この旧町名継承碑めぐりシリーズ、できるだけ場所がわかるように周囲を写し込んだ写真を撮るようにしていたが、THETAを手に入れたので場所を全周画像で提供できるようになったぞ。
今回は梅田界隈と、心斎橋の取り残しを少し。
目次
訪問記4月25日
牛丸町(北区)
大阪市旧町名継承碑・牛丸町の場所 - Spherical Image - RICOH THETA
牛丸、というのもなんだか変わったネーミングだけど、あいにく北野村当時の小字名に由来するとだけ。
ホテルヴィスキオ大阪の東側道路沿い、建物と庭園の境目あたり。
小深町(北区)
大阪市旧町名継承碑・小深町の場所 - Spherical Image - RICOH THETA
阪急の駅ビル敷地内にある。高速バスターミナルの、道を渡って紀伊國屋書店側。これだけ屋内っぽいところにあるのは、私が見た中じゃ初めてかなあ。
Foursquareにある情報は、ピンの位置が違うので注意。
「コフケ」と読むようだけど、「フケ」は深田の意味だそう。西にはオオフケもあった。今は大阪市街地の中心オブ中心といえるこの場所も、昔は田んぼだったわけね。
東和町(北区)
大阪市旧町名継承碑・東和町の場所 - Spherical Image - RICOH THETA
これFoursquareにある情報だと、道を渡って北側にピンが立ってるもんだから、見つからなくって近くの公園まで探し回った。
実際は北消防署のところにあった。
昭和一九年に行政区画の変更があって東和町という地名ができたらしい。で、「東洋平和の祈りを込めてつけられた」とのこと。昭和一九年にねえ。
豊宮町(北区)
大阪市旧町名継承碑・豊宮町の場所 - Spherical Image - RICOH THETA
長柄豊碕宮があったとする説に由来した町名、なんだけど、現在ではその説は根拠薄弱で、難波宮跡にあったとする説が有力。せっかくの地名の由来をばっさり否定しちゃうところまで書いてる碑文。
浜崎町(北区)
大阪市旧町名継承碑・浜崎町の場所 - Spherical Image - RICOH THETA
梅田ロフトの北東角、新御堂筋沿い。さっきの豊宮町の碑のすぐそば。
元々、豊崎という村の南浜という大字だったから、一字ずつ取って浜崎町になったとのこと。
南浜町一~三丁目(北区)
大阪市旧町名継承碑・南浜町一~三丁目の場所 - Spherical Image - RICOH THETA
あんまり目印のない場所なんだけれど、JR京都線と、わりと広い市道(済生会病院からまっすぐ東へ伸びてる道)が交差するところ。
多分この碑は旧町域の南端あたりで、北の方に淀川沿いまである地域だったようだ。
元々単純に「浜」といってたけど、幕府代官支配地に同じ浜村がふたつあったのでこっちに南がついたとのこと。
近くに、行基が開いた火葬場があったというところがある。
このお堂は、道引地蔵尊という近隣の人達が維持している地蔵堂。
葉村町(北区)
大阪市旧町名継承碑・葉村町の場所 - Spherical Image - RICOH THETA
ウォシャレスポットと化している中崎町の真ん中、済美公園というところにある。
しかしほんとに道端がやたらおしゃれで、おじさん居所がないわ。
元々葉村という村があったようなんだけど、近くに「山ノ鼻」とか「横道」といった字もある。それらは「端」の意味合いがあり、葉(ハ)村も本来は端村と書かれるような意味の村名に、葉の字が当てられたのではないか、と。
しかし、何の端だろこのへん。大坂の端かな。
道本町(北区)
大阪市旧町名継承碑・道本町の場所 - Spherical Image - RICOH THETA
梅田センタービルの東側。
私は梅田って西側にしか行かないから、梅田センタービルって初めて来るわ。
三国街道という道が通っていたことから、沿道のここが道本町となったと。
しかし、三国街道というあまりにもありふれた名前の街道、他にもいろいろあるもんで、大阪のここを通る三国街道がどういうものか探すのがめんどいな。
これで梅田駅近くは回れたので、心斎橋の方へ移動。
鰻谷中之町(中央区)
大阪市旧町名継承碑・鰻谷中之町の場所 - Spherical Image - RICOH THETA
東急ハンズのブロックの南東側から、長堀通を渡ったところ。
あれこれありそうで、目印と言われると困る感じの場所だ……
町名は地勢に由来する、とあるけど、鰻谷なんて名前になる地勢ってどんなんだろうか。町割りができた一六一五年から鰻谷だったそう。
鰻谷は東西に鰻みたいに細長い町で、その中央部分だったから中之町。
大宝寺町中之丁(中央区)
大阪市旧町名継承碑・大宝寺町中之丁の場所。 - Spherical Image - RICOH THETA
南小学校の北側。
南小学校には、南側にある校門にも東清水町の碑がある。そっちは目立つんだけれど、北側のこの大法寺町中之丁の碑は、柵の向こう側に建っていて目立たない。だから前に来た時見落としちゃった。
名前通り、大宝寺というお寺があったことに由来。大宝寺は生玉寺町に移転済み。
玉屋町(中央区)
これだけ普通の写真で。ちょっと周囲が盛り場感いっぱいでTHETA出しづらくて。
大抵の旧町名継承碑は、公共施設とか公園とか道路とかにあるんだけれど、これは珍しく私有地っぽいビルにある。しかもこれまた目印らしいものもなんもない。難しい。この「南ビル」というのを探してくれとしか。
玉屋治左衛門という人が住んでいたことに由来するとのこと。
宗右衛門町も山ノ口宗右衛門という人に由来するから、豪商とか町年寄由来なんだろう。
やっぱり場所を示すにはTHETAは便利やなー、と感じたところで今回はこれくらいで。