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堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

桑名城・清州城(αSweet DIGITAL / AF ZOOM 35-105mm F3.5-4.5 New)

城郭・歴史 徘徊記 カメラ

αSweet DIGITAL | コニカミノルタ製品アフターサービス - 株式会社ケンコー・トキナー

もう12年も前のカメラだけど、αSweet DIGITALを買った。

ボディが2800円(バッテリーだけあり)、レンズが隣に980円で転がってたAF ZOOM 35-105mm F3.5-4.5 Newを一緒に合わせて、3780円で一式。

私が初めてデジタル一眼を買ったのは、フィルム時代から使っていたPENTAX Kマウント。で、2006年にK10Dが発売され、一気に中古に*istシリーズのボディが買い替えで流れ込んだのを買った。

別に資産というほどPENTAXレンズ持ってたわけでもなし、αSweet DIGITALも気になるカメラではあった。財布に5万円ほど多く入ってたらαにしてたかもしれないなあ。

 

PENTAXレンズなら、書籍でフィルム時代の全レンズを網羅した本があって、また頭にもだいぶ入ってるのだけど。 

使うペンタックス (クラシックカメラMini Book)

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しかし、αマウントのレンズはよくわからない。

α-system Spirit Wikiというサイトを見つけて参照したところ、このレンズはAF ZOOM 35-105mm F3.5-4.5 Newであるらしい。α-7700iの標準レンズといったら、88年の製品らしい。30年前かー。

当時としては、望遠側が長めのコンパクトな標準ズーム、一番安いのだと35-80mm F3.5-4.5とかだから、もうひとつだけ格上、くらいのやつか。

APS-CのαSweetに35-105mmだと、換算で50~150mmくらい。標準から大望遠。ただ最短が0.85mと、今の感覚だとかなり長くて、手元のものは撮れない。私はちょっと距離取って撮るほうが好きでもあり、ちょっと広角もへたくそでもあり。テレが長いのはいい。

 

さてそれを持って、桑名城から清州城を歴訪してきた。

 

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名駅東側、1973年に建ったらしい私より年上の、生ける昭和駅前ビル「桑栄メイト」。

正直言ってボロいのだが、中が未だシャッター街に成り果てず、1階・2階については開いてない店は少ない。店も地元の個人商店っぽいのが多数で、特に二階の飲食フロアは元気そう。

そして、ドムドムハンバーガーが健在。現在中部圏で唯一現存するドムドム。ここより西だと大阪府島本町とか堺とかだし、北陸にないから北にもなく、東は遠くて神奈川の横須賀までいかないとない。

今や焼はまぐりや鋳物と並ぶ桑名名物といえるドムドム。分煙とかつまらんことはいわず、内装もどこか純喫茶っぽさが残り、そしておじいちゃんおばあちゃんと息子さんでやってる感じで、接客もマニュアル感すっぽ抜けた、ファストフードの常識をくつがえすというか、よそが勝手に常識作ったけど知らん、っていう名店である。

 

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東に歩いていくと、いかにも城の外堀らしい小川があって、そのすぐ西側(城の外側)に寺町通商店街がある。こっちはハードにシャッター街だけど。

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寺町、というくらいだから、東本願寺の桑名別院・本統寺を中心に据える。1596年に教如の娘・長姫が開いた。桑名城本多忠勝が入るちょっと前か。

芭蕉が「野ざらし紀行」で立ち寄ったお寺でもあり、句碑が残っている。

 

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ちょい東に桑名宗社がある。

この日はえらく寒くて、鳥取が雪で埋まってクルマが300台立ち往生したりしていたが、桑名でも夜の間に積雪があったようだ。

名神社は産土神天津彦根命と天久々斯比命(あめのくくしひめのみこと)、中臣神社では天日別命を祀る。伊勢国造が中臣氏で、その遠祖が天日別命だそうだ。

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立派な楼門もある。

 

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桑名城の三の丸を囲む堀川には、実に500mに渡って石垣が現存している。

かつては松が並んで水もきれいで、荷船が行き交う景色だったらしい。今でもボートは並んでいる。

 

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堀の向かいは「歴史を語る公園」といって、東海道のミニチュア風に仕立てた公園になっている。

かつては、七里の渡しから来た旅人が大勢集まる賑やかな宿場町でもあった。

 

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城の本丸・二の丸あたりを使っているらしい九華公園へ。

堀が埋め立てられてしまわず割りと残っているのが桑名城のウリになるかな。丘もないような真っ平らの平城、守りとしては堀が要だったろう。

 

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お堀には鳥がいっぱい。

 

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本丸の方には、鎮國守國神社、という耳慣れない名前の神社。祭神は、鎮國大明神(松平定綱)、守國大明神(松平定信)。本多氏の後には松平家が入ってるので。

