私のルーツと呼べる土地は中途半端に複数あり、どれも大阪府ではあるが、本籍地は堺にある。出生地は貝塚市だったらしい。
そして記憶は泉佐野市から始まって、中学まで通って、高校は大阪市内に行った。
だからまあ、故郷というと泉佐野ということになるのだが、残念なことに、その泉佐野市に愛着がない。
私の口から泉佐野市の悪口を聞いたことがない友人はひとりもいないと思うが、悪いところは無数にあるけど褒めるところを何も知らないから仕方ない。
大体、泉佐野出身とかいったら「市の名前を売りに出した」とか「犬税」とか恥ずかしい話ばかり知れ渡ってて、もう他所じゃ堺出身というてるからな。故郷喪失だよ。ハイデガー。意味知らんけど。
しかし、まあ、一応出身地をそこまで嫌悪してるのも寂しいものではある。嫌う理由が過去に遡って消えたりはしないものの、ちょっとくらい褒めるところも見つけられないものか。
無理な可能性もあるが、ともかく泉佐野の見どころを探し直そうという試みである。なんもない可能性もあるが。
泉佐野丘陵緑地
それで第一弾として、私が泉佐野を離れている間にできていた、泉佐野丘陵緑地を攻めてみた。
結構前から工事してるのは、前を通りかかって知ってはいたのだけど、緑地公園にしてるとは知らなかった。
泉佐野市ではなく大阪府によるもので、21世紀になって久々に新たにオープンした19番目の府営公園。
なにぶん駅から30分と、徒歩で行くような場所ではない。阪和線長滝駅から、古い農村住宅地で細く入り組んだ路地を通ることになり、迷いそうだ。
かといって車で来るには、関西屈指、全国でも最悪級の運転マナーを誇る和泉ナンバーの巣窟に飛び込まねばならない。(具体的にどう悪いかを長々書きたいが我慢する)
まあ、無料駐車場はちゃんとある。今のところまだ工事中らしく、臨時駐車場といって舗装もしてないスペースがあるだけだけれど。
自転車も専用の置き場はあるが、しかしバイクの駐車場はない。まあ空いてるから車のとこに停めるけど。
すぐ北側に樫井川が流れ、この公園のエリアはもともと和泉山脈に連なる丘陵だったはず。別に、これというエピソードのある山ではなかったと思う。というか名前も知らんな。
臨時駐車場からすぐ近くの中央口という道を上るが、ここはバスも登ってくる舗装道路で、特に風情もなにもない。どうせなら違う所通るほうが現時点ではよさそう。
なお、バスがあるといっても、平日は来ない、土曜日は4便だけ(約2時間おき、最終が15:44)、日祝日はバスが休み。
登った先にパークセンターの建物があるが、そのあたりからの見晴らしがよい、としている。
うん、たしかにまあ、見通しはいいのだが、そもそも見えて嬉しいものが泉佐野になにかあっただろうか、というと。
ズームしてみたところ、冬にしては靄がかかっているが、りんくうゲートタワービルが見える。
ゲートというだけに、もともとツインタワーになるはずが計画倒れで片方だけになった、関西空港バブル空騒ぎの象徴的存在。りんくうタウン狂走曲 1987年〜1992年 (超高層ビルとパソコンの歴史より)に詳しい。
手前に見えている青い屋根の大きいのは、上之郷小学校……なのはわかるが、他は望遠レンズの圧縮効果で距離感がわかりにくく、地図と照らし合わせてもどれが何かわからん。ゲートタワービルの手前に建ってる二本の鉄塔はなんだ……?
