堺風の頭部

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真田丸にスルーされた本多忠朝を訪ねて

長らく楽しみにしていた真田丸も終了。

小真面目で不器用でなにより間が悪い信幸お兄ちゃんに感情移入せずにおれない場面度々でした。

 

それで、信幸お兄ちゃんの嫁さんはあのおっかない小松姫本多忠勝の娘。東京にいた頃に訪れて印象的なところだった大多喜は、本多忠勝の旧領でもあった。

やはり大阪生まれの大阪育ち、どうしても徳川家には気持ちの距離があるのだけど、不思議と本多忠勝には縁がある。大多喜の後に移った桑名もよく行く。

で、本多忠勝が桑名に移った後、大多喜には次男の本多忠朝が入った。

本多忠朝は真田信幸・信繁とは兄弟ということになる。

その本多忠朝は、大阪冬の陣で酒飲んでる所を襲撃されて大敗。大御所様にめちゃくちゃ怒られて、取り返さないとヤバいという背水の陣で臨んだ夏の陣。

やる気は十分、先鋒を買って出て天王寺口に陣を敷いて迎え撃つ構え、なんとしても汚名を晴らすぞと思っていたら、なんかそれ以上におかしい勢いで突撃してきた毛利勝永にやられて討ち死に。

これはこれで武士の意地があった戦だったけども、「真田丸」では「毛利隊は破竹の勢いで本多隊を打ち破り」のナレーションひとつで終わってしまった。いやもうちょっとなんか……

なんか浮かばれない気がしたので、本多忠朝の墓所がある天王寺の一心寺にお参りにいってきた。

 

東京に行っていたから、天王寺は久しぶり。

最後に来たのは2015年の夏頃で、天王寺公園が工事に入っていた。

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新しくなった天王寺公園は、なんか「てんしば」と愛称がついて、料金所もなくフリー入場になっていた。入口にコンビニできていて、ああこれは便利かな、と思ったら、それどころか何やらオシャレなテナントまでできていて。

青空カラオケのメッカだった時代は、新世界の延長みたいな雰囲気がどことなくある、小汚いけどやはり下町育ちにはどこかしっくりきたもんだった。

今のこれは、あべのハルカスとキューズモール開業で一気に若い人の街になった天王寺の延長だなあ。

いや、きれいでいいんだ。今のところ、ほんとに芝生だけであまり面白くないけれど、まだ工事中の部分もあるから何かするのだろう。

植物園がなくなったのはほんとに残念だけど。

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通天閣もまた改装中。

新世界も、まあこれは少し前からの傾向だけど、他所の人を迎えるための顔した街になっていっている。まあ、今まで一応通天閣の麓の観光地なのに、下町中の下町の姿を丸出しにしすぎだったけれど。

 

 

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黒田藩長屋門は健在だった。まあさすがにこれを壊すまいが。

なんか鳩にはちょうどいい隙間の瓦らしく、何羽もいた。

 

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さて、まず茶臼山へ。

赤い和気橋。和気清麻呂が治水のために上町台地を開削しようとして失敗した痕跡がこの河底池で、それにちなんだ名前。やっぱり関東より、そこらで目にする人物の名前が古いあたりに、帰ってきた気がするな。

 

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さすがに真田丸モード。

冬の陣では家康本陣、夏の陣では真田本陣、しかしそれが真田丸以前は正直さほど目立つ場所でもなく、有料の天王寺公園に入ってまで、というのは歴史ファンくらいだった。

以前は、天王寺公園の出入り口が新世界側と天王寺駅側にしかなかったけれど、無料化したおかげで北側の一心寺方面と、東側の谷町筋沿いにも出入り口ができた。来やすい。

 

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このモニュメントも真新しいのが微笑ましい。

大阪市天王寺区でさえ浮かれてしまう大河ドラマのパワ。

 

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山頂も特に何があるでもなく、そのかわり、幸村礼賛&名言集看板が多数立てられていた。何十年も持つような造りには見えないので、多分真田丸ブームが終われば撤去されるんだろうなあ。

 

公園を出て、すぐ北に一心寺の参拝者休憩所があるのだけど、そこに大阪城所蔵の大阪夏の陣図屏風を陶板画にしたものを展示してある。

本多忠朝はちょうど目立つところに書かれている。すこし報われただろうか。

 

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そしてちょっと行ったら一心寺。

慶長元年(1596年)にできた(鎌倉時代から法然上人の旧跡ではあった)から、大阪の陣の頃にはそう古い寺ではなかった。

かつては大阪城から門を移築してたりもしたんだけど大戦で焼けた。

そのおかげであろうか、ついでにいえば相当マニーのあるお寺さんのようで、境内が妙に現代的。山門がすでにアート建築みたいで、阿吽の仁王像も西洋風で。だから、実はわりと最近まで仏教系の新興宗教の寺かと思いこんでいて。

写真はお寺らしいカットにしてみたけれど。

 

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そしてこれが本多出雲守忠朝の墓。

先述の酒でやらかしたエピソードから、今際の際に、自分と同じように酒でやらかす者を助けると誓って死んでいったそうで、全国のアル中が禁酒を願いにやってくる。

亡くなったのが大阪なので、大多喜にある墓は分骨されてのもの。

まあ、私がしっかりフォローしたので、これで三谷幸喜が呪われて酒に溺れたりはしないと思う。でも薄田兼相にも恨まれてるかもしれんけどそっちは私は与り知らぬ。

 

しかしせっかく何やら縁もあるのだから、本多忠勝の小説でも読んでみようかな、と思ったら、意外とさほど書かれない感じで。司馬や池波が書いたりはしてない。

加野厚志本多平八郎忠勝 家康軍団最強の男」の評価が高いようなのだけど、PHP文庫で電子版がなさそうだなあ……

本多平八郎忠勝―家康軍団最強の武将 (PHP文庫)

本多平八郎忠勝―家康軍団最強の武将 (PHP文庫)

 

別に影が薄い人でもなし、意外だな、と思うも、それほどマニア的に歴史小説を乱読するわけでもないので、有名人でも1~2冊もあれば十分、という世界なのかもしれない。

 

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一心寺のすぐ向かいが安居神社なので、もう何度も行ってるけど今度も参拝。

この幸村像は、もう5年やそこらは過ぎてると思うから、真田丸はまだウワサもなかった頃だと思う。

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戦死跡の碑は、これは昭和26年建立とのこと。

古くから安居神社は花見などを楽しまれていたらしいが、今は、上田市から贈られた枝垂れ桜が植えられているので、春になったらまた見に来ようか。