堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

庭に鳥が落ちてきた

 家で仕事をしていたら、いつになく鳥が賑やかに大騒ぎしている。

 まあ田舎なので割といつも鳥の声はするのだが、それにしても家の至近距離で騒ぎ立てるから何かと思い、ちょっと窓から見てみると、鳥が3羽ほど飛び回っている。
 二羽はつがいっぽくて、一羽はうちの庭の壁につかまって、羽ばたくもののいまいち飛べてない感じ。まだ巣立ったばかりのヒナだろうか。

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 カメラ持って出てちょっと撮影して、調べてみるとイソヒヨドリのようだ。別に珍しい鳥ではない。

 問題はヒナのほうで、しばらくうちの庭で飛び立とうと頑張った末に、置いてあった空洞コンクリートブロックの中に入り込んでしまった。

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 この体勢でまったく動かない。

 人間が近くにいたら親鳥も近づけないだろうと思って、家に入って様子を伺っているんだけれども、近くで騒いでいた親もちょっと離れてしまったようだ。
 声はしてるからまだ居るっぽいけど。

 

 もちろん、下手に保護したりすると逆に良くないし、捕まえると犯罪になることは知っているから、現時点でも今後とも触らないようにはするんだけども。
 独り立ちできる状態なのかはわからんけど、ここで死なれたらちょっと夢見悪いなあ。たまに猫が通るから、それに気付いたら追い払ってやるくらいが精一杯だろうか。

 そもそも、どこから落ちてきたんだろう。イソヒヨドリは近所でちょくちょく見かけてるし、庭に飛んでくることもあったんだけど、ちゃんと飛べないヒナが落ちてくるほど近くに巣があるとは思ってもなかったな。まさかうちの屋根の上か。

 

追記

 5時前に見ると居なくなっていたので、ひとまずどこかに飛んでいけたらしい。猫に襲われた形跡もないので、まあなんとかやってるだろう。

今週のお題「ブログ川柳」

今週のお題「ブログ川柳」

 これを書いている6月1日午後11時前、西から日本を横切っているゲリラ豪雨が大阪に至り、今まさに、雷がバリバリ鳴りつつ、私の部屋の雨戸がバラバラバラと雨に叩かれている。

 それを一句読んでみよう、と、インターネット歳時記を引いて、とりあえず6月の季語を検索してみた。すると、一番上は「六月」で、芭蕉の「六月や峯に雲置くあらし山」と例句が出た。

六月や雨戸打ち打つにわか雨

 六月でこう思いついたが、これでは説明してるだけだ。少しひねろう。

 しかし旧暦はともかく今の6月、しかも1日というと、こんな雨が降ると気温が下がって少し肌寒い。6月でも末だったら、この雨で湿度が上がって蒸し暑くなりそうだ。そうするとこうか。

六月に羽織を探す夜驟雨

 また説明になるな。センスがないのではないか。

 

 しかし、俳句だと季語を軸にして、少なくとも意味くらいわかる程度に形になったものが作れるけれど、季語なしの川柳といわれると、どうすればいいのか、雲をつかむような感じだ。
 季語がないことは自由を与えてくれるかもしれないが、自由の大海に用意もなく放り出されることにもなる。
 かえって、難しいのではないか。

 

 私にとってブログとは何か、そんなことを深く考えて自分と見つめあえば何か心の奥から染み出してくるかもしれないが、私そんな大層に考えてブログ書いてたこともないしなあ。
 私がブログに書きたいことは何か。と考えても、ただの習慣で、どこか行ったとかどんなアニメ観たとか、そういう記録を付けているだけになってて、何か書きたいと思っているわけでもない気がする。
 別に何十人も読者がいるわけでもないし。

書きたいということもなく新規記事

 

 とりあえず書きかけてみて、結局下書きのまま眠る記事も多い。
 何かいいこと思いついたような気がしつつ、書いてみたらいうほど面白くもならず、下書きに保存してしまったままサルベージされない記事も多々。

下書きに貯まるばかりの思考片

 思考片に「おもいかけ」とかルビつけたらちょっと学生文学っぽい?