堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

dアニメストアで観たやつ2

 ぼちぼち観ている。

 

理系が恋に落ちたので証明してみた(2018)

 なんで雪村はあんな偉そうなのか、それも理系または知能の高い人の一般的イメージなんだろうか。

 私の経験だけの話だけど、知能が高くて攻撃的な人って、雪村のようにストレートに傲慢で口調が威圧的なタイプよりは、言葉尻は丁寧語を使ってるくせに人を舐めてるのが透けて見える慇懃無礼さで、相手を巧妙に苛立たせて失敗あるいは反撃を誘い、それを侮辱したり被害者面するような形で知能を使うような奴のほうが多かったけど、まあ、そういう奴は劇中で使いようがないな。なんか思い出してむかついてきたぞ。地獄に落ちてほしいです。

 

 奇しくも視聴中に、関係あるようで特にない妙なものを見かけた。

 私が5年くらい前から見てる古手の個人Vtuberに、SNSで奇妙に上から説教を連発し、Vtuberファン界最強の説教にじさんじに行け」を発射する人を見かけた。
 その人の発言を遡ると、どうも2年前には普通のファンだったのに、海外の大学院に留学して博士論文の執筆に追われるうちにこうなったらしい。
 なんとなく雪村の傲慢さと重なってしまい、「学問の苦しみは人を苛烈にする」というのがこの作品の隠されたテーマなのかもしれない。

 もちろん適当にいうている。

 

ゆるキャン△(2018)

 舞台のあたりを旅してみたい気持ちもあるが、どうも私が行きたいと思うようなところと趣味が外れている。私は鉄道でしか旅行しないから、身延線だと久遠寺浅間大社くらいしかぱっと思いつかないな。身延線て確か城下町も沿線になかったし。

 コロナ以来、アニメツーリズムという文化はどうなってしまうんだろう。一時期に比べるとあまり聞かなくなった気がする。ぼっちざろっくがあったけれど、あれは都内だし。
 かねて異世界転生ブームだけど、あれじゃツーリズムはやりようがない。
 ウマ娘みたいな現実モチーフのやつは、いかな中山競馬場に年末にいってもそこにトウカイテイオーは出走してこない。

 

お兄ちゃんはおしまい!(2023)

 目新しい色使いと、別にコマを多く使ってるわけじゃないと思うけどぬるぬるに見えるような動きのアニメーション表現、確かにすごい。

 そんな令和最新ハイレベルアニメ表現に、ずいぶんレトロというか古臭いネタが乗っていて、「これは多分お約束ということでやってるんだろうけど、これまだお約束で通じるんや」と思いながら観てた。
 このレトロ感なお約束丸出しで突き進んでしまうのといえば、電撃G'sマガジンの読者参加企画っぽいかもしれない。

 ごく平凡なニート男性である主人公は、ある日、目が覚めたら女の子になっていた――
 天才科学者である妹は言った。
「うんうん、まずは大成功ね。それにしても、随分とまあ可愛らしくなっちゃって……」
 そんな妹の手には、『お兄ちゃん改造計画』の書類。
「この際、しばらく楽しんでみたら? 女の子の生活」
 こうして、女子中学生になって同級生たちに囲まれる、奇妙な生活がスタートしたのだった。

 というような雑なフリで始まるやつ。
 べびプリの前という間が悪いところで始まってしまって、アレの異様さに話題を奪われていまいちくすぶったまま、さらに次のラブライブ!が始まるとともに消し飛んでしまった不幸なタイトルだよ、と設定を盛る。

 

イジらないで、長瀞さん 2nd Attack (2023)

 1期でもうふにゃふにゃだったのに2期でどう広げるんだろう、と思ったら何も広げなかった。
 停滞していただけなのに、なぜか部長の従妹が出てくるのが遅すぎて、何も出来ずに締めの賑やかしに使われてたのは不思議なところだった。

 

ゾンビランドサガ(2018/2021)

 テンポ良くネタを繰り出し続け、画面も音も賑やかで、常に巽幸太郎の言動と方言が異様で耳に止まってしまい、ゆるっと流し見することを許さん作品であった。普段ちゃんと観てないことを思い知らされる。
 大阪の人としては、たつみコータローというと辰巳孝太郎だという余計なシナプスの接続もあって。
 佐賀県はおもちゃにされてもむしろ喜んでいたらしいのだけど、佐賀県警はああいう警官抱えてる組織ではないと表明せねばならんのではないかと、また不要な心配をしたりもした。本当に不要だけれど。

