堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

初めてSSDが故障した

 SSDの故障はなかなか起こらないんだけれど、今回、私の手元でようやく一台故障したので、その状況を記す。

 HDDの故障は、ちょっとした異音や読み込み・書き込みの遅延、特定のファイルのデータエラーなどが出始めて、徐々に壊れていく期間がある場合が多かった。
 しかし今回のSSDは、いきなりよくわからない動作不良が出て、あれよあれよと全データの読み込みが困難という状態になった。
 SSDの場合は、兆候を見てから交換じゃ遅いっぽくて、早めの交換が必要になりそう。

 

故障の発見まで

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  • 20年1月中旬から発生していたトラブル
     PCをスリープから復帰させた後、起動しているブラウザなどはそのまま操作できるが、新たに画像ビューアー(IrfanView)を起動しようとするなどのタイミングで、エクスプローラーがフリーズした状態になるトラブルが出始めた。
  • 1月23日 - IRSTへの疑い
     イベントビューアーでシステムログを参照すると、ソースiaStorACから「デバイス \Device\RaidPort0 にリセットが発行されました。」という警告が多数並んでいたことから、インテルラピッドストレージテクノロジーの異常を疑った。
     新しいバージョンへの更新(Core i3-6100にZ170チップセットの環境だが、最新の17.8.0.1065はインストールできなかった。17.5.2.1024がインストールできた)など行ったが、状況に変化なし。
  • 同日 - diskエラーの発見
     同じくイベントビューアーのシステムログに、ソースdiskから「デバイス \Device\Harddisk1\DR1 に不良ブロックがあります。」というエラーが記録されているのを発見。
     DR1は、システムドライブとは別にアプリケーションをインストールする先としていた古いSSDだった。
     Windows上からエラーチェックをかけても何もなかったが、コマンドプロンプトからCHKDSKコマンドを実行すると、開始直後にフリーズしてリセットしかなくなる状態だった。
     IrfanViewを呼び出すとフリーズするといった症状も、IrfanViewはこの不良のあるSSD側に入っていたためと判断できた。

 

SSDのエラーについて

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  • 故障したSSDは、PLEXTOR PX-256M5Sだった。2012年9月製造とあるので7年も経過しており、かなり酷使されてもいて実使用時間は40000時間を超えていた。
  • CrystalDiskInfoは常駐させていたが、特にS.M.A.R.Tエラーなどの報告はなかった。健康状態が100%ではなく99%になっていたものの、正常との表示。
  • 当然ながら異音なども発生しない。
  • エクスプローラーで故障したSSDにアクセスすると、フォルダツリーやファイルリストの表示は問題ないが、ファイルを開いたりアプリケーションを実行したりしようとするとフリーズする。
    数分待ってから急に動き出す場合もある(その場合は特に読み出しが遅いこともなく、スムーズに読む)が、そのまま帰ってこないことも多い。そのため、保存されていた全ファイルの読み出しが、不可能に近い状態だった。
  • 徐々にアクセスの遅延やデータエラーが増えていく形で、故障までの途中経過があるHDDに比べると、SSDは急に来て全体が一気にダメになった。HDDなら悪くなってる兆候が見えてから対応すればいいけど、SSDは早め早めに対応していくことが必要そう。
  • PX-256M5SのセルはMLCだから、今のTLCやQLCよりもセルの寿命は長いものかと思う。今時のSSDが同等以上に長持ちはしないと思うべきかもしれない。

 

故障対応

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  • システムドライブ256GBに、アプリ用サブドライブ256GBという分散運用になっていて、サブドライブのみの故障で済んだから被害が小さかった……とはいえるものの、少々不便ではあった。
  • マザーボードにM.2スロットがあるのに使っていなかったので、最近は値ごろになったNVMe SSDを入れてみることにした。
  • Crucial P1ジョーシン J&Pテクノランドで税込み11,480円と随分安かったので、それにした。
  • Crucial P1にはAcronis True Imageも付属するので、現在のシステムドライブをクローンできた。
  • HDDからSSDへの切り替えは体感レベルで快適だけれど、SATAからNVMeだと、そこまででもない。ただ、Crucial P1はNVMeとしては速いモデルではなく、せいぜい2GB/s。6GB/sくらい出るハイエンドモデルならまた違うのかも。

榎並城を見てきた

 珍しく大阪市城東区なんてめったに行かないところに用があって、ちょっと寄り道をして、野江内代駅近くにある榎並城跡を見てきた。

 見てきたのだが、なんというか駅の近くにあるのが家だけで、またなまじ城址が駅から近すぎるから「行くまでの間に何か」というのもない。うーむ。

 

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 野江内代駅1番出口からすぐの榎並小学校の、裏口のところに碑がある。
 以上終わり。

 碑文は、「榎並城跡伝承地」「榎並猿楽発祥の地」とある。
 解説板もあるんだけれども、城より先に猿楽を書いてある。

 榎並猿楽というのは、丹波猿楽の新座とのこと。
 猿楽にはいくつも流派があったんだけれども、その中でも丹波猿楽は強かったらしくて、現在の梅若会丹波系とのこと。
 人の多い浪速の方にも分家を立てとこう、という感じだったのか、この榎並にも、鎌倉時代末期に新座を置いた。一時は丹波の本座を凌ぐくらいで、丹波猿楽の楽頭も出してたようだ。
 でも1424年に楽頭は大和猿楽の方に持っていかれ、応仁の乱にも巻き込まれて衰退していったとのこと。

 

 榎並城のほうは、現地案内板では三好政康が築いたとなっている。
 文献では江口の戦いで初めてはっきり出てくるとのこと。
 細川晴元室町幕府の実権を握っていた頃、三好一族のリーダーとしてのし上がっていく三好長慶と、三好の長老ポジションなんだけど細川晴元の腹心でもある三好政長・その息子の政勝(=政康)との対立が深まる。
 で、1548年秋に長慶が軍を出して、政勝が守る榎並城を包囲したところから大規模な戦争になる。
 どうにか援軍に来ようとする政長や細川晴元がなかなか来られない中、榎並城は堅牢で兵糧も十分、政勝はずーっと城に籠もって長慶の軍勢を退け続けていた。

 で、三好政長は息子を救うべく、榎並城の北にある江口城に入った。ここも淀川と神崎川で三方を囲まれた要害なんだけども、なんせ川を水軍に抑えられると逃げ場がなくなる城でもあった。長慶は当然そうした。
 政長は、六角氏に援軍を求めて到着まで籠城したんだけれど、援軍到着直前についに長慶の軍勢に江口城を落とされた。政長は討ち死に。
 それで、榎並城の政勝も城を出て、西の方へ撤退。

 この経緯からすると、榎並城は8ヶ月に渡って包囲されながらついに陥落しなかった堅城ってことになる。
 のだけども、江戸時代にあった大和川の付替えとかの開発で地形自体が大きく変わっていて、遺構らしいものはほぼ何もない。

 

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 すぐ近くに、野江水神社という神社がある。
 三好政長が城の守護神として水神社を建てたのが始まりとされている。祭神は水波女大神(みずはのめのおおかみ)。
 このへんは川の近い低地だったからしょっちゅう水害があって、榎並城を築城してる間にもやられてたから、祭神もそうなったらしいと。

 神社の由緒に寄ると、1978年にNHK教育の「生活の中の日本史」で紹介されたことがあるとか。

 

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 水流地蔵尊、という、やっぱり水関係のお地蔵さんもいる。
 でもこれは意外と新しくて、明治18年淀川洪水のときに流れてきたお地蔵さんを祀ってるとのこと。

 

 まあ、城址にいった気はしないのだけど、私は大阪生まれなのに三好長慶の足跡をよく知らんので、ちと勉強してみるきっかけくらいにはなるかなあ。