堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

「自己投影気持ち悪い」という棍棒のこと

note.mu

 夢女子の方が自らについて考えてる文章を見かけて、なんだか圧倒されていた。

 タイトルを見て、「あー、私の好きなVtuberがとうらぶ夢女子だな」と思って開いてみたら、「公然と夢妄想を開陳するVtuber気に食わねー」という話で、えっ、と思ったけど私の好きなVtuberとは別人のことだった。
 ともあれ何の話かと読み進めてみると、「なぜ自分が夢妄想を公然と語ることを嫌がるか」にじっくり向き合って掘り返していく内容だった。

 おかげさまで、「夢女子って、『○○は私の旦那』っていってるタイプのオタク女子のことやろ」という極めて低い解像度だった認識が、もう少しピントが合ったように思う。
 オタク男どもは「○○は俺の嫁」と平然と言うのが普通なので、その感覚からは、同じことをいってる夢女子がそうも迫害される存在だというのは、ちょっと想像の埒外にあった。

 

 上記記事の末尾で紹介されていたこの記事も読んだ。

hmhmhkr.hatenablog.com

 こちらでも、少し前の夢女子界隈について多少は知ることができたように思う。なんとも苦労してなさる……。

 

 で、この先は私の話である。
 かなり迂遠な長文だ。読むなら心して読むように。年寄りは話長いねん。

 

 

「自己投影気持ち悪い」というえげつない棍棒

 特にひとつめの記事を読んでいて印象的なのが、夢女子の方々が、「自己投影気持ち悪い」というバッシングをかなり強く浴びているらしいことだった。
 ふたつめの記事では、殴られすぎたあまり棍棒を内面化してしまって、私達は隠れるべき存在だ、隠れずに表に出る奴は棍棒で殴って食い止めろ、という状態になっているのを「しきたり」と受け止めているように見受けられた。

 

 私も昔、二次創作小説など嗜んでいたこともあったものだ。
 最初に関わったのは葉鍵系の二次創作、「ToHeart」から「誰彼」にかけての頃だから。97~2003年くらいかな。

 

 私が女性に生まれて、オタク女子として二次創作をやってたら、おそらくBLの方にいってたと思う。
 私は自己投影タイプじゃなくて、自分はキャラが何かしてるのを眺めてる存在でいたい。壁のシミになりたいというやつ。

 かつてブームだった恋愛ゲームにしても、私はわりと他人事として、自己投影せずにプレイしていた。
 「ToHeart」などのノベルゲーム時代も、主人公はしっかりキャラが立ってるものが好みだった。2000年前後のノベルゲームはそれが普通で、「(自己投影しやすくするため)前髪で顔を隠した無個性な奴」となっていくのはもっと後だったように思う。

 

 原作を見るときから視点が外部で、自己投影をしないタイプだったから、私が二次創作で書くものもそうなる。
 「HMX-12マルチは驚くと蒸気を噴出して倒れるというが、その蒸気は鼻から出るのか、あるいは耳からか、まさか尻からなのか?」とか、そういう客観的なやつが主だった。
 そういう私であっても、時に「主人公とヒロインがいい感じになる」という外形をとる話を書いたときには、「自己投影がイタい」とか「願望丸出し」とかの、感想と称したクソリプみたいなものを送りつけられることはあった。

 

 私のようなタイプでさえ、これをやられると結構痛い。
 「この人物配置でこういう出来事があれば、主人公とヒロインは当然いい感じになるだろ」と客観的に考えて書いたのが事実だけど、それでもきつい。
 「そう思われるようなものを書いてしまったんだろうか、それは恥ずかしいな」と、思ってしまうらしいのだ。

 まして、夢女子の方々が書く夢小説というやつは、特定のキャラと、任意に名前を変更できる(つまり自分の名前を入れられる)キャラとの話を書くものだ。ごく主観的な書かれ方をしているものがほとんどだろう。
 「自己投影だろ」といわれると、言い逃れがしづらい。

 そういうものを書いて、自己投影イタいと罵られるのは、想像するだけでも恐ろしい。
 夢小説という一形態をまるごとカースト下層に叩き落とすくらいの威力を、「自己投影キモい」という棍棒が持ってしまいそうに思う。

 

