世間様がゴールデンウィークに入る直前の一週間ほど、東京に行っていた。仕事で。
まあ、結構みっちり働いていたもんで、遊ぶ時間などさっぱり取れなかった。久しぶりに上野公園で三ツ星カラーズ聖地巡礼と洒落込もうかと思わんでもなかったのに。
仕事の合間に通りかかったところとか、1/3日くらいの休みに日暮里舎人ライナーだけでも乗りつぶしに行ったりしたので、そのへん。
東京大阪間"昼行"高速バス
今回、行きは昼行の高速バスを使ってみた。
バスといったら夜行がポピュラーだけれども、JRバスが昼行便を出しているのだ。
朝のうちに出て夕方着くのもあれば、昼頃出て夜につくのもあり。
日中の時間を移動で消費するのもつまらんという人もあるとは思うが、移動自体が好きだったりするなら悪くない。どうせバスの中で座って寝たってまともな睡眠にならんし。
値段は今回で4320円だった。チープ。ただし四列シートだった。もう1000円ほど出したら三列シートの便も。
11時発で19時着だったっけな。
途中でサービスエリアに3度ほど寄るだけ。その時間も20分程度で、浜名湖SAでゆっくりうなぎなんて時間はない。スパルタンな行程だ。
昼ならば富士山も見える。
それから駅メモが捗る。バスには電源もWiFiもある……のだが、WiFiは60分ごとに再接続が必要で鬱陶しかった。電源は嬉しい。
名神・東名高速をひた走るので、駅メモで取れる駅も新幹線などと大差はないのだが、御殿場線の大部分を取れるのが大きい。あれは乗るのはちと面倒だ。
日暮里・三河島
東京ではもっぱら日暮里に滞在していた。
駅前のこの回転一枝という像はなんぞやと思ったが、太田道灌公であるようだ。
戦国時代の早い段階のことももう少し知っておきたいものだけど、なかなか勉強しきれないな。
日暮里、西側は谷根千観光に行ったことはあったんだけど、東側は初めてだった。なんというか、みっちり住宅が詰まってしまってコンビニもスーパーも少ないというか。
商店街が繊維街だから生活的な店がなくて、この街の感じは大阪でいえば日本橋でんでんタウン的じゃなかろうか。
三河島の方で、メールの返事待ちなんて中途半端かつ何分か不明の空き時間ができたので、ちょっと徘徊すると神社があった。
宮地稲荷神社、または三河島稲荷神社。
伝わるところでは1579年創建、でも1557年の棟札があった、とも。
樹齢650年だったらしい大欅があったけど、あいにくもうなくなってしまった。それから1779年に新吉原から奉納された手水鉢があったらしい。見落とした。
お社。敷地はごく小さなものだった。
ほか、三河島菜というものが看板で解説されていた。
三河国の農民が持ち込んだものだそうで、漬物用の菜っ葉として盛んに作られていた。しかし明治頃に白菜の人気が高まるにつれて不人気になっていった。
ほかに、荒川の沖積土の地質が枝豆の栽培にも適していたそうで、それも人気があったけど宅地化で。
消えた野菜なんてのは初めて遭遇した気がするな。
三河島菜、別に植物種として絶滅したわけじゃないので、今でも検索したら種を買えるようだ。
舎人
さて、日暮里舎人ライナー。
東京在住の間に、ステーションメモリーズで東京都心部の鉄道はあらかた取ってしまっていたつもりだったが、日暮里舎人ライナーはノータッチだった。
せっかく日暮里で過ごしているんだから、この機会に。
地下鉄かなんかかと思ったら、これあれだな、ニュートラムか。
荒川と隅田川の隙間、中洲みたいなところにある足立小台駅に驚いたり(後で地図を見ると別に中洲ではなく、そのまま錦糸町の方につながっていた)しながら、端まで乗車。
見沼代親水公園駅まで来て降りてみた。
駅の案内によれば、舎人遺跡というのがあるようなのだけど、かなり遠くて30分ばかり歩く。雨が振りそうで時間も午後3時、ちょっと遅いな。
駅の近くにあった舎人氷川神社に参ってみた。
鎌倉時代初期の1200年に、武蔵国一宮の氷川神社(大宮の)を勧進してきたとのこと。
社殿の前に、なんか囲いのようなのがある。
近くで見ると、かなり凝った彫刻がある。
1836年に建てられた社殿なのだけども、こんな手の込んだ彫刻がつけられている。金網のガードで見づらいのがちと惜しいが、壊されるわけにもいかないんだろう。
ちょっと見たことがない作りの小社。簡素なのはよくあるけど、左に繋いでるのはなんだろう……
時間があれば舎人公園を徘徊したりもしたかったところだけど、あいにく今回はこれだけ。
あとは秋葉原にも久々に行ったんだけど、ヨドバシカメラ向かいのPCNetがなくなってたり、ソフマップがビックカメラに変わってたり。まあ電気街なんて変わり続けるもんだけど。