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堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

指月伏見城・淀城・淀古城

 近いけど行ってないはずの淀城。ちょっと見てくるかとお出かけ。

 

 大阪から淀へいくなら阪急電車
 京阪乗るなら淀屋橋か、さもなきゃ京橋。

 この大坂城下町もどこか下町臭さの抜けないところで、駅から降りた瞬間だけは大きくきれい京阪モールの洒落た雰囲気があるけれど、その裏を見ればもう下町。
 そして何よりダイエーが京橋のシンボルで……ってイオンになってる。なんでもかんでもイオンイオンイオン。

 といってもまあ、中を見たらおばちゃんブティックでいっぱい、商店街を移設したかのようなこの感じがダイエー
 そしてドムドムがあるのがダイエー。さらにディッパーダンもあるのがダイエー

 すぐ近くのマクドナルドには行列ができていたけど、ドムドムは空いている。大阪では列に並ぶのはつまらん連中。どこでも何か自分の面白いもんを発見できる目端があれば、行列にくっついて時間をロスしてまで無難なものを選んだりしないのだ。

 まあ名前こそイオンになっても、このドムドムがあるうちは魂がダイエーのままなんだろうな。

 

指月伏見城 

 ここから京阪の特急で淀までぶーんと行くぞ、と思ったら、特急が淀を飛ばして中書島まで行ってしまった。Googleマップの乗換案内見たら、止まるかのように表示されてたと思うんだけど……

 まあ、中書島に来ちゃったのは仕方ないので、折り返し乗車なんて下品なことはせず、そのまま隣の観月橋へ。その近くに、指月伏見城の跡がある。

 

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 指月伏見城、元来は秀吉の隠居屋敷みたいなもんだけど、聚楽第に秀次を、大坂城に秀頼を置いて自分が中間で面倒を見るべく、城に仕立て上げられていった。

 しかし、できてすぐ慶長伏見地震天守倒壊。それからものすごいスピードで、現在は明治天皇陵にされているところの木幡山伏見城に移築されたので、この指月伏見城は打ち捨てられた。
 予震が結構起きてたから、秀吉も地震対策は気を使ってたらしいんだけど、この有様。いかな人の世の最高権力者といえど、大自然を想定できるというのは人の思い上がりに過ぎないな。 

 元々、月見にいいような丘の上だったらしいけど、現在でも、宇治川沿いの観月橋駅から一気に登るような高低差がある。平安時代には貴族が月見の館を建てたりしていた。
 ほんの2年前まで、伝承はあっても遺構はさっぱり見つかってなかったけれど、ライオンズマンションを建てるにあたっての調査で石垣や、金箔瓦などの遺構遺物が見つかった。
 このニュースは奈良で聞いたな。結構大きく扱われていた。
 発見直後に特別公開があって、それは行けなかったけれど、こうして今でも石垣だけ一部は残しているのが、ライオンズマンションの心意気か。

 

 近くに公園があったり、Googleマップに指月伏見城跡だとマークされているあたりとか、近くを回ってみたが、何もなかった。
 あるのはライオンズマンション脇の石垣のみ。川に面した小高い地形はよくわかるけれど。

 

伏見

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 でまあ、せっかく伏見にきたんだから、ちょっと月桂冠大倉記念館に寄り道くらいするよね。

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 私は三度四度来てるから展示内容はもう知ってるんだけど、入場料300円と引き換えにここ限定の日本酒を貰える。同じものが併設の売店で300円で買えるから、まあ入場料はただみたいなもん。

 一合300円というと特別高級ではなさそうだけど、やっぱり大倉の名前を出すもんだから下手なもん出すはずがなく、精米歩合60%の純米吟醸酒、超特選。
 純米の甘み旨味もありつつ、変なくどさもなく後味が口からすっと消える。いい酒感あふれる酒。

 

淀城

 伏見は程々にして(本気で楽しむなら一日日本酒めぐりのつもりで行かないと)、京阪淀駅へ。

 

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 淀城の前に、ちょっと京都競馬場方面に出て、乗馬センターへ向かう道へ。その右手に、淀光明寺跡がある。
 すでに廃寺になっているのだけど、墓所などを引き継いだ長圓寺が、戊辰戦争の東軍戦没者の骨を埋めたここに碑を再建したそう。

 ところで、碑のふもとにある「光明寺寄進刀 大和守安定」というのはなんだろう。長圓寺は刀剣乱舞に乗るタイプのお寺だということは、ネットを検索すると見えたのだけど、この大和守安定についてはあまりよくわからなかった。

 

 それで淀城跡に行くのだけど、現在は公園になっている。

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 駅から公園入り口に向かうと、與桙神社の大鳥居があり、参道が続いている。

 961~4年の応和年間に、僧侶の千観が佐賀から與止比女大神を勧進してきたのが始まり。桂川の水運の守り神だったそう。
 元は水垂町というところにあったらしいけど、どうもそこは治水のために集落ごと移動したという話で、その話だろうか、1900年に桂川改修にともなってここに移転してきた。

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 拝殿は1607年のものだとかで、国の重要文化財

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 大阪淀屋の銘が入った高燈籠が一対ある。一度闕所になって潰された淀屋、ゆかりのものが再興を誓って願をかけたのがこれじゃないかという話で。