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裏手に天守台があるのだけど、今は傷んで危ないから立入禁止に。

天守は1701年に城下で発生した大火で焼け落ちてしまった。それから再建されず。

天守台に聳え立っている細長い槍みたいな碑は、明治20年に建てられた戊辰殉難招魂碑。桑名藩は藩主が幕府側についちゃって五稜郭まで付き合ったもんだから、いろいろ難儀したのだろう。

 

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神社の向かいにある広場あたり、ちょっと小高いところがあると思えば、なんか大砲をおいてある。何の説明もないけど、なんだろう。

 

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城から七里の渡しへ向かう途中で、本多忠勝公に拝謁。

うっかりしてたけど、城の近くの浄土寺墓所もあったようだ。忘れていた。

 

七里の渡しあたりでは、さすがに今更渡し船もないが、揖斐川の治水事業に関するパネルなどが立っていた。

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それから水門管理所がこんな櫓みたいな建物。蟠龍櫓という、実際に七里の渡しに面した櫓が建ってたらしい。

2階が展望台で、忠勝や松平藩主の肖像画(コピー)などの展示がある。あいにく展望といっても雪空、また格子が太くて写真撮るには向かなかったけれど。

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望遠にしないと格子が写るからいまいち伝わらないが、長良川揖斐川の合流する、日本には意外と少ない大河を臨む場所。

 

桑名編はこれくらいにして、清須に移動。

名駅から近鉄弥富駅に向かい、JRで行っときゃよかったかなと思いつつ乗り換え。JR弥富駅は、名鉄尾西線の始発駅なのだけど、だが「ICカードの場合はJRの改札を通ってから、中ですぐ乗り換え改札機も通す」という手続きになる。

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雪がまた少し強まってきた。

駅時刻表に、尾西線津島線~名古屋から金山方面の停車駅案内があるのはいいのだけど、列車の行き先の吉良吉田駅はそこに書いてない。

一体どこの駅かと思ったら、名古屋を越え安城から西尾線に入ってずーっといった果て、蒲郡線との乗換駅が吉良吉田。そんなとこ行くと思わんかった。わからん。

今回は津島線が終わる須ヶ口駅まで行って、岐阜方面に乗り換えてすぐ新清洲駅が目的地……なのだけど、須ヶ口で速やかに下車して高架を渡って岐阜方面ホームに下りたら、目の前で急行のドアが閉まった。なにこの短い乗り継ぎ時間。

名鉄って、運行エリアが広大で路線も多いわりには、利用者が地元の人ばかりだからだろうか、いまいちよそ者が使うとわかりにくい気がする。

 

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五条川。大河というほどでもないが、清州城の東側を押さえる堀として働く川。

駅から城までは多少離れる。名鉄清洲も、JR清洲も、そう距離は違わないかな。

 

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美濃路五条川を渡るところで、清須古城阯の碑。

 

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五条橋は、尾張守護斯波氏の頃から交通の要衝だったところで、信長も秀吉も使ったような橋。

後に清洲越しで城が名古屋に移されたときには、橋も一緒に持っていかれたらしい。でも程なく美濃路清洲宿が興されてまた復活したそう。

 

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すぐそばに川上神社のお社がある。小さなもので、創建1654年らしいから信長も秀吉も見てない。けれど、昭和の初めまで続いていた清洲花火が、この神社の例大祭に合わせてやってたものだったそう。

清州城はけっこう南北に長く川沿いに広がったような造りだったみたいで、この神社も多分敷地内。美濃路側には馬出しがあったらしいから、ここがそうかも。。

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清州城跡は見事に東海道本線によって分断されているのだが、南側のエリアにはノブの像が建っている。

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もちろん濃姫、帰蝶もいるよ。

 

ノブの像は1936年に建ったものだそうで、桶狭間の方を見据えているとのこと。帰蝶は1992年と新しい。

元々帰蝶は清州城の方にあったのを、2012年にこっちに移した。そして今では「夫婦の絆・立身出生・必勝祈願 パワースポット 始まりの地 ~二人の愛と希望の丘~」と銘打った看板が建っている。立身出生はママだぞ。私の誤字じゃないぞ。

しかし、そんな内助の功エピソードなんかあったっけな、と思って少し確認してみたら、信長公記にすらちらっとしか書かれてないほど資料がない奥方らしい。そうかー。

 

東海道本線は、公園東側からすぐ歩いて渡れるのだけど気付かず、西の方に回り込んでしまった。

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公園内には、ノブを祀る廟もある。いつから建ってるとも書いてないけれど。

 

