リコーイメージングスクエアのフォトスクールに行って、その帰りにちょっと天王寺へ。
あまり効率よく回れなかったので、今日はふたつだけ。天王寺なんかしょっちゅう行くし、別に一気に制覇する必要もないのだ。
目次
訪問記2月17日
玉水町(天王寺区)
市立美術館前の大階段をおりてすぐのところ。
住所だと茶臼山町1番地。茶臼山町は大半が天王寺公園なのだけど、東側の堀越神社からびっくりドンキーにかけての並びも含む。
多分碑が立った当初からなんども前を通り過ぎてるはずなのに、さっぱり気付いてなかったな。
それほど派手な碑でもなくて、しれっとあったら案外見落とすのだ。
玉水町の由来は、「天王寺七名泉の一つである玉出水から採ったといわれている。」と碑文にある。
多分同じものだと思うが、天王寺七名水(上六うえいくネットより)というのがあったようだ。
逢阪町(逢坂町)(浪速区)
住所でいうと下寺3丁目17番地なんだけど、周囲は本当に住宅しかないなあ。地図では小さな公園が見えてるから、その東側。
逢阪町はずっと区の境目で、あっちいったりこっち来たりしている。
元は東成郡天王寺村大字天王寺。明治30年に大阪市に編入されて南区に。二年後に大字が消えて南区逢阪下之町に。(逢阪上之町ももちろんあって、これは今の天王寺区逢阪あたり。ちょうど坂の上と下だ)
大正末に天王寺区を作るにあたって、旧東成郡にあたるところが割譲され、逢阪下之町は天王寺区に属することになった。(同時に旧西成郡にあたるところが浪速区に割譲されていて、逢阪あたりでは浪速区と天王寺区が隣接することになった)
昭和18年に行政区画が変わり、天王寺区と浪速区の境界が東に移動して松屋町筋に。それで逢坂下之町は浪速区に移った。また、国道25号線が南北の境界とされて、現在の天王寺動物園の一部にあたるエリアは、切り取られて天王寺区に残った。
このときに、下之町が消えて浪速区逢阪町と改名。
そして昭和55年の住居表示実施とともに、逢阪町は消えて下寺三丁目の一部とされた。
逢阪町と直接の関係はないが、平成元年に南区は、東区と合併して中央区となって消えた。
天王寺区と浪速区の間を彷徨う間に、生まれ故郷の南区を失った、哀れなストレイ・ワードだ。しかも生き別れの兄が天王寺区にいる。
なお、「名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな」の逢坂山は、京都山科と滋賀の大津を結ぶ関所があった山で、この逢坂とは別。