婚を禁止しない読み方も可能に思うけど、ここを理由に同性婚がダメだといわれるんだったら、改憲して「両性の」を「両者の」にでもしたらいいように思う。
 同性婚が認められて幸福になれる人はあっても、損をする人ってちょっと思い浮かばない。

 具体的にどう改憲する話なのかも示さずに改憲どうこう話す人は、話の順序がおかしいと言わざるを得ないな。改憲自体を目的にしてどないすんの。

 

 私はテレビ持ってないのだけど、最近は、仕事の現場に行く車の中で点いている。
 それでよく「グッとラック!」が流れていて、ネットでちょくちょく批判されてる立川志らくさんはどんなヤバいこと言ってるんだろう、と思ってたのだけど、まー、たしかに古臭い価値基準で喋ってるなあと思うところはあれ、ヤバい人とは感じなかった。
ロマン優光さんの志らく評は面白いなあと思ってたし、志らくさんが1年近く前の記事を「論文を書かれて炎上する」とか言ってたのもたまたま見てて笑ってしまった)

 番組自体の雰囲気も異常な感じはしないし、人選もおかしくは見えない。
 なんかマスク警察だの電車のドアに傘差し込むだの、ネットで話題になった迷惑人間をわざわざ時間割いて騒ぎ立てるとか、しょうもない話多いなあとも思うけどね。
 この志らくさんの古臭さくらいで不快に思えるのは、東京では他の番組がもっと現代的なセンスで作られてて当たり前だからなのかな。大阪と違って。幸せなことだ。

 見ていて不安を覚えないニュース系の番組って「中居正広 ニュースな会」と「ちちんぷいぷい」くらいかな。たまたま目に入ったレベルで見ただけの判断だけれど。

 

 志らくさんがヤバく感じないっていうの、たとえ怒り方が古臭いといっても、言うことと表情が一致してるからじゃなかろうかな。物事に怒って批判的なことを言うなら、怒った顔で言う。
 逆に、批判をしてるっぽいのに、なんというかネッチャァとした笑みを浮かべてしゃべる人がいるもんで、こういう顔がヤバい。レイシストが差別対象を侮辱する時、マウンティングしてサディズムを満たせる快感が口の端にあらわれて、隠せてないからこんな顔になる。いじめをやってる子供の表情と同じ。

 まあ、それが気色悪いと思えるのは普通の感覚だと思う。実際、ヤバい人がヤバい顔で好き勝手しゃべるような番組はまあ、一部特定のものに留まる。大体のヤバい人は、そういう番組以外だとYoutubeくらいしか行けない。普通の番組には「この人は無理」と思われてるんでしょ。
 ただ、言ってる内容が丸出しの差別や悪質な中傷なのに、真面目に批判してる顔して言える人間がたまに居るもんで、そういう人は変に人気者になったりもする。いろんな物事を鮮やかに斬っているように見えたりして。一見して気色悪いわけじゃないから、いろんな場に出てくることもできてしまう。やばいね。こういうの持て囃すと第二の大阪が生まれるぞ。

 

 たった一言知らせて呉れ! "Nevermore"

 

 安倍総理がやめると発表された。
 私はずっと「次やるひと悲惨やな」と思ってたけど、どうするんやら。
 まあ、諸々のやってはいけないことをやってしまった弊害が地雷として埋まっているけど、踏まないようにそっと次に繋ぐのだろうとも思う。委細わかってる菅義偉が継ぐって話になるのかな。どうせ任期は1年くらいだし。
 自民党内の別系統の人か、あるいは政権交代が起きちゃった時に起爆となるかもしれない。

 

 しかしあの、「病気の人を批判するとは何事だ」と、まさしくひとの病気を政治利用する人々が誰かを炎上させるのだろうなと思ったら、退陣発表から火をつけられる発言が出て爆発炎上して謝罪に追い込まれるまで半日かけずに速やかに起こってしまった。
 誰か燃やそうと松明持ってにやにや徘徊してるやつがおるぞー、と嫌味を言おうにも、燃えてしまってからじゃ遅い。あかん。

 燃えたツイートについて思うところもあるけれど、燃えて謝罪までした後に何言ってもな。

 

 太宰の「葉」は「なんとか、なる。」というフレーズで締められるのだけども、まあ、私は心にもないことは書けん。