開催中の艦これ夏イベントも、私は無事に全ステージ突破、岸波とゴトランドの掘りも終えられた。
まあ、5年以上やってる横鎮提督のくせして、甲甲乙丙丁、と実にやる気のない難易度選択で、ゆったりクリアしたんだけれど。
問題は新艦娘掘りだった。
私は、グラーフ・ツェッペリンを掘るのに100周かかった後に、嵐を70周掘っても出ないままイベント終了を迎えてしまったとか、ルイージ・トレッリにも120周かかったとか、掘りで泥沼に頭の先まで埋まってしまうことがよくある。
が、今回は岸波もゴトランドもせいぜい30周で出て、比較的ツいていた。
攻略を頑張らずに難易度を下げたら、新艦娘掘りの当たり確率も下げられて沼りやすい。といって攻略難度を上げてクリアできなかったら掘り以前の問題。
何が正解かはわからないが、私はずっと攻略難易度は下げて、掘りで苦労するほうを選んでいる。
しかし今回、巷では、攻略難易度も高すぎてきつい声もよく聞いたし、また掘りも沼る人が多いみたいで、ゴトランドに200周以上かかったなんて話もあった。
そうなると、呪詛の声みたいなのが渦巻いてくる。
まだ艦これのプレイを続けてる層って、あまりにも長い間育ててきた艦娘をとても手放す気にもなれず、これまで大抵はクリアしてきているイベントを無視することもできない。
とはいえ、出撃させたら抽選でハズレを引かないように眺めるだけというゲームを、何日も何時間もかけてやるのが結構つらい。勝てる編成を追求するゲームだとはいえ、「1出撃中に何十回も抽選してハズレを引いたらやり直し」という内容だから、何が正しいかの追求も難しい。究極的には、運が悪けりゃ何やってもダメ。
そんなジレンマの中でイベントをやっているのだ。
だから、あんまりにも上手くいかないと、イライラしてきてしまう。わかる。私もそうなる。
そして、その怒りの向かう先が、かなり人によって違うように見えた。
フラストレーションの向かう先は、大まかに3つある。
ひとつは、艦これ運営に向かう。
ゲームの内容が苦痛すぎるとき、そんなきついゲームを作った人に向かうというのは、わかりやすい話ではある。
それから、艦娘に向かうケースも見られる。
攻略中に誰かが大破して失敗したら「こいつが無能なせいだ」と、掘りに沼ってくると「お前じゃねえ、出てくるな」と。
それと、外に向かずに自分に向かうタイプ。
運営を責めるわけでもなく、艦娘に当たり散らすでもなく、自分の運ややり方が悪いと思う。
別にどれが優れているとか好ましいとか、そういう話ではない。
で、この3タイプだと私は3つ目の、自分に向かうタイプだった。
自分だけ責めてるタイプ、なんて言ったら好ましそうに見えるけど、少なくとも私は全然そんなことはない。
「これでダメだとか運が悪い以外に理由ないよなー」とか「私は50%の勝ち負けは9割負ける」とか「全然いける気がせんな」とか「どうせ100周は掘らないと出ないんだから」とか、内向きの鬱陶しいことをずーっとSNSに書きながらやってるので、全く好ましくはない。
粛々と黙って遊んで、うまくクリアできた、掘り当てられた時に「できましたー」とただ喜びを示せる、そういう人なら好ましいのだけど。
私の場合は、「私は常に不運に見舞われる体質だから、ろくなことが起きないのはいつものことだ」と確信を持っているから、ごく当然に、艦これの失敗も自分の運の悪さに最優先で結びつく。
山城みたいな感じなので、山城好きなら私に萌えてもよろしい。
上手くいかないのは私の運が悪いせい、これが私にとって自然であって、それ以外にはなりにくい。(運のせいであって、やり方が悪いとは素直に思わない点にも注意)
私と違うタイプはどうだろう。
運営や製作者が悪いと思うのは、「ゲームが腹立つのは作った奴が悪い」と、他人からも筋道のわかりやすい怒りだ。
私はそれより先に自分の不運に帰結させてるだけで、もし私が自分を並外れた不幸体質だと思ってなければ、運営に怒ってたかもしれない。