 

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 玉垣がなく、どこまでが社地なのか曖昧に、稲葉神社というのが立っている。
 淀藩の祖として、稲葉正成を祀っている。林家の生まれだけど、稲葉重通(一鉄の子)の女婿となって稲葉を称する。しかしすぐ妻に先立たれたので、斎藤利三の娘を重通が養女にし、それと再婚して家を継いだ。この斎藤利三の娘というのが、あの春日局
 正成は小早川秀秋の家老をやっていたおかげで関ヶ原で家康に感状をもらい、下野国真岡二万石の大名にまでなって逝去。
 五代下がって稲葉正知の代で、下野佐倉から淀十万二千石に転封。
 それから廃藩置県まで、淀は稲葉氏によって治められた。

 

 他にもお稲荷さんが、やっぱりどこまで社地かよくわからない感じで立っていた。玉垣のないお社がいくつも散在している、不思議な感じ。あんまりこんな散漫な神社って見覚えがない。

 

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 淀城跡の碑、淀小橋跡の碑、唐人雁木旧跡の碑。

 淀城は宇治川桂川・木津川の合流点にあった川中島につくられたから、外に出るには橋がいる。淀小橋が北側で、大橋が南側、のはず。

 唐人雁木というのは、朝鮮通信使の船のために専用に作られた桟橋のことで、江戸時代の通信使はここから上陸していた。
 この碑の場所で上陸していたわけではなく、ここから北に200mほどのところが実際の場所らしい。

 

 1619年に木幡山伏見城を廃して、代わりに松平定綱が1625年に淀城を完成させた。解体した二条城や伏見城の建材が、淀城にリサイクルされたそうだ。
 天守こそ1756年に落雷で炎上しているけれど、天守台と本丸の石垣と堀がある程度残っている。
 天守台は京阪本線の線路際に近いところで、京阪の線路が微妙にカーブしているあたり、もしかしたら天守台を避けたのかもしれないな。
 (天守台の上にいける通路があったけど、大きな開閉式のフェンスがあり、果たして入っていいのかわからんかったのでやめておいた)

 ちなみに淀城には大水車がふたつあって、道行く人の目に留まる名物だったそう。淀駅前に水車のオブジェがあるのはそれにちなんでるのかな。

 

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 いかにも櫓台っぽいのが隅にある。石垣も江戸時代当時のものっぽい。

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 石垣の上から、途切れてはいるものの、幅は保って残されている堀が見える。
 公園として再整備された城に、堀にしては随分浅くて狭い小川みたいなのが作られることがあるけれど、淀城のはなんだか実戦的趣のある堀だな。

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 天守台近くとは別に、入り口から見て奥の方、西側に大きな碑がある。碑にも稲葉正凱子爵の名前があった。

 

 淀城は廃藩置県まで生きていた城だし、開発で削れてはいったものの、残った部分には当時モノ感がよく残る。それでいて神社に公園にと利用もされているけど、いい感じに併存している。結構独特な城跡に思う。
 生えている木がどれも古い感じで、かなり大きく育ってるのも印象に残るポイントだった。いくつかは淀城現役当時からの木なのかなあ。

 

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 唐人雁木旧跡は、淀駅から正面の通りを真っ直ぐ進んだら六差路にぶつかり、そこから真北の方へ行く千本通という通りに入ってすぐのところに、こんな碑がある。
 現淀城からちょうど真北に200mほどで、今は桂川から30mほど離れるが流域も変わっているだろうしで、ここが唐人雁木のあった場所なんだろう。

 

淀古城

 先述の通り、淀城は江戸時代にできたので、淀君が入っていた城とは違う。

 千本通を北に進んでいき、小さな川を越えたところにある妙教寺というお寺へ。

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 そこに、淀古城跡の碑がある。この写真の左下に見えてるやつ。

 それからこのお寺、戊辰戦争の流れ砲弾が飛んできて、貫通した穴ができてしまったそうで、その件についてもこの碑に書いてあった。

 

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 戊辰戦争東軍の慰霊碑もある。やはりこのあたりは戊辰戦争絡みのものが多いな。しかも東軍の。
 幕府軍が鳥羽伏見の戦いで破れて、淀城に篭ろうとしたけど淀藩が拒否して追い返したという経緯があるもんで、東軍に対して申し訳なく思うようなところがあるのかも。

 

 淀古城は、戦国時代より少し前から、やはり水運の要衝だった淀を抑えるために作られていた。信長と三好氏との戦いあり、足利将軍が信長に挙兵したときも岩成友通が入って信長と戦い、本能寺の変直後にも明智光秀に使われたりと、さすが場所柄、よく使われている
 茶々が鶴松を産んで淀君といわれるようになったのも、もちろんこっちの淀古城。
 しかし秀次切腹に城主だった木村重茲が連座し、淀古城も廃城。1595年なので、ちょうど指月伏見城に秀吉が入っていた頃。伏見でやるから淀はいい、という判断があったのかも。

 あんまり遺物や遺構が残っている城ではなくて、どのへんまで城だったかもよくわからないようだ。城としては重要なのに、いささか寂しい。