冷静に考えると「自己投影で何が悪いんだよ」だけど

 しかしまあ、「自己投影だったら何か悪いのか?」という話ではある。

 なろうで「チートハーレム」なんていう、「自己投影だろ」と殴れば効きそうな作品群が一大ジャンルになったりするくらいだ。自己投影であっても、それが読んで心地よければウケる。何が悪いのだろうか。

 読んで心地よくない作品に言ってるというのであれば、それは、自己投影が心地よくない理由だろうか。
 単にキャラの立て方が下手だとか、ストーリーが悪いとか、そういう欠点をざっくりと「痛々しい自己投影に見える」と簡略化し、雑な非難として人に叩きつけてしまってないだろうか。

 

 

 また、そもそも本当に自己投影なのかどうか。
 無敵のチート主人公を書いていたって、自分がそうなりたいと思ってるとも限らない。
 なろうで流行に乗ってチートハーレムを書く人には、「これがウケるから」というドライな戦略で書いてる人も多いだろうと思う。

 夢小説の形態を取ったものでさえ、「自分の願望」よりも、「読者はこれを望むに違いない」という考えで書いていても、特におかしくない。
 というか、本当に自分の願望を書いたものなら、名前を変更可能にして他人に自由に願望を共有させたりするものだろうか。(このへんは感覚的なところがあるだろうから、あまり勝手に想像すべきでもないかとは思うけど)

 

 どちらの理由から見ても、「自己投影が痛々しい」という非難が、的を射ているケースはそう多くないように思える。

 

でも「自己投影www」でダメージを受ける

 理屈で考えれば、「自己投影キモい」なんて雑で的外れな非難だ。
 しかし、悲しいかな、書いてる方はこんなのでダメージ受けてしまうのだ。

 

 そもそも何か作って公開するという行為には、「こういうのいいでしょ、作れる私もすごいでしょ」という自己愛、「みんなに賛同して称賛してほしい」という自己顕示欲、あるいは同好の士を見つけたいとか、いろんな欲望や欲求が伴う。
 自分の欲望を人目に晒す、という面があることは、避けようがない。何の欲望もないんだったら、それこそチラシの裏に書いて誰にも見せずに秘匿すればよいのだ。

 もちろん、人目に晒した欲望を否定されるというのは、人格のかなり深い部分を傷つけられることになる。
 だから怖いのだ。

 その恐怖心を、ちょっとだけ欲望が上回った時に、作品を世に出してしまうの。
 これはもう、プロだろうが初めてテキストエディタを開いた素人だろうが、漫画家だろうがYoutuberだろうが、誰でも変わらんだろうと思う。

 

 そこに、「この主人公って、あなたの願望を投影したキャラですよね?」と勝手に決めつけられてしまうと、なんだか自分が晒したものがにわかにマヌケなものに思えてくる。
 作品を公開した時点で、願望も欲望も欲求も伴っている。そんな欲望が、作品の中にまでダダ漏れになってしまってたんだろうか。
 そう疑問に思わされてしまう時点でどぎついものがあるのだ。

 創作をしている、という時点でどうしても生じる弱点に、「自己投影キモい」というフレーズがかすめる。当たってないんだけど、「当たったんじゃないか?」と不安になり、体勢を崩される。

 

便利な難癖フレーズとコミュニティ崩壊のこと

 「自己投影キモい」「願望丸出し」といった類のフレーズは、殴る方からすれば便利だ。
 広範囲の作品に対して使える(登場人物の誰かが活躍する話であればいい)し、何も考えずにフレーズを送りつけるだけで、作者は勝手に考え込んでダメージを受ける。嫌がらせにはうってつけ。

 書き手がガードするのは難しいんだけど、とりあえずこの手の便利フレーズはあまり的を射たものでもなく、そんな雑な物言いをするやつが「相手の成長を願っての苦言」とかを言ってるわけがない、という認識だけは持っておく他ない。

 

 私もいい歳なので、かなり長い期間に渡って、メジャーからマイナーまでいろんな作品の二次創作コミュニティに首を突っ込んできた。

 その経験から言えるのは、「安易なフレーズでの侮辱が公然と飛び交う状態になったコミュニティは滅亡直前だからもう見切りをつけよう」と。

 

