堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

ウマ娘ネーハイシーザーへの妄想

 ウマ娘、いよいよゲームのリリースも近づき……近づいてるんだよな、本当に大丈夫やな……アニメ2期も始まり、コミックではオグリキャップの話もやってて(そして笠松競馬が爆発炎上し)、と、またコンテンツとして走り出している。

 私が競馬ファンだったのが中学の頃から成人するまでで、馬券はほとんど買ったことがない変なファンなのだけども、見始めたきっかけは、ナリタブライアンが三冠だと騒ぎになって、競馬ファン以外にまで話題になってたからだ。
 ナリタブライアンから、ちょうど前回の主役だったスペシャルウィークとかグラスワンダーくらいの世代までが、私が自分の目で見て知ってる時代の競馬。テイエムオペラオーだともう四歳(今の三歳)の頃しか知らない。

 そんな私は、できることなら、ゲームではネーハイシーザーに登場してほしいな、と思っている。好きなのよネーハイ。

 

94年秋の天皇賞

 初めてテレビで見たレースは、94年10月30日の天皇賞(秋)だった。ブライアン関係ないんだけど、
 中学の同級生が熱心に競馬の話してたから、ちょっと興味持ったのがその週だった。

 前年の菊花賞馬・ナリタブライアンの兄ビワハヤヒデが一番人気を張っていた。ここまで15戦10勝(菊花賞天皇賞春・宝塚記念勝ち)・2着5回(朝日杯・皐月賞・ダービー・有馬記念は2着)というんだから、文句の言いようもない。ここで勝って有馬記念で、兄弟のどっちが最強かを決めよう、ってところ。
 二番手が、昨年のダービーでビワを下しているウイニングチケット。これもダービー一発じゃなくて皐月賞4着・菊花賞3着、G2は弥生賞京都新聞杯を勝っている。前哨戦にビワと同じオールカマーを選んで、僅差の2着。
 それから翌年の天皇賞秋を勝つことになるサクラチトセオーも、故障で棒に振ったクラシックを取り返すように格を上げてきていた。
 名脇役マチカネタンホイザナイスネイチャロイスアンドロイスが揃って、偉大なるブロンズコレクターがひとつしかない3着の座も争う。

 でまあ、レースが終わってみれば、ビワもチケットも揃ってレース中に屈腱炎を発症して伸びず。サクラチトセオーも直線で進路を塞がれて6着。
 ロイスアンドロイスは期待通り?に3着、マチカネタンホイザ4着でナイスネイチャ7着。

 それで勝ったのはネーハイシーザー

 まあ、別に穴馬だったわけじゃなく、3番人気で上2頭が故障なんだから順当な勝ちではあった。
 私にとっては、初めて見たレースの勝ち馬だからね。どうにも思い出深い。

 

ネーハイシーザー(実在)のこと

 天皇賞は上の二頭が倒れた勝利っぽくはあったけれど、3番人気ではあった通り、別にまぐれの大穴ではなかった。
 ちゃんと実力ある馬だった。

 天皇賞の前哨戦である毎日王冠で、東京競馬場芝1800mを1分44秒6という、圧倒的なコースレコードで勝ってたの。(しかも自分で破る前のコースレコードネーハイシーザーが持ってて、1分45秒2だった)
 東京競馬場は2003年に大規模改修が行われてコースも変わったから、レコードタイムもそこで切れ目があるんだけど、94年から改修までこのレコードは誰も破れなかった。
 改修前の東京で行われた毎日王冠で、1分44秒台のタイムで勝ってるのは、他にサイレンススズカだけだもんね。アニメ1期で描かれたあの毎日王冠。あれよりネーハイシーザーは1馬身半くらい速かったの。
 まあレコードタイムはレース展開などによるから、タイムが早いから強いというものではないとはいえ、速い馬でないと出せないのも確かだ。

 

