堺風の頭部

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石川県に用事ができた(金沢城訪問記)

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 私も結構国内旅行が好きな方で、結構あちこち行っている。
 のだが、たまたま訪ねていなかったのが石川県であった。
 大阪から、富山には氷見とか城端のような鉄道の果まで行っている。福井にも泊りがけで九頭竜湖まで行ってきた。新潟まで用事で行ったときにも、北陸経由で帰ってきた。が、ことごとく石川スルー。

 で、今回ついに石川に行くことになった。

 

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 大阪から青春18きっぷでいったもんで、環状線 → 大阪 → 京都 → 近江今津 → 福井 → 金沢、とはるばる行ったのだが、福井駅なに?

 時期が時期だから18きっぷ客だらけかなあと思ったが、幸いおおよその区間で座れた。近江今津→福井だけ立ち。

 

金沢を歩く

 ホテルのチェックインは午後3時だが、12時に到着してしまった。
 頼んでみると荷物は預かってくれるとのことで、ありがたく頼んで身軽に金沢の町へ。

 

安江八幡宮

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 地図で見えていた神社に寄ってみる。
 八幡宮なんだから祭神はもちろん応神天皇。金沢は武家の町だから、加賀藩主前田家の崇敬も受けていた。
 天慶2年(938年)にできたというから、平将門の乱があった頃か。

 城下町の頃は鍛冶屋が集まる地域にあって、鍛冶八幡ともいわれたそう。(一度火事で焼失して移転してるらしいので、現在地は鍛冶屋町ではないのかな)

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 加賀八幡起上り、というものの発祥の地。
 氏子のおじいさんが、赤い産衣をつけた応神天皇の赤ちゃん時代の像を作って、参拝者に授与していたのが広まっていったとのこと。
 大阪にまでは伝わってこない地域文化だ。

 

城下町

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 八幡さんから金沢城の方へぶらぶら歩く道すがら、古い住宅地なんだけどいい感じの古民家が残る。
 これは「金沢町屋 旧深田家」と案内板がついていた。

 金沢の町屋は、大正時代に低町屋から高町屋へとスタイルの変遷があったそう。2階建ての二階部分が高いか低いか、とのこと。この建物は中間的なものだそうだけど、いわれてみれば二階の窓の高さが半端だ。
 出格子も、ベンガラで塗ってあるのは金沢スタイルなんだろうか。

 建てたのが材木商だそうで、珍しい材木が随所に使われてるそうな。

 

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 そしてそんな古民家が混じる風情ある住宅地に、突如現れるエロ映画館。住宅地にあるんや。それとも昔はもうちょっと商店街っぽいところだったのか。
 blogもあるよ。ハイカラ!

 

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 こんな立派な食堂(跡地かな?)もある。
 金沢は空襲で焼かれなかったからか、実に良い建物が残ってるなあ。

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 金沢別院の前で、こういう建物で飲食店と古美術商が並ぶ。これは住宅に蔵を連結して建てたものなんだろうか。

 

昼食

 近江町市場というところに到達すると、すごい人出。黒門市場的なところだった。
 昼飯を食いたいところだったが、ちょっとこの人混みをかきわけるには……。あと飲食物価が結構高いぞ……。

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 「近江町いちば館」というところに入ってみると、石川県民の友人の口から何度か名前が出ていた「チャンカレ」こと「チャンピオンカレー」があった。

 意外と辛さは控えめ、ちょっととろみが強め。私にはなかなか好みの味だ。いいな。
 大阪にも店がある「ゴーゴーカレー」は後発だそうで、金沢カレーってのはどっちのもんやと争ってたそうな。

 

金沢城の門前

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 金沢城黒門口のすぐ側にある、尾﨑神社。
 祭神が天照大神東照大権現、前田利常公。大阪ではレアな東照大権現も、他所行くと案外あるもんだな。

 かつてはもっと大きくて、金沢城北の丸にどーんと構えて「金沢城の江戸」とか「北陸の日光」などとまで呼ばれていたそう。名前も「東照三所大権現社」だった。
 城を陸軍が使うようになって追い出されて現在地に。
 本殿・拝殿・幣殿・中門・透かし塀などが重要文化財に指定されている。

 

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 すぐとなりは御算用場跡地とあったが、現在は会計事務所が建ってるのがなかなか洒落ている。

 

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 そのまた隣は黒門前緑地とあり、金沢の偉人・高峰譲吉が住んでいた家がある。

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 それから、旧検事正官舎が多分棟続きで建っている。
 中も見たかったんだけど、なんか貸し切りになってたのよね。撮影でもあったのかな。

 洋風の外壁にした建物がくっついてるのが明治風やなあ。
 「電話 一三番」と覚えやすい電話番号の表示もあった。多分石川県で一番早い電話なんやろな……

 