 私がいくつも見てきた、創作コミュニティの興亡パターンがあるの。

 最初、数名の書き手と限られた読み手で、小さなコミュニティが生まれる。
 しばらくの間は、もっぱらコミュニティは書き手同士が創作して交流し合う場になる。

 コミュニティが育ち始めると、読み手の絶対数も増えていく。すると、多くは黙って呼んでいるだけの読み手にも、コミュニティで発言することが増えていく。
 書き手の方も、感想を送ってもらえるとかで、読み手が活動し始めることを歓迎する。コミュニティが最も心地よく動く時期だ。

 で、この後が問題で。
 だんだん読み手の方の立場が強くなっていく。

 まず書き手側が「感想ありがとうございます!」と、読み手から送られたコメントに喜んで返事する。すると読み手も喜んでさらに感想を書く。
 そのうち、ちょっと批判的なコメントがつく。書き手はそれもひとつの意見かと、受け入れてしまう。受け入れられるから、さらにもう少し批判的なコメントも出る。
 だんだんとキツいことを言っても通るようになって、読み手の態度が増長していき、「感想を書いてやってるんだからありがたく受け取れ」といわんばかりになる。

 公然と「自己投影イタい」みたいな、便利な攻撃用フレーズが飛び交ってる状態になってるコミュニティは、このへんの段階にある。
 もう先は長くない。

 書き手が次々袋叩きにされて消えていく。創作始めたばかりという新人さえ、青田刈りならぬ青田踏み潰しでスポイルする。
 叩かれてない人でも、そんな状況でやる気が出るわけもない。

 書き手が消え、「最近作品投下されない」と困惑する読み手が残る。

 

 寓話みたいな流れなんだけど、実際このパターンを何度も見たの。

 

まあコミュニティの時代じゃないけどね

 これだけ長々書いておいてなんだけど、そもそもの話だった女性向け二次創作界隈と、夢小説界隈に対して妥当な話ではないかもしれない。私は男性向けの世界しか知らない。

 

 しかも、最近や今後の創作・二次創作の世界にも、このようなコミュニティの興亡はあまり起きないかと思う。

 そもそも、「この作品の二次創作はこのサイト」というような軸になる投稿サイトがあって、そこに人が集まってコミュニティを形成する、という行動形態がもうなくなった。
 投稿サイトが個人運営(個人だからせいぜい1作品の二次創作を集める程度の規模が限界)、もう少し後になると2chのスレがその役割を担って、というような、古い時代の話だ。

 

 今あるのは、Pixivとかのプラットフォームで、個人がひとりで活動する形だ。
 Pixivでタグ検索など使えば、大まかに「艦これSSクラスター」というようなものは観測できると思うけど、昔のコミュニティほど強い粘性があってまとまって動くことはない。
 誰か個人が炎上してバッシングされることはあっても、クラスター全体でその人を叩くということにはなりにくい。せいぜい、数名が粘着して燃やし続けるくらいまでだろう。

 

 また、コミュニティ時代にあった「便利な攻撃フレーズが流行してしまう」ということも、クラスターでは起きにくい。
 コミュニティは掲示板などを中心にしていたから、作品投稿も、作品への感想も、一度コミュニティ全体に向けて発信される。だから、ある一人の読者による、ある作品への感想が、コミュニティ全体に伝播した。

 でもクラスターだと、読者の感想はその作品に対してしかつけられない。
 ある作品に「自己投影気持ち悪い」と罵声が浴びせられたところで、その罵声を読むのは、その作品を読んだ人くらいだ。
 だから、バッシングが他の作品に燃え移ってクラスター全体に広まるなんてことは、まず起きない。

 

 「自己投影」のような便利な棍棒フレーズって、ひとりが振りかざしていても、そこまで深刻でもない。突き詰めると難癖でしかなかったりするから。
 コミュニティの大勢がみんなして棍棒を振り回してる状態になってるのがヤバいんであって。

 構造的に袋叩きが難しくなったから、昔ならすぐ袋叩きに遭ったような夢小説も、気楽に公開できるようになったのかもしれない。
 そしてVtuberが夢を語り、Pixivのランキングで夢小説が上位を取る。

 これは、平和になったのかもしれない。

 

 まあ、その代わり、「これは面白い」という作品があっても、昔ならコミュニティで絶賛すればみんなに伝達できた。今はそれが難しい。
 平和の代わりに、楽しみも捨て去ってるかもしれないな。