 そんな超快速馬ネーハイシーザー天皇賞を勝っていよいよ本格化か。
 と思ったら、その次の有馬記念は2番人気に推されたものの、9着に沈んだ。これはまあ2500mだから距離が合わなかったか。
 一休みして翌春の大阪杯。相手も楽だから、ここは勝つだろうと思ったら、1.6倍の一番人気に答えられず9着に沈没。いや、でもまあ休み明けだし。
 ひと叩きして、安田記念。この年はもう国際競争で、内外の大物が並ぶメンバーの中、ネーハイシーザーは2番人気! が、6着。あー、うーん、1800に強い馬でも案外1600って厳しいから……。
 そして春競馬の締めくくり、宝塚記念ネーハイシーザーは3番人気。が、14着に惨敗、屈腱炎で長期休養に入り、復帰は翌年の春。
 復帰後、また大阪杯から始動したけど6着。次は京阪杯に出て、これは3着に入ってまだ行けるかな、と思ったら、屈腱炎再発。引退へ。

 天皇賞のあとは、まあ、残念ながら全然結果が出なかったな。

 

 引退後は種牡馬入りして、初年度にヒマラヤンブルーという馬を出し、新馬勝ちから東スポ杯3歳ステークス2着。翌年の夏には巴賞というオープン特別も勝ち、函館記念の2着もある。
 初年度は種付け料無料で、相手の肌馬は数は集まるけど質が……という感じになりがちなところ、それだけ好走する子を出せたのはなかなかのものだと思う。

 あいにく、ヒマラヤンブルー以上の馬は出せず、種牡馬引退。
 競走馬時代の馬主さんは競馬から撤退しちゃってたけど、2018年まで余生を過ごして、大往生した。

 

 ネーハイシーザーの父は、サクラトウコウという、まあダービー馬のサクラチヨノオーの全兄だから同じ血統を安くつけられる、っていう、いわゆる代替種牡馬。本人は七夕賞とか函館三歳ステークスを勝った程度。
 とはいえ、サクラチヨノオーはG1馬出してない。サクラトウコウネーハイシーザーを出した。スガノオージという毎日王冠の勝ち馬も出してる。わからんものだ。

 サクラトウコウの父は、マルゼンスキー
 だから、ネーハイシーザーにはマルゼンスキーの血を継ぐという使命もあったんだけれど、まあ、無理やったなあ。孫でG1勝てた唯一の馬だったんだけどね。

 

塩村克己騎手のこと

 ネーハイシーザーが面白いところはもうひとつ、鞍上が塩村克己騎手だった。
 ウマ娘になるときには、まあ塩村騎手のエピソードをそれとなく盛ってほしいところだ。

 

 塩村騎手、まあ引退して随分経つから覚えてる人も少なかろうが、なんというか面白い人だ。

 腕はいい、はずだった。
 武豊競馬学校の同期で、どうにもこうにも影に隠れてしまうのは仕方ないんだけど、それでも、デビュー初年度33勝だ。
 初年度に30勝挙げる騎手が出ない年もざらにある。しかも、武豊が69勝とか異常なほど勝ちまくってる、その同年に33勝。

 2年目も35勝してるのに、12月に落馬負傷。10ヶ月も棒に振ったから3年目は散々。まあ復帰直後に重賞初勝利してたりして、やっぱり腕のあるところを見せるけれど。
 他にもわりとちょくちょく怪我するもんで、どうも成績が伸び悩んでしまった。

 

 ただ、どうも妙な理由で怪我してたケースがあったらしくて。

競馬番長のぶっちゃけ話

競馬番長のぶっちゃけ話

  • 作者:藤田 伸二
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 単行本
 

 藤田伸二元騎手の「競馬番長のぶっちゃけ話」という本があって、そこで塩村克己騎手の話もある。
 それによると、レース前の検量で体重計から落ちて骨折したことがあるというの。高さ10センチの体重計でどうやって骨折したのか謎だと。

 人間、何が起こるかわからんものではあるけど、他の怪我にも驚異的な理由のやつがあったのかもしれないなあ……。

 

 怪我の他にも、ちょっと他に聞いたことがないミスをやらかしている。

 地方競馬の騎乗依頼を受けてたのに、日付を間違えてすっぽかした
 いくらなんでもジョッキーが騎乗依頼をうっかりすっぽかすなんて、流石に他に例はなかったと思う。力士が巡業の日を忘れてて行かなかったとか、そういうレベルで、ミスにしてもすごすぎる。
 ネットになにかソースあるかなー、と思って検索してたら、グリーンファーム愛馬会の連載コラム・須田鷹雄氏の「ムカシの競馬を読む」の2016年10月号で書いてあった。そうだそうだ、ヤマノプロテクターって馬、かすかに記憶があるような。

