堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

アニメ視聴メモ「Re:ゼロから始める異世界生活」「進撃の巨人」

  もしかすると「dアニメストアのお勧めアニメ○○選!」とかタイトル付けたほうが読む人増えるのかしら。

 

Re:ゼロから始める異世界生活

 死んだら記憶を保持したまま過去に戻って生き返る設定、いってみればビデオゲームによくあるやつだから、それ自体はいくらでもありそうではある。神は言っている。まだ死ぬ運命ではないと。
 けれど、思いもよらない死に方をして、わけもわからずハマったりして、なかなか先を読ませない。上手い話つくるねえ。
 「自分が死なないで周囲に取り返しがつかないことが起こったらどうすんの」とか「ひとりで溜め込む記憶と周囲との齟齬が出るんじゃ」とか、そういうこともちゃんと書く。ちと前者の解決法は好ましくない手を取っちゃったけど。

 ちゃんとやってるのは認めるのだけど、しかし難しいとこで、やっぱりあんまり人がよく死にすぎるのがしんどいところはある。私は原則的には人が死ぬのは減点で、この作品も見てて辛いものはあるな。
 主人公が死ぬことが物語の重要なキーであり、その扱いもちゃんとやってるし、それが十分効果的に話作ってる、そこは認めるところで、これだけやってて「人が死ぬからダメ」なんてことは言わん。しかししんどい。好き嫌いの話。
 しかしこれだけよく死ぬのに私に最後まで見させたのもなかなか珍しい。確かに面白かった。

 

 ファンタジーものとしては人の死に方が妙に現実的で、ナイフで刺されるとかモーニングスターで殴られるくらいで、ちゃんとというと変だけど、死ぬ。
 主人公が死ぬから周囲も同じくらいで、という単なるバランス感かもしれないが、ファンタジー世界によくある妙に頑丈な人間へのアンチテーゼになってる感じにも見える。
 一方で、魔法の攻撃力やら人外のものの腕力だとかがかなり高い。人間の耐久性が現実的だから、かなり攻撃が勝った世界観に見える。
 そうすると、かなり奇襲がきく設定ということになる。実際奇襲が奏功してるようにも見えた。作中ではっきり描かれる奇襲もあるし、描かかれずに結果を見るシーンであっても、後にリプレイして結末を変えていくにあたって、初回は奇襲を受けていたことが想像できたりもした。
 主人公は、死に戻りすると未来に起こることを記憶として持ち帰るわけだから、奇襲を予見できるというのが大きなアドバンテージになる。通常なら奇襲が有効だという設定とはよく噛み合う。

 ただ、白鯨のあたりは、いろんな設定がなし崩しになっちゃったかな。超現実的な大型モンスターと戦うというのは、人の方も崩れてしまうものかもしれん。

 

 2クールあるから色々とゆったりした感じがあり、1クールもののすごいスピード感に比べると、シーンひとつがだいぶ丁寧だ。一歩間違うとくどいというか、残虐なシーンも遠慮なく長かったり、ふたりで語らうシーンが話長かったりもするけれど。
 最近すっかり1クールに慣れてるから、ちょっと冗長すれすれくらいにも見えてしまうくらい。そういえば昔は、1クールものの密度感が過密に思えてたなあ。今はもう5分アニメにすら適応できるようになったから、私が加速しているんだろう。

 

進撃の巨人

 私はどんなものであれ、バトルシーンを見てもあまり面白いと思えることがないもんで、ひたすら戦ってるなあ、と思うばかりになっちゃったな。
 敵が巨人となると、普通に戦うならまあ武器を大きくする、それで大砲を持ち出してるけど、巨人が急所つかないと死なないからいまいち、それでワイヤーとジェットで飛び回って首の後ろを刃物で狙いに、というのは実現性あるやろか、そもそも技術レベルとして可能なのか、色々余計なことばかり考えてしまって。
 素直にワイヤーで飛び回るアクションをかっこいいと思えればいいんだけれど。

 ストーリーにも、どういう話と思ってどこに注目していればいいのか、いまひとつはっきりしない感じがあった。
 人類が滅亡に抗う話というにも、四国だけ残ってる「ゆゆゆ」に「もう人類維持できんやろ」といっちゃう私には、城壁で囲まれた都市内だけなんてすでに終わってるだろうと思ってしまう。そもそもあれ造る石材どこから出てきたんだろう。
 巨人に打ち勝つことが目標とするには、立体機動による白兵戦以上のやり方が出てくるでもなくて、人類は足踏みしてる感じ。そこにエレンが巨人になっちゃって、倒す方法の模索じゃなくて別のものが挿し込まれちゃった。
 エレンの巨人への復讐劇だと取るにも、当人が巨人になっちゃってるから、その見方は揺らがざるをえない。

 面白いと思ってると、先を読ませない展開の妙に感じられそうでもあるけれど、いまいち乗れてないと、何をする話なのか掴みにくくなっちゃったかな。