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清洲ふるさとのやかた、という施設は、休憩所と土産物屋。

土産物は……なんだ、信長サブレとか信長クッキーとか信長なんたらがたくさん。うん。

清洲はどうも、駅からここまで飲食店がほぼ皆無で、昼飯食いたくて食えなくて震えていたんだけど、ここでちょっと出したら儲かるんじゃないかなあ。

 

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おっと石垣だ。

元々は200メートルほど南にあったのを移したらしいのだけど、断面を見せる形で展示してあり、また構造についての説明も案内板に記してある。

石垣自体はそこらじゅうにあれど、断面展示に解説付きなんて気がきいてるし、あまり他では見覚えがない。

 

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そして清州城。

さっきまで見ていた城跡の、五条川の対岸に建っている。あれ?

 

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天守前の庭園は小奇麗。

 

で、まあ、この清州城はもちろん当時の天守ではない。織田信雄の頃に最も立派になったものの、1609年の清洲越しですべて取り壊してしまった。

そういえば、最近アメリカではAlternativeなんとかって流行ってるらしいんだけど、日本の城跡に建てなおされた天守閣もオルタナ天守と呼んでみたら新しいかも。

 

でもってオルタナ清州城は、中はよくある歴史博物館。大阪城もそうだし、近くだと大垣城もそうだし。大多喜城もそうだったな。

しかしながら、清洲ならではの織田家や家臣団の遺物でもあればいいんだけど、まあ、清洲越しで全部持っていっちゃったのだろうか、少しはあったけど多くはない。

主にノブの足跡についての展示とか、その後の清州会議のエピソードとか、そういうのが多い。映像展示が多く、またNHK系の制作会社みたいでクオリティが高いし、声も松平アナだったりとか。大河ドラマに出た清州城関係者の衣装の展示なんかもあった。

しかしまー、コストはかかっているもののちょっと俗っぽいというか、カジュアル感が強いというか。そろそろ否定論の強いらしい長篠の三段撃ちとかもそのまま。

ただ、スポーツ新聞風に「金華山も岐阜アップ」とかいって稲葉山城陥落とか、他にも本能寺やら長篠やらのノブ重要エピソードを紹介するコーナーなんか、俗が突き抜けて面白い領域に貫通していた。

ちょっと、歴史通とかマニアの水準のひとが来ると怒るような気がしたけれども、しかしまあカジュアル歴史ファン向けのものもたまにはあってよかろうし。

「清州城」というと日本の数ある城でもビッグネームだけど、廃城どころか全部名古屋城に持っていってしまった、という過去のせいで出せるものがない、という事情では、マニアな展示は難しいだろうし。

 

ここから岐阜に行って東海道本線で帰ってきたのだけど、関ヶ原あたりで「かなり雪だな―」とか思ってたら米原が雪に埋まっていた。

新快速は運休で、各駅停車がすし詰めのまま米原から琵琶湖線を、徐行したり踏切確認したりしながらゆっくりゆっくり進んでいく。結局大阪駅まで4時間くらいかかってしまった。

 

αSweet DIGITALについて

触ってみると、廉価モデルだった割には結構豪華な仕様だな、と思う。

PENTAXだと、操作性を損なわない範囲でボタンを減らしていってる感じだけど、αSweetは廉価モデルなのに随分多い。

ホワイトバランスがダイヤル。手ぶれ補正も物理スイッチ、連写モード・ISO感度も独立ボタン。

PENTAXに慣れた私には、「画像削除に専用ボタン割り当てるなんて、再生モード以外で死にボタンになって無駄では」と思うんだけど、αに慣れてPENTAXに来たら「なんで同じボタンにいくつも用途重ねてるんだ」って思うんだろうなあ。

 

とはいえ、常識的に撮影するのに必要な操作に困るところはなかった。

PENTAXは露出補正は「ボタンを押してからダイヤル」だけど、αSweetは「ボタンを押しながらダイヤル」。ここだけちょっと嫌だったけれど。速いのはαの方かもだけど。

あとボタン多いのにグリーンボタンがないな。この点はPENTAXが優位と思う。

一方で、AELボタンに対して「スポット測光してその値でロック」と設定でき、PENTAXにはないはずの機能だけどこれはいい。メニューでのその設定名が「再押しスポットAEL」なのはちょっとわからんかったが。

 

レンズは、ズームリングを左に回してテレと、ここはPENTAXと同じだった。MFは使ってないからわかんないな。

あとホットシューも相変わらずミノルタ専用型だなあ。ストロボ……

 

外装などは、比較対象であるべき*istDS2とかK-xの記憶がもう曖昧だけど、外装はPENTAXの梨地のほうが好きかな。ミノルタって、フィルムの頃から妙につやっとした外装してるんだけど、どうもえらくチープに見えてしまって。