一方、「艦娘が悪い」と考えるのは、私にとっては自然ではない。無理にそう考えようとしてもうまくいかないし、他人がそうしてると、なんでそこに怒るんだろう、という感じになってしまう。
SNSなどでは時々見かける。
他の艦これファンとケンカになりかねないので、ネットに表出させる人は少ないはずだけど、それでも見かける。
まあ、それくらいイライラが酷いわけで、あんまりにもハマると腹立つのもわかるしな。
腹立つのはわかるとして、私はなぜ怒りが艦娘に向かないのか、というと。
艦娘相手に腹を立てようと思うと、「無能な○○が敵弾を回避し損ねたから大破した」とか「必要もないのにしゃしゃり出てきて新艦娘ドロップを妨害した」とか、艦娘が主体として、提督たる私に損をさせるような行動をとった、という認識が必要だ。
しかし私には、艦これというゲームそのもの、特に戦闘シーンからは、そこまで主体的人格を持った存在としての艦娘を、うまく想像できない。
画面に表示されているのは、バナーが出たり引っ込んだり、イラストがカットインして砲撃音がする程度の、すごく抽象度の高い戦闘シーンでしかない。
前にこんな記事を書いたけれど、艦これの戦闘シーンは、ファミコン時代同様の「キャラクター=ゲーム盤の上のコマ」くらいに見えるもので、全くインタラクティブではない。それで、私の目には、ゲームの中の艦娘は、コマ以上には見えていないんだと思う。
このゲームが数多くのコミックなどの派生作品、二次創作の源泉であるのは確かだし、それを楽しんでもいる私だけれど、でもやっぱり、ゲームの中ではコマだ。
コマ相手には、私はうまく怒れない。
もし仮に、戦闘中に艦娘ひとりひとりに指示を出せるようなシステムだったら、また違うかもしれないけれど。
例えば、涼風に「まずはあの4番目の駆逐艦を片付けてきて」と指示を出して、「がってんだー」と向かっていったのに、指示に逆らって戦艦に無駄に10cm砲撃って跳ね返され、挙げ句に反撃されて大破してきた、とかだったら、私も怒る気がする。こんなんだとコマっぽさが薄れて、怒る対象になれる。
逆に考えると、あの抽象度の高い戦闘シーンから、艦娘が戦う様子を思い描けて、そして無能だったり失敗を繰り返す艦娘が目に浮かぶというなら、それは想像力が強いんじゃなかろうか。
コマにしか見えないなんていってる私よりよほど、僅かな情報から想像を膨らませる能力が高い。
その想像力は、同人誌作ったり二次創作したりするのには向いてるかもしれない。艦娘に怒る人には、同人作家、それも面白いの描く人が多かったりとかしないだろうか。
しかし、私にも5年付き合った艦娘たちに対して、それぞれに十分明確なイメージは持っている。そうでなきゃ、あまり派生作品や二次創作も楽しめない。
鹿島がずっとサキュバスみたいに扱われてるのも結構違和感あったり、那珂ちゃん解体ネタを見かけたら地獄に堕ちろと口に出して言わずに内心思ってたりする程度にはコダワリもある。
でもなぜか、頭の中にあるイメージが、戦闘シーンに接続されないらしい。
まあその、今回のイベントでも、敵は「バカンスmode」とかいって飲み物や果物片手に現れるし、艦娘も艦娘で艤装を減らして水着や浴衣で出撃してるのが大勢いて、「この海戦と称する行為はなんなのだろう」と不思議に思ってはいる。少なくとも命の取り合いみたいなことやってると思えない。
この通り、戦闘シーンが「戦闘である」ということさえ、かなり抽象化されてしまっている。深刻で危険な戦闘なら「お前らしっかりしろ」と思うかもしれないが、私はだいぶゆるふわ戦闘ごっこ解釈に寄ってるので、その点でも怒りづらくはある。
特に結論らしい結論はないけれど、少なくとも私が、艦これでハマった時に自分の不幸体質のせいだと思うことは、ごく自然とそうなるから変えられない。
同じくハマった人が艦娘に当たり散らしていても、運営地獄に堕ちろと呪っていても、まあ自然とそうなってるんだろうから、なかなか他人が口出しして変えさせたりはできないんだろうなと。