泉佐野丘陵緑地徘徊の拠点となる、パークセンター。
入ってみると、カウンターの向こうで数人の職員さんが事務仕事をやっていたが、まあ平日の真昼間にふらっとやってくる男に関心もないようであった。
泉佐野丘陵緑地は、体験プログラムなどを重視しているようで、あれこれやって作ったものなどの紹介をしていた。
園内のみどころ案内もあったのだが、まー、その、モノより体験を重視する姿勢なのだなという。
園内に溜池が多いのは特徴だろうか。昔から和泉国は少雨で川も多くないため、現在の市街地近くも含め、無数に溜池が作られている。
園内マップはウェブサイトにあった。
また、「大輪会」という企業団体の支援を受けている旨の解説もあった。その参加企業の中に、環境問題をかなり悪質な形で複数回、21世紀に入っても引き起こした化学メーカーがあるけど、あの会社は改心して罪滅ぼししてるのか、カネだけ出してポーズとってるのか……
感じのよいポイントは、各所にあるベンチなどは木造ばかり、建物も時代が時代だから耐震耐火もあって全木造とはいかないのかもしれないが、見える所はかなり木材が見える。
なお、この右側の遊具っぽいやつは、大阪工業技術専門学校生の卒業制作で、乗ったりはできない。
ここから山の中へ入っていく道があるが、マムシが出るとの警告。イノシシとかスズメバチも出るよ。当たり前っちゃそうだけど。
いきなり右手に溜池。谷口池、と名がある。公園内では2番めに大きい。一番大きいのと繋がっているようにも見えるが。
ここで、ニコンの一眼レフに、太くて長いレンズをつけて、特に何があるとも見えない方に向けているおじさんがいた。何かあるのだろうか。ちょっと見てもわからなかった。
私が手に持っていたカメラは、500円で買ったジャンク品のPENTAX Optio LS465だった。1000倍の価格差があった可能性が。
道は固めてあって、基本的には歩きやすい。道幅も、結構作業車が入るようで、ある程度広め。奥の方であまり固まりきってないところとか、作業車が轍つくって水溜りになってたところも少しあった程度。
池をまわったところで、郷の館なる建物。
遠目に見ると、神社の能舞台みたいなステージかなあ、と思って近づいてみると、座卓置いてある。不思議な作りと使われ方。普段は休憩所で、特になにかあるときは別の使い方とのこと。
しかしステージにするには奥行きありすぎるし、段差のすぐ上だから客席も取れない。部屋として使うには両側面(正面ももしかすると)がガラスの引き戸だから、あまり子供が騒ぐような場合は怖く見える。宴会場には場所が悪すぎ、別に炊事場があるでもなかろうし……
まあ、工作イベントの作業場とか、そういうのには十分だろうとは思うものの、不思議な建物ではある。
レンジャー広場、なる用途の見えないスペースがある。ちょっと上がるとレンジャー棚田といって、イベント用の作物などを栽培している。
どうも、かつて棚田があった場所らしくて、これらも新たに開削して棚にしたのではなく、古い地形を再整備したのかもしれない。
ビートルシップ、といってこの盛り、多分幼虫埋めてるのかと思う。
道がいくつか分かれていて、どっち行ったもんかなーと思いつつテキトーに入っていく。レンジャー広場より奥は、結構山奥感が出てくる。
名もない小サイズの溜池も散見される。溜池があるからにはやはり農地だっただろうし、やはり斜面だから棚田にせざるを得ないか。
竹の丘、というエリアは文字通りの竹林で、道を通してあるだけ。かなり高い竹に囲まれる。嵐山みたいな瀟洒な雰囲気の竹林じゃなく、かなり野性的。
ところで竹の根ってまじまじ見たことなかったけど、触手めいて結構キモいね。
地面に切り株がわずかに顔を出している。うまく踏めば青竹踏みみたいな効果を得られるだろうか。
竹藪を抜けて、一番大きい溜池である向井池にくると、近くに休憩所とトイレが建っていた。
休憩所に入って一休みしてみると、なにやら生木の香りがいっぱい。サイトの園内マップに記載されていないので、最近建てられたばかりらしい。
ホワイトボードと机と椅子があって、やはり工作なりミーティングなりに使えるようだ。
トイレは「バイオトイレ」といっているので、汲み取りとか下水を使わず現地処理できるようなものにしているのだろうか。バイオは使用頻度低すぎてもダメ(微生物が餓死する)だが、ここで維持できるだろうか。
そして大きな向井池。鳥が集まっていて、鳴き声もよく聞こえている。いくら田舎の泉佐野市とはいえ大阪府、なかなか落ち着いて水にいられるところも少なかろう。
残念ながら、Optio LS465のテレ端140mm程度だと、鳥を狙うにはちょっと物足りない。等倍トリミングしてみたら、たまたま水の中から餌をゲットしてきたらしいカモ?の姿が写っていた。でも鳥の種類がわかるほどは写ってないな。
こっち側からの撮影だと、かなり長い望遠がほしいかな。
ちょっと気になるのが、水質。これはかなり流れの悪そうな水路みたいなところだから濁りがひどくなるのはわかるけど、向井池なども岸のところは赤い水になってしまっている。
