堺風の頭部

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2003年 防水&スリムデジカメ戦争

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 古デジカメ拾いも、最近はさすがに何でもかんでもは拾わないのだけど、やはりこれくらいの世代、私が関心を持ち始めた頃の機種には弱いところがある。
 オリンパスμ-30 Digital、カシオEX-S3ペンタックスOptio WP
 奇しくも、2003年頃からのデジカメの一大トレンドが凝縮したような三台だ。

 あの頃に始まったトレンドがふたつ。
 ひとつは、オリンパスμ-10に始まる防水機能。
 それから、カシオEXILIM EX-S1やミノルタDiMAGE Xに始まるウルトラスリム路線。

 

 

防水デジカメの始まり

 90年代、まだ始まったばかりのデジカメに早くから飛び込んで、大きなシェアを握っていたのはオリンパスとフジフイルム、それからカシオだった。
 しかし21世紀に入ると、大手カメラメーカー・家電メーカーの参入も本格化して群雄割拠の時代になり、オリンパスやフジを追撃していく。
 2002年には、各社のラインナップも、ハイアマ向けの高画質モデルから、2万円台の廉価モデルまで、一通り揃った。
 格安機を除けば3倍ズームレンズ搭載も当たり前になり、10倍くらいの高倍率ズームも現れた。

 そうなると、単に「3倍ズームレンズで300万画素のカメラを4万円です」だと、埋没して売れない。ラインナップとしてスタンダードなものは必要としても、各社にある。
 何かひとつ光るものがなければ、存在感が出ない。

 そこでオリンパスがつけてきた一芸が、防水機能だった。

 

 2003年の頭に、オリンパスμ-10 Digitalが発売された。

 防水デジカメ、というだけなら、以前から存在はしている。
 フィルムの時代からあった「現場監督」(コニカ)のデジタル版やら、フジフイルムのBIGJOBのような、工事現場で落としたり水没させても平気な、ヘビーデューティモデルがある。
 また、カシオも「G-SHOCKデジカメ」といわれたG.Bros GV-10/20という機種を出した。

 しかしこれら先行モデルは、でかかった。
 現場監督タイプは普段使いできるような大きさではないし、格好も現場感丸出し、値段も業務用価格。
 G.Brosは比較的マシだけどやはり大きく重かったし、それでいてカメラとしてはズームもない低画素モデルだった。

 そこにくるとμ-10 Digitalは、まずデジカメとして、当時のスタンダードだった3倍ズームの300万画素。周回遅れな性能じゃない。
 でもって、他のカメラと変わらない、当時としては十分小型といえたサイズ。
 今見ると流石にレトロなデザインだけど、金属製で触った感じもよいしっかりした筐体で、当時としては格好いいといえるスタイル。

 オリンパスの「μ」というブランドは、ボディ前面がスライドするレンズカバーになっているスタイルのコンパクトカメラに、フィルムの時代に使われていた。
 それが、ゼロ年代デジタルカメラにリファインされて名付けられた。トヨタ86の復活、というほど大層ではないと思うが、意気込みあるネーミングと思う。

 これが大ヒットした。2003年発売モデルでは一番かというくらい売れた。

 今でもスマホでやってるけれど、なんだか日本人は防水が好きだ。
 μ-10はJIS4等級の生活防水で、あくまで水しぶきがかかっても大丈夫という程度に過ぎないのだけど、「防水」という看板は強力。当時は他になかった。

 CM戦略も良かった。起用したのが滝沢秀明で、なかなかキャッチーなものだった。
 オリンパスのデジカメって、正直デザインだけでいえばかなりおっさんくさくて、スタイリッシュとはいえなかったんだけれど、μ-10は珍しく女性にも認められた。
 女性が大勢買いにくるようなデジカメって、これが初めてかもしれない。オリンパスが後にE-PLシリーズなどで女子カメラの定番みたいになったのも、この時の経験がベースにあるかもしれないなあ。

 ただ、あくまで生活防水でしかないμ-10なのに、CMではプールサイドで水没させてもいいかのように見える映像を使っていた。映像では水没させていないけれど、紛らわしい感じの。
 あれを見て、水没させられると勘違いして壊すケースが続出したとか、当時よく言われていたものだ。

 

 ともあれ、大ヒットしたμ-10なのだけど、その後はちょっと立ち回りが微妙だった。
 半年もたたないうちに400万画素モデルのμ-20が発売。
 さらに、カメラとプリンターを直結して即時印刷できる「PictBridge」の立ち上がりと共に、両機種を対応させたμ-15とμ-25も発売。
 1年後には、マイク・スピーカーがついたμ-30が発売されて、マイナーチェンジだけで5機種も並んだ。
 さらに、防水とメタルボディを省略し、単三電池で動くようにした廉価版シリーズが、これまたX-200X-250X-350と出てしまい、合わせて類似8モデルが一年半ほどの間に並んだ。

