堺風の頭部

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「エコーチャンバー効果」の汎用性の高い棍棒っぷり

  TwitterのRTで流れてきたこちらのツイートなんだけれど。
 このツイートそのものだけとか、発言された方ひとりだけを批判するいう意図はないのだけど、このツイートに用いられてる論法、これ、私には「汎用性の高い棍棒」に見える。

 こういう、「同じ意見の人にばかり囲まれることで、反対意見を聞けず賛同ばかり得て、意見が強化されていく」というのは、「エコーチャンバー効果」といって、名前がついている。
 実際に、こういう傾向が観測されることもあるんだろうし、もしかすると何らかの合理的なデータでもって傾向を示せたりするのかもしれない。

 

 しかしこの、特定個人を指して「あいつはエコーチャンバーに入ってる」って言ってしまうのは、私にはヤバい論法に見える。
 汎用性が高くて、誰に向けて使ってももっともらしく見える。それでいて、本当にエコーチェンバーに入ってるという証明はできない。
 それでいて、「どうせ同じようなこと言ってる奴らに流されてるだけだろ」と、発言自体を内容に関係なく無効化してしまう、たちの悪い攻撃力がある。

 この手の論法は、私は流行ってほしくない。

 

 

その人の決定や考えは内心の話

 その人が何を考えて、どうすると決めるかなんてのは、その人の内心のことだから、他人が外から見た情報だけで「内心はこうだろう」と決めつけるのは、間違いにしかなりえないし、無礼でしょ。

 

 どんな人だって、周囲に付き合いのある人がいるだろうし、自分で選んで見ているメディアだってある。どんな人にも好みや考えがあるんだから、付き合いのある人や見ているメディアに、ある程度の傾向だって生じる。
 他人が外から見てわかるのって、Twitterでフォローしてる人だとか、話題に出す人の名前だとか、そのレベルでしょう。どう考えたって、その人が関わりや関心を持っている人やメディアなどの、ごく一部に過ぎない。

 その人に入ってくる情報にも傾向はあるだろうけれど、その人がどのように取捨選択しているかまでは内心のことで、外からわかるわけがない。

 どこまでいっても、「あいつはエコーチャンバーに入って偏った意見に染まってる」なんて物言いは、根拠の希薄な決めつけに過ぎない。

 

 まあ、例えばその人のTwitterをチェックして、フォローしているアカウントからエコーチャンバーを構成していると言えそうなのをピックアップして列挙して、根拠のようなものを出すことはできるかもしれない。
 しかしそんなもんは、枚挙的帰納法に過ぎないから、エコーチャンバーができているという証明ですらない。
 どうやったら、他人を囲んでいるエコーチャンバーの存在を合理的に説明できるのか。枚挙の数を増やす? どれくらいまで? 自分が信じたい場合は少数で信じて、自分が言われてる場合とかの信じたくないときには多数を求める?

 よしんば存在を説明できたとして、その人がエコーチャンバーの影響を受けて特定の意見を持っているという、他人の内心についての証明をどうするの。

 

簡便ではあるんだけど

 まあその、私も、有名人のツイートを見てて、そこに明らかなクソリプがついていて気分悪くしたとして。
 そのクソリパーの過去のツイートをチェックしたら、タチ悪い5chまとめのRTだらけだったと。じゃあ、「こいつエコーチャンバーにいる奴だな」と一方的に決めつけてブロックする。間違って関わり合いになってもお互い良いことないし。

 この行動はまさに、エコーチャンバー効果を相手に決めつけてる。根拠も、まさに枚挙的帰納法でしかない。証明はしてない。決めつけ。
 決めつけでもって、自分と直接関わり合いにならない、なる必要がないであろう他人を遠ざけてる。そういう縁が遠い人に対してまで、いちいち厳密に証明しようと考えるのはコストかかりすぎる。
 簡便なの。

 

 しかし、「こいつはエコーチャンバーにいる奴だから、どうせろくなことを言わない」なんて人を指差して決めつけて公言するようなことは、やっちゃいかんでしょう。
 そこまでやるなら発言に責任が生じて、エコーチャンバーの存在やら、相手がそれに流されている内心を証明しなくちゃいけなくなる。
 自分ひとりが避けるのとは話が違う。

 公言するのであれば、差別と構造が一緒になっちゃう。
 「女は能力が低いから、発言も程度が低いから聞く必要がない」って言ってるのと理路が変わらない。証明できない理由でもって、一方的な決めつけで加害するんだから。
 「女は能力が低い」と自分だけ思ってる分には内心の自由だし、「だから関わり合いにならない」と女性から遠ざかるだけなら別に咎められるものじゃない。でも公言したり加害すると内心だけのことじゃなくなる。

 

枚挙したくなるのもやばい

 ちょっと話が広がるけど、たち悪い差別をする奴が自分の差別を正当化する時に、枚挙的帰納法を使うことが多いように思う。これは私の経験でしかないけど。
 女性差別だとすれば、「こんな馬鹿な女がいた」っていう実例をいくつも並べ立てたりするの。もちろんそんな枚挙で証明はできないんだけど、枚挙をすること自体がサディスティックな差別心を公言できる気持ちのいい行為だから。

 

 「あいつはエコーチャンバーの中にいる」というために、色々と枚挙したくなったりしたら、それも危ない。
 自分の好みに合う意見だったら、エコーチャンバーだなんてあるとも思わないでしょう。嫌いだからエコーチャンバーだとか言い出す。
 そうすると、相手の周りから自分の嫌いなものを都合よくピックアップして並べ立てる、なんていう浅ましい行為に走ってしまう。「あいつは俺が嫌いな奴らに囲まれてる」といってるだけのことを、まるで意味のある批判かのようにすり替えてしまう。

 それでまた、同じようにそのターゲットが嫌いな人にとっては、そうやって枚挙されているのが少数であったり、質が怪しかったりしても、信じてくれる。
 信じて同調してくれる人が現れたら嬉しくなって、「あいつはエコーチャンバーにいるに違いない」という思い込みがより強固になる……というエコーチャンバーが、自分の周りに着々とできていくことでしょうな。

 となると、味方をしてくれる人がいるならエコーチャンバー棍棒は振るいやすいし、多ければ多いほど使いやすい。汎用性が高いね。
 これって、少数派を叩く時に便利ってことだから、私は一層嫌悪感を覚えるよ。

 

発言の内容以前で攻撃するから悪質で便利

 「あいつはエコーチャンバーにいる」と決めつけてしまえば、相手がどういう内容の反論をしたところで、「どうせお前が言ってることなんてエコーチャンバー内でしか通用しない」という決めつけで終わってしまうの。

 こういう、発言の内容以前に無効化させるような物言いって、対話とか議論につながらない。ただ一方的に黙らせるだけ。
 議論する気なしに黙らせるだけの悪口って、反論されても再反論を考えなくていいから、その点でも便利に棍棒として使われるの。
 こういう便利な棍棒が広まれば広まるほど、まともに考えて喋る人ばかり無意味に疲弊するの。

 

 そういうわけで、私はこういう便利な棍棒で人を叩くのは嫌いです。

 まあ、言われたら「( ´∀`)<オマエモナー」って返せばええかな、と思いますが。
 わざわざ人に棍棒叩きつけてくる奴なんて、自分とは逆向きに偏った考え持ってるんだから、その偏りを「エコーチャンバーだろ」ってあれこれ枚挙してやるのも簡単でしょうよ。