 しかし二次元における佐賀いじりは、「僕は友達が少ない」という先達があることを忘れてはならぬ。わらすぼを日本中に知らしめたのはこちらだ。どうでもいいけど。

 

 また関係ない話で、私がアニメを真剣に観れていないというのは、まあ以前から言ってる通りシムーンが一番面白いで決着つけてしまってるからではあるけれど、今となっては心身の衰えで、あまり感動するようなものもエキサイティングなものも、疲れるから心が反応すること自体を無意識に止めてるようなところもある。
 「宇宙よりも遠い場所」がブレイクしてたとき、私はもう全然乗れなかった。手に余る本を読んでる時の「目が滑る」みたいに、心の上っ面で受け流してしまってるのが自覚できた。もうだめだよ私。
 私はアニメの視聴者としてはもう主たる客層を外れてしまっているし、逆に「こうなってるオールドファンが多いからそっちを狙いに行く」みたいな市場戦略が有効になってしまったらもう衰退の道だから、ロートルが「最近のはわからん」といいながら離れていくようになるくらいが健全。

 

こみっくがーるず(2018)

 かおす先生に妙におっさんくさいキャラを付与してしまったせいで、妙におっさんくさいサービスシーンがしばしば挟まれる感じになってしまってるような。

 

スロウスタート(2018)

 原作読んでたときはあんまり記憶になかったんだけど、アニメでは部屋水着回とかの意外とおっさんくさいサービスシーンや下ネタが多い。
 こみっくがーるずもそうなんだけれど、なんかあんまりありそうに思わない雰囲気のやつで下ネタ多かったりすると、どうも違和感強まってしまうな。

 

ブレンド・S (2017)

 原作の絵がかなり少女漫画っぽいきれいな画風で、それでこういうネタをやるんだ、と思わせて別にそれほど直接的にやるわけでもない、という落とし所。
 ただ絵が普通のアニメ調になると「普通やなあ」という感じが強まったかも。

 

けんぷファー(2009)

 「おにまい」から、TSFモノって昔どんなんだったかなあ、と思って見返してみたけど、古い本作はもう「性転換したら(若干の男性みを残した)美少女になって周囲の女の子にモテまくる」というネタを、わざと明らかにおかしいくらい過剰にやってコメディ化してるような調子だった。
 けんぷファー原作は2006年スタートだから、その時点で「男をハーレムの中心に置いたら反発も出るから女の子にしておく」という抜け道を使って、さらにそれをTSでやって、さらにその構造自体を過剰にやっていじる、くらいまでやってた。早い。

 ただまあ、ゼロ年代ラノベがオタクコンテンツの前衛だったし、攻めた設定が通ってたようにも思う。
 とはいえ別に、けんぷファーが突出した先にそのまま現代のコンテンツがあるわけでもなくて、突出してそれ以上続かず先端が残ることもままある。

 

アキバ冥途戦争(2022)

 私なにしろメイドがすごく苦手なので、自然とスルーしてしまっていたけど、旧友の激賞があってチェック。

 ピーエーワークスはクオリティが高い作品を作ると思っているけれど、話が面白いかどうかには正直大きなムラがあって、面白い時には「true tears」や「花咲くいろは」が出てくるけれど、そうでないときもけっこうある。
 高品質な作画と品のある劇伴、静かに真面目に丁寧な雰囲気で、面白くはない、という感じで滑る。

 しかしそんな、時々砂糖が足りなすぎる高級和菓子屋みたいなところが、2022年には「パリピ孔明」からこんなのを続けて出してたという。

 メイドカフェものとヤクザ映画を無理矢理融合させて、メイドさんがひたすら殺し合いを繰り広げる、ひたすら刺激が押し寄せてきて、そして見終わったら清々しいほどなにも残らず、激辛こんにゃくでも食べたかのような、見てるうちは強烈だったのに終わってみると一体何だったんだろうという感じだった。
 それでこそナンセンスというものか。