土砂の汚れにしてはちょっと赤すぎる気もする。これは鉄かなにかの色じゃないかな、と、環境計量士の知識のカケラからほとんどカンで雑なことをいうけど。
和泉国って古代にさかのぼると鉄器の生産をやっていたことがあるらしくて(uga 和泉の古代 http://kamnavi.jp/より)、このあたりではもともと鉄が出てしまう地質なのかもしれない。
こういうてただ単なる環境汚染だったりしたら残念極まるが、そういうことはないことを願う。
再び、山道を散策して戻っていく。
フユイチゴらしいのが実をつけていたり、竹の切り株に水が溜まっていたり。
そして一回りしてパークセンターに戻ってきたら、さっき見ていたとは対岸側に、向井池に沿って歩ける通路があった。
こっち側からだと、もうすこし近くから鳥が見られる。
やっぱり140mmじゃ物足りないけど、300mmもあればそこそこ楽しめそう。(1枚目はノートリミング、2枚目はトリミングしている)
樫井川に向けて、棚田が広がっている。なにか栽培しているのはごく一部だったが、これから何か作るのかな。
これでひとまず、泉佐野丘陵緑地はひとまわり。
手つかずの自然というよりは、かつて農地として人の手が入ったところを公園化した、というのが感じ取れて、興味深いところもあった。
ただ、行っただけですぐわかりやすい見どころがある、というものでもない感じ。まあそりゃ冬場だから花も実もないから、春夏に行けばまた違いそうではあるけど。
季節が変わったらまたもう一度かな。
意賀美神社
すぐそばに神社がある。オガミ神社、と読む。
拝殿はまあ見ての通り新しく、敷地が広いわけでもないけど、式内社だからかなり古くはある。式内社なんてもう近畿じゃ珍しくもないといえばそうだけど。
拝殿裏に回ることもでき、両側に摂社がある。
さすがに直接撮影したりはしないが、桟の間から覗ける本殿は国指定重要文化財。1442年に建てられた、泉佐野市でもっとも古い神社建築。
しかし由緒書きがどこかにあったと思うけど見落としてしまい、祭神もウェブサイトなどには書いてない。まあ、名前が名前だし、淤加美神だろうとは思うけど。
淤加美神は雨乞いあるいは雨止みの神様。意賀美神社のご利益もそれ。
和泉国って、畿内にあり、半島や島国でもないのに、延喜式では一番国力の低い下国とされている。河内は大国、摂津・紀伊は上国、それに囲まれた和泉は下国。まあこれは泉佐野の悪口をいうときの持ちネタなんだけど。
なんで下国か、と考えるとそりゃ生産力が低いせいだろう。ほうぼうに溜池を作り、少ない雨を逃さないようにしないとままならない有様だったか。
まあ下国ではあれ、京に近いところだし、平安貴族も和泉守をそう嫌がっていたわけでもないらしい。一応フォロー。
茅渟宮跡
意賀美神社から少し離れ、上之郷集落の住宅密集地、茅渟宮跡・衣通姫の墓がある。
意賀美神社方面からくると、うっかりすると見落としてしまうような小さな児童公園みたいなところ。また、google mapsでの衣通姫之墓のマークは、なぜか道を挟んで反対側の畑についてるので注意。
現地にあまり詳しい解説はないので、今ぐぐる。
衣通姫(そとおりひめ)、という女性は、古事記と日本書紀それぞれに登場するが、違うように描かれている。ここが関係あるのは日本書紀のほう。
允恭天皇は忍坂大中姫という皇后があるが、その弟姫がまた大層な美人であった。衣通姫、といわれるのは、衣を通り抜けてその美しさが輝くほど、ということで。
その美人である妻の妹を、入内させて側室にした。今の感覚では完全にアウトだが、古代ならちょくちょくありそうな気もする、けどやっぱり允恭天皇の場合はアウトだったようで、皇后が怒る怒る。
しかたないので衣通姫は藤原宮、ちょうど奈良盆地の端と端くらいに遠ざけられた。
それでも天皇はしょっちゅう通って、皇后にさらに怒られる。衣通姫はもっと遠く、和泉山脈を越えて、ここ茅渟宮まで飛ばされた。
ところが懲りない天皇、まだあれこれ理由つけて和泉まで行幸を繰り返すこと2年。よほどこっぴどく皇后に怒られたようで、ぱたっと和泉行幸を止めた。
美人に弱い、それでいて奥さんにも弱い、なんとも人間味のある允恭天皇。和泉国に捨てられてしまった衣通姫は哀れではあるけれど。
茅渟宮とはなんなのか。
元正天皇の時代に茅渟宮が造営されたというけれど、これはかなり大きな話、和泉国が河内国から分離独立するきっかけになるような規模のことだし、時代もずっと後だ。(允恭天皇は19代、元正天皇は44代)
衣通姫の「茅渟宮」は、まあ現代風にいえば愛人を囲っておくための、しかも奥さんから隠しておくためにあえて遠くに買ったマンション、みたいな感じがある。政治的な離宮ではなくて、天皇の后がいるから宮と呼んだくらいでは。
衣通姫のために和泉一国を、というのもスケールでかくてカッコはいいが、でも允恭天皇の恐妻家っぽさから見て、そこまでとはあんまり思えんような。