地元が嫌いな私が地元の名所に改めて行ってみるシリーズ。とかいって9ヶ月ほったらかしていたけれど、第二弾。
今回は日根神社と、隣の大井関公園に。
泉佐野市の山手のほうが日根野という地名だが、716年に河内国から分離して和泉監が立てられた時、今の貝塚市から岬町あたりをごっそり日根郡と呼んだ。
日根野というのは神武東征に由来している。
カムヤマトイワレビコが西から山を超えて大和に攻め入ろうとしたが、ナガスネヒコに食い止められて進まなかった。日の神の子孫たるカムヤマトイワレビコが太陽に向けて戦うのがいけない、と気付いて、一旦後退。開けたところに拠点を置いて、日の神アマテラスと根の神スサノオを祀った。
日の神と根の神を祀ったから、あるいは日の御子が根拠地にしたから、ということで「日根野」という地名ができた。
(以上は日根神社のウェブサイトから)
日根神社は、樫井川に沿って細長い敷地。
川下側から歩いていくと、まず摂社の立ち並ぶ広場から。
延喜式神名帳に、日根郡から日根神社を含む十社が掲載されているが、この写真の一番右に写っている比賣神社もそのひとつ。式内社in式内社。
丹生神社もあるが、これも聖武天皇の頃に勧進されてきたものだとかで、さすがに歴史がある。
別に建物すべてが古いわけでもないはずだけど、苔や地衣類が広がっていて、なかなか味わいはある。
山門みたいなのもあるが、本殿となりに慈眼院という神宮寺があるので、神仏習合時代の名残かなあ。
慈眼院には柵が閉められていて近づけなかったが、眺めることはできる。
この多宝塔は国宝。国宝の中では最も小さい多宝塔だが、しかし三名塔のひとつに数えられる秀作とも。1271年建立。
慈眼院というお寺自体は、聖武天皇の勅願でできたからもっと古い。
そして日根神社拝殿。
拝殿は別に古くない。何だろうこの、瓦屋根の破風の前に銅板葺の唐破風を追加したようなつくり。
いつできたかは不明、716年に和泉五社というのが制定されて(河内国から和泉監が独立する時に決められたっぽい)、それに指定されている。
祭神はウガヤフキアエズノミコトとタマヨリビメ。カムヤマトイワレビコ=神武天皇の両親。ウガヤフキアエズは宮崎県ではよく祀られてるみたいだけれど、ここでは先述の神武東征にまつわるエピソードがあっての祭神っぽい。
横手に回ると本殿も見えるが、戦国時代に戦火に消失(秀吉の紀州征伐に巻き込まれた)して、秀頼に復興されたもの。写真はやめといたけど、やはり桃山風の派手なやつ。
日根神社の脇に細い通路があって、歩いて行くと、樫井川をまたぐ「ろじ渓」というアーチ橋がある。写真は橋の上からの眺め。
大体その橋の両岸あたりが、大井関公園とされている。
桜が多数植樹されていて、春には桜まつりもあるところ。
そのイメージでもっと広い公園かと思ったが、案外こぢんまりしていた。ここに花見客押し寄せたら窮屈にも思うが、春には藪やらを整理してもっと広い感じになるんだろうか。
季節柄と、また山手で川沿いの農村地帯という土地柄で、ヒガンバナがたくさん見られた。
しかし公園内に整然と植えてるという感じじゃなく、本来子供が走り回ってそうなところに群生してたり、道端にぽろっとあったり、なんだか人の意思が感じられないような雑然とした生え方をしていた。勝手に増えたのだろうか。
木のうろから生えてくるたくましさ。
キノコも出ていた。何のキノコかわからんけれど。
泉佐野市の中では最も歴史を感じられる場所といえる日根神社だけれども、なにせ日根野駅から特になにもないところを2キロ以上歩いてやっと到達できる遠さが難か。私は単車で行ったけど。