金沢城

北の丸

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 黒門を抜けるとそこは芝生であった。広い。

 

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 黒門からちょい東、城の北側ど真ん中あたりに大手門があった。ここは虎口も作られていて城らしい構造。

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 見せつけるように巨岩を積んでる石垣も大手口らしい。

 

河北門

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 正門にあたる河北門のすぐ横に、ニラミ櫓台がついている……と思ったけど反対側だな。これは二の門の櫓門だ。
 なまこ壁も見える。めずらしい。

 

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 さっきの写真に写ってた足場が入り口で、この中を見られる。

 中では修復工事についての展示があって、この門は鉛瓦なんだなあとか色々情報あり。

 

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 金沢城の塀は、壁の所々に直交する小屋根がある。扉もついてるようだが、反撃用の何かなのかなあ。

 

石川門

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 城の東側にある石川門はなかなか殺意が高くて、虎口の三面をぐるっと囲むような多門櫓になっている。突入したら三方から矢を射掛けられまくるんだから怖い話だ。

 

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 石川門側から兼六園に行けるのだが、今回はパス。

 

五十間長屋

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 ずばーっと長く続く五十間長屋。金沢城用語では多門櫓を長屋と呼ぶそうだ。

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 橋爪門から二の丸へ。

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 虎口の中から、二の門の方向。
 石垣がきれいに形を整えた切込み接ぎだけど、あんまりこういうふうにまっすぐ横に連なったような積み方をすると、地震で崩れやすくなるとも聞いたような。まあ今残ってるからには大丈夫なのだろうけど。

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 こんなに床石をきれいに切って作ってある。最近の仕事かと思ったら古くからこれ。

 

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 門をくぐって、反対側の菱櫓。

 外見じゃあんまりわからないが、これ柱を全部菱形(80度と100度)にして建ててある奇怪な櫓。
 石川門と大手門を両方見張るために、そういう角度の建物にしたかったらしい。大工さんはさぞ困ったであろうけれど。

 

 で、菱櫓から五十間長屋、橋爪門続櫓の中に入れる。310円。
 中は展示やらも含めて面白くはあるんだけど、いかんせん写真映えしなかったので省略。

 

本丸

 さて、ふつう城と言ったら本丸がメインなのだけど、金沢城は早くに本丸にあった店主が落雷で焼けたりとかしていて、二の丸御殿が主な建物だった。
 その二の丸御殿がまた、古い図面を見ると異様なほど広大な代物なのだけれども、これまた火事で焼けていて現存しない。

 金沢城はなんだか、やたらと燃えやすい城だ。
 落雷で焼けることもあれば、金沢の町に大火があれば類焼して城も焼ける。というか金沢の町がやたらと火事の多い町だったみたい。こちらのサイトに詳しい。

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 本丸の方へ歩いてみると、三十間長屋というのが建っている。
 地形的には本丸西側の守りのためにあるようだ。

 

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 本丸は、自然に帰されていた。隅櫓台などは残してあるけど、他はもう森林。
 公園になってる、っていう程度はよくあるけど、ここまで本丸を森にしちゃってる城は他に見たこと無いな……

 

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 櫓台といってもこの程度のもの。ここまでかなり人通りも多かったが、本丸まで来る人は私以外に見当たらなかった。

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 乾櫓台のすぐ横手に、土塁をレンガでくりぬいたような構造体があった。なんだろう?
 戦前には陸軍が城を使ってたってことだし、その時代のものかな。

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 鶴丸倉庫という土蔵も残っている。明治のものかと思ってたが幕末に建ってたと後でわかった、とのこと。
 2階建ての随分大きな蔵だ。

 

 と、これで金沢城ひとまわり。
 これだけでもかなり歩いたが、一挙に兼六園もいくとかなり大変かもしれない。私今回ちょっと靴があまり歩きやすくなかったので辛かった……。
 さらに、私は駅まで歩いて戻ったが、バス使うほうがいいかもしれんな。

 

 ホテルに戻って休養し、晩飯を食おうと思ったが、さすが北陸の中心・金沢だけあってどこも混んでる。
 私はそういうときはスーパーマーケットで地元感のあるものを買い込むのが好きだが、金沢駅前はスーパーもない。異様なほどホテルだけが林立して、それ以外の生活的な雰囲気がどこかに押しやられている。

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 一応、駅ビル内にスーパーがあったので、そこで。

 おにぎりは「ひゃくまん穀」という石川独自の品種の米で作ってある。2017年から販売開始したばかりの新品種。
 大粒で、冷めてもあまり硬くならないとのことで、確かにおにぎり向き。一見コンビニでも買えるようなおにぎりだけど、食べると米粒感がはっきりしていて、なるほど違いがわかる。いいなあ。