でもコニカミノルタのエンブレムとか、AntiShakeのロゴとかをきっちり作ってあるのが、ささやかな贅沢で嬉しい。

でもAnti Shakeというネーミングはなんか、英語でも問題ないのかもしれないが、なんか日本人が一番簡単に思い浮かぶ単語を並べた感があって、ちとかっこ悪い気がする。それいうとPENTAXもShake Reductionなのだけど、基本的にSRとしか呼ばんし。

 

Anti Shakeの効果もまあ、レンズが適当なのもあってか、無いよりはいいけど絶大な効果ではない。これは進歩が著しく最近のが良すぎるだけで、当時なら十分と思う。

CCDセンサーだから高感度画質は頼りないかと思ったが、ISO3200でもそれほど悪くない。*istDS2のセンサーだとこんなに良くなかったはずだから、APS-Cサイズ600万画素センサーとしては多分最終世代のよくできた品だと思う。

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偽色も出てるしざらついてるけれど、腐っても大型センサーの低画素数機だ。

 

シャッター音も、PENTAX機はスプリングで動く機械っぽい、パシャンとかシャキンとかいう音だけど、αSweetはサーボの音でミュインと鳴る。高級感があるというとαSweetの方かな。

弟がソニーユーザーだから、確かα77だったかを持ってたけど、あれもだいぶ電子制御感のある音をしていた。

 

ボディは少々重たく、レンズは当時としては小型軽量にまとめたもので、かなり重心は手元寄りになった。

音でそう思うだけかもしれないが、シャッターショックは小さめに思えた。ボディ重いとブレには有利だし。

 

ただファインダーは、ペンタミラーファインダーらしい薄暗いもので、あまり感心しない。PENTAX機はわりと低いクラスのでもペンタプリズム奢ることが多いから、やっぱりファインダーいいんだなあ、と思わせる。

とはいえ、私はペンタプリズム機を使ってることのほうが多くて、今手元にあるのもK-70だ。直接比較するなら時代的にも値段的にもK100Dかな。

近接センサーで覗き込んだら液晶が消えるような贅沢な仕様は盛り込んでいるのだけど、私ならこれいらんからペンタプリズムがいいかな……

 

液晶は2.5型と時期の割に大きいんだけども、11.5万画素はさびしい。低温ポリシリコン液晶だから視認性はともかく、拡大してさえピントの確認が難しいくらい。露出の確認もイマイチっぽい。

撮影には関係ない、っちゃそうなんだけど。

 

PENTAX機と比較して圧倒的にいいのがオートフォーカス。10年も世代が違うK-70だったら流石に勝ってるけど、K-xくらいの世代だと負けてる感じ。

αSweetなんてミノルタ最初期の廉価モデルだというのに、PENTAX機水準だと気持ちよく撮影できるレベルで速い。別に外す感じでもない。

 

手ぶれ補正有効で連続撮影すると過熱してくるらしいんだけど、今回は雪の舞う中での撮影で、さっぱりわからんかった。

むしろ、露出が狂って画像が真っ白になったり、シャッターが切れなくなったり、操作を受け付けなくなったりといった、多分低温すぎるせいでのトラブルが何度か。

 

ボディについてはこれくらい。

私の記憶にある*istDS2と比べても、さすが後発だけに、αSweetの方にかなり優れたところが見える。

まあ単純に比べると、*istDS/DL系はSDカード使えるけど、αSweetはコンパクトフラッシュだという、今となっては難点があるけれど。しかも2GBまでしか使えない。

シャッター音とかレスポンスとかも結構気持ちいいもので、頑張った製品だったのが伝わる。使っていて気分がいい。

結局コニカミノルタ印で出たα一眼レフは、α-7 DIGITALとこれだけになってしまった。

噂によると、当時標準ズームとしてリリースされたDT 18-70mm F3.5-5.6の出来がよそに比べてもかなり落ちる有様だったらしく、それで減点食らったのかな。

 

レンズのAF ZOOM 35-105mm F3.5-4.5については、まあ1988年のレンズに多くは求めないけど、周囲切り落として使ってるせいもあって、なかなかよく写ってる。

600万画素だと解像力の要求は低い。それでもまあ、カリっとしてる写りには見えなかったけど、古いレンズだし。歪曲収差などもほとんど目立たない。

ピントを合わせにいくとかなり焦点距離が変わる、近接だとちょいふわっとする感じ、言えば色々出てくるけど。

 

もうちょっと扱いやすいレンズがあれば、たまに気分を変えて使うカメラくらいにはなるかな。評判最悪のDT18-70mmとか転がってるかな……