 どうも全然事実確認できないので私の思い込みの可能性が高いんだけど、同じミスをもう一回やってなかったっけな。なんかそういう記憶があるんだけど……。

 

 上の藤田本によると、塩村騎手はかなりの「天然」、なんか話してても会話が噛み合わなくっておかしなことになることがよくあったとかで。
 天皇賞勝った三日後に「おめでとうございます」と声をかけたら、塩村は真顔で、勝ったことを忘れてるかのような反応をするから困ったとか。

 他にも、後輩相手にイタズラをしかけたつもりが、人違いで大先輩にやっちゃって土下座で謝ってたとか、なんというかアホの人っぽいエピソードもある。
 藤田伸二をして「神に選ばれし人」と言わせるほど、競馬界でも屈指のアホにして天然であったらしいの。本にはもっといろいろ書いてあって、なんというか驚愕する。
 地方競馬すっぽかし事件も、もしかして起こるべくして起こったことなのかもしれない。

 

 うぃきぺの方には、「吉川晃司のファンで、所属厩舎を離れてフリーになる決心をしたのは『KISSに撃たれて眠りたい』の歌詞に触発されたから」なんて書かれてもいる。

 塩村のデビューが87年、フリーになったのが93年だから、まあ、独立するには早くも遅くもないふつーのタイミングではあるけれど、吉川晃司に触発されて独立するというのはなかなか、じわじわくるエピソードだ。フリーでしかできない世界を狙ったんやな……。

 

ウマ娘ネーハイシーザー(塩村入り)は?

 ネーハイシーザーといえば塩村克己だ。なんたってGIを勝って、GII・GIIIもふたつずつ勝たせた騎手だ。
 塩村克己といえばネーハイシーザーだ。他の馬で勝てた重賞はほんの少しだけだった。

 フリーになった直後の厳しい時期の塩村に、定年まで数年の布施正調教師が回してくれた、布施師にとって最後の、塩村にとって最初のGI勝ちをくれた馬だからね。

 

 やはり、ウマ娘ネーハイシーザーにも、塩村要素がほしい。
 まあ塩村をそのまま入れるとアホの子ぽんこつキャラになってしまうけど、それはまあ仕方ないというか別にいいというか。決めるときには決める(こともある)、本当は底力があるのになんか残念……ってな感じでバランスをとって。

 ネーハイシーザー天皇賞の前にもひとつ目立つエピソードがあって、菊花賞でレース中に心房細動を起こして40秒以上の大差負けしたことがあるの。
 その前にも、フレグモーネで春のクラシックを棒に振ってる。
 体重計から落ちて骨折する塩村の要素と合わせても、ちょっとしたトラブルを最悪のタイミングで起こして大惨事になっちゃうぽんこつ不幸キャラとか似合うところがある。

 競走馬の不幸なんていったら、サイレンススズカライスシャワーみたいな悲劇にまでいってしまいがちだけど、ネーハイシーザーだったら不運は不運だけど、ちょっと笑えちゃう雰囲気もある。
 菊花賞ビワハヤヒデが華麗に駆け抜けた後、真っ青な顔で最後の直線をノロノロ歩いてくるシーザーを、スタンドでスペちゃんがゆっくり見送るシーンがちょろっと挟まれるの。

 

 体格は500kgくらいだから、ヒシアケボノみたいなマッチョスプリンターほどじゃないけどちょっと大きめ。まあ、ウマ娘だと必ずしも実物の体格と結びついてるわけじゃないようだけれど。ビワハヤヒデウマ娘だと随分大柄だけど、馬は470kgくらいの普通体格だ。
 毛色は星も靴下もない黒鹿毛だったけど、ナリタブライアンとかよりはちょっと明るめの色だったように思う。見た目はそのへんの感じかな。

 東京1800mの大レコード、それから阪神2000mのレコードもある(京阪杯で出した1分58秒9)。
 このスピードはもちろんウマ娘にも取り入れざるを得ない。
 でも、前哨戦のGIIやGIIIでものすごいスピードを見せつけて大物感を見せておきながら、本番のGIでは負けてる感じになっちゃいそうだなあ。すんごい勝負弱いキャラともいえるかもしれない。あるいは調教とかレース外ではめっちゃ速いとか。

 

 まあ自分で作って勝手に言ってるから当たり前なんだけど、ウマ娘ネーハイシーザー、かなり愛されキャラになりそうじゃないの。