 防水を剥がせばありふれた廉価モデルになってしまうμ-10は、カメラとしては特に、高画質でも高性能でも高機能でもなかった。
 マイナーチェンジで何度もいじっても、買った人が買ったばかりなのに旧モデルになったという落胆を与えてしまうだけだった感がある。後知恵ながら、これは良くなかった気がするなあ。
 例えば高画質機C-5050Zや高倍率ズームのC-730UZのような機種に生活防水をつけたりすれば、「それが欲しかった」という人も多かった気がする。技術的に難しいとかもあろうけど。

 今回私が手に入れたのが、そういう流れを経て一年ですっかり地味になっちゃったμ-30 Digital。
 実際、中古やジャンクで見かけるのもμ-10/20が圧倒的に多く、30ってそれほど見かけなかったのだ。多分あんまり売れていない。
 次のμ-40は、スライドバリアが廃されてボタン起動になり、スタイルが大きく変わる。

 

 μ-30が発売された2004年、PENTAXから防水カメラが出た。
 Optio 43WRという機種だった。
 μが生活防水に過ぎないところ、こちらはJIS7等級、水没させられるカメラ。(水中撮影は保障していなかったが)
 レンズも屈曲光学系を採用して、小さいボディでしっかりズームもできる。
 その後長く各社から出続けることになる、完全水没可能な防水性能に屈曲光学系ズームレンズというスタイルで、初めて世に出た製品だった。

 これがさらにコンパクト化させたのが、今回手に入れたOptio WPになる。
 後の防水Optioシリーズと同じ形をしていて、10年以上続くコンセプトを完成させた名機といってよかろうと思う。

 

 そういうわけで、μ-30とOptio WPは、トレンドの始まりの終わりと、それを育てたものの始まりにあたるのだ。

 

薄型デジカメ創生期

 さて一方の超薄型カードデジカメ。

 薄型デジカメの始まりがどこにあるのか、となると、話が結構難しい。90年代なら、厚さ3cmでも薄いといえそうだし。
 CCDセンサーがあり、その前にレンズがあるという形態は崩しようがないから、ある程度の限界はある。

 その限界に挑むようなカメラをもって「超薄型」と呼ぶなら、フジフイルムのeyeplateが最初かなあ、とは思う。なんたって厚さ6mmで、今でもそこまで薄いのはなかろう。
 とはいえ、これは当時あったおもちゃデジカメ(CMOSセンサーで極めて単純化した超廉価カメラ)の類に近い。30万画素だし、液晶モニターもない。

 eyeplateのすぐ後に、CASIO EXILIM EX-S1/M1が出る。
 こちらは単焦点レンズながら、ちゃんとCCDセンサーに機械式シャッターを備え、液晶モニターもついて、厚さ11.3mm。
 発売は2002年夏頃だった。
 (なお、M1はMP3再生機能付きカメラ。フジフイルムとか一部メーカーはそういう機種を出していた)

 

 EXILIM EX-S1は、131万画素と画素数は少なかったけれど、何しろ薄い。
 当時のカメラは、それなりに小型化は進んでいたとはいえ、ゴロっと厚みがあるのが当たり前だった。11.3mmはもう画期的に薄い。
 面積も、名刺ケースくらいまで小さく収めている。
 他のカメラを胸ポケットに入れるのは無理があったけど、EXILIMだったらごく当たり前に入る。ポータブルからウェアラブルになっていた。

 ボディもフルメタルで、きちっとエッジを立てた四角形に、丸くレンズ部が飛び出しているような形状。
 カシオのデジカメのデザインといったら、プラプラしさと異形さの同居した独特過ぎるものだったけど、これはキチっとした形状に、ギョロ目が飛び出すカシオらしい異形っぽさが同居して面白い。

 やっぱりこれもヒット作になった。
 この超薄型カメラにつけた「EXILIM」という名前が、後にカシオのデジカメ全てに名付けられるようになるんだから、よほどの影響力といえる。

 EXILIMは、ズームを捨てることで生み出せた。
 この頃は「格安ローエンド品でなければ3倍ズームレンズくらい当たり前、そうでないと売れない」という感覚がどこにもあっただろうと思う。そこに縛られなかったのはカシオだった。

 

 さて、「3倍ズームレンズくらいはないと売れない」という当時の常識をそのまま守って、ズームレンズ搭載のまま薄型デジカメを作ってみせたのがミノルタ DiMAGE Xだった。これも2002年、それも初頭の発売だからEXILIMより半年近く早い。
 普通の3倍ズームレンズではどうしても厚みが出る。だから、途中にプリズムを入れて光の向きを変えてしまい、レンズを厚さ方向ではなく高さ方向に納める設計にした屈曲光学系ズームレンズ。

 スイッチを入れても、ズームを動かしても、全くボディからレンズが出入りしない、というのはDiMAGE Xが最初。
 厚さは20mm。面積もMDプレイヤー程度と、画期的に薄くて小さいといっていい代物だった。

 

 2002年、EXILIMDiMAGE Xのおかげで、「薄い」ということがひとつのプレミアムとみられる時代が始まる。
 実際問題、やっぱり気軽に持ち歩いてポケットに入れるようなことを考えれば、厚さ5cmもