堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

無宗教はカッコいい、というより

 Twitterで見かけた、日蓮宗の僧侶の方のツイート。
 今40代くらいの世代に、なぜか「自分は無宗教」とカッコつけるかのように言う人がある、そんな人ほど簡単にカルトにハマる、と。

 私もその世代だから、自分が経験してきたことから、なんか「確かにそんな気がする」という話だった。
 あくまで体験ベースの思いつきではあるけれど、まさにその世代の私が、外部環境から受けてきた影響を考えると、そうなってしまいやすいように思われた。

 

 

宗教を散々おもちゃにしてきたので

 私らの世代は、90年代後半に、95年のオウム真理教事件から続けて発覚した、複数の宗教団体等の事件を見てきた。
 宗教が侮蔑の対象だという感覚がついてる。

 

 あの頃に問題になったカルトは、やってたことが危険だったのは確かだ。強引な集金で破滅する信者が続発してるとか、病人に医療を受けさせずに儀式を施すだけで死なせたとか、そういうのだった。
 しかし一方で、ネタとして消費する、奇妙な行動を面白がるような面も強かった。
 法の華三法行の「最高ですかー!」とか、ライフスペースの「定説」「シャクティパット」みたいな、からかって楽しめる部分がやたらと取り上げられて、そのままミーム化していく。
 そもそものオウム真理教があまりに面白すぎて、問題を起こす以前はテレビバラエティに麻原が出てタレントにいじられていたくらい。その後、問題が起きてからすら、珍妙な面は少なからず取り上げられておもちゃにされていた。

 まあ、いい大人は眉をひそめてただろうけれど、我々世代はあれらの宗教を10代くらいのクソガキとして面白がっていた。

 

 いじって笑い飛ばす態度は、すでに事件化されて危ない宗教に新たに近づく人を抑える効果はあったと思う。
 今、宗教問題を取り扱うジャーナリストに面白主義的な人がいるのも、あの頃の流れがあるようにも思うし。

 弊害だったのは、侮辱がカジュアル化したこととも思う。
 本気で相手を批判するなら真面目に問題を追求しなくちゃいけないけど、あざ笑うだけなら目立つ部分をあげつらうだけでいい。お手軽。
 正面から批判するなら、やり返されもするし、悪質さが伝わってない外野が批判されてるカルト側に同情しちゃったりもする。悪党を悪党だと真面目に説明すると、話が難しくなって耳に入らなくなる人は少なくない。
 やり返されないような離れたところで侮辱する分には、反撃リスクも小さく、表面的に楽しそうに見えもする。

 しかし嘲っているだけでも悪意は育ってしまって、だんだん相手側の人を本気で劣等視するようになっていってしまう。
 カルトの場合、家庭の崩壊とか問題は家庭内で現れがちだから伝わりにくい。そこに至るまでのカルトによる洗脳や集金手段なども、モロに表には出にくい。そうすると「こんな馬鹿みたいなのを信じるほうが悪い」と、被害者をも蔑視してしまいやすい。

 

 そんな90年代を過ごしてきた。

 

そこに2chが現れ

 そこに、匿名で群れ集まる場として、1999年に2ちゃんねるが現れた。

 2chが巨大化したことが、空気に従順で多数派に阿って、少数派や敵とみなした相手を侮蔑して攻撃する、という態度で動く人を増やしてしまったように思う。

 

 それまでのネットって、人が集まるのは個人サイトの相互リンク網とそこに置かれた掲示板くらい。Googleもまだないから全体を見通せなかった。
 趣味のサイトの掲示板って、仲間に入るハードルは結構高い。
 まず自分からコミュニケーション取りに行かないと相手にされようがないし、いわゆるコミュ力とは別の、「共通の趣味で集まってる場で一個人として認知される能力」みたいなのが求められ、面白くない人は弾き出されるようなハードルがあった。

 一通りの関心事を扱っている巨大掲示板群、という、行けば誰かがいる、入りやすくて大きな場ができたら、そりゃ人も誘引される。
 出自がアングラ系だったし、やってる人があれだというのもあり、治安は最低だったんだけれど、それでも簡単に入り込める大きなコミュニティというのは強かった。
 2chだったら匿名だし、別に一個人として評価される必要もない。書き込みすらしなくても、スレを眺めて「そうだそうだ」と思ってれば輪に入れた気になれる。

 

 2chは匿名だから自由に書き込めるなんてことはなくて、空気が読めてない浮いた奴はその場で吊るし上げられて好き放題からかわれる。
 「空気嫁」「半年ROMれ」というスラングが昔からある通りで、空気に従順でないことは罪だった。空気に一体化するのが作法。
 そして炎上は、みんなで空気に乗って大騒ぎして集団への所属感を高める格好の祭り。だから積極的に炎上を「祭り」と呼んで、火をつけて回った。

 そんな集団が、どんどん膨らんでいった。

 ネットの中でマジョリティになってしまってからは、2chの空気と異なる意見を言う個人サイトに襲いかかることもままあった。
 一時は、2chの外にいても警戒はしておかないといけない状態だったから、多数派を刺激しないようにしようという考え方はネット全体に広まってしまっていた。

 

 無宗教であることをなぜかカッコいい?かのように言うというのは、「自分は最大マジョリティに属している強者だ」というイキりでしょ。
 無宗教たることがなぜ誇るべきことなのか、とか、聞いてみても答えは持ってない。蔑視されるべきマイノリティである信者ではないから、というだけ。

 

 新興宗教を笑い者にして育って、2chで多数派に阿って少数派を蔑み攻撃する行動様式を身に着けてしまったら、そりゃ少数派である新興宗教を見たら舐めてかかる。
 2chの中でだって宗教を笑いものにしていた。創価学会でさえ、ネタやアスキーアートが色々ある。

 でも、笑いものにできる部分を探すことはあっても、詳しく研究なんてしない。みんなが叩いてるから一緒に叩いて盛り上がる、という同調で動いてる。
 カルトが人をどんな手口で洗脳するか、とかは、洗脳用ビデオの異様さだけつまみ食いして、こんなのに騙されるやつアホだと笑うだけで、手口全体や身の守り方なんて関心がない。

 変にカルトを見下しながらへらへらと準備なく近寄って、あっさり取り込まれるというのは、こういうものを見て育ったらそうなる、と思えてしまうし、私の年だと少なからぬ割合で同じものを見ている人は多い。

 

 

 ところで、現時点でもかなり露出の多いカルトには、どう見てもバカみたいに見える奇妙な姿を見せてるところがいくつかある。
 しかしカルトはバカではないから、むしろバカだと思わせることにメリットがあってあのようにしてる、と考えるべきだ。

 舐めてかかって寄ってくる奴は容易に取り込める、と思ってるのかもしれないし、バカがそんなにヤバいことをやれるはずがないと思わせられるかもしれないし、ちょっと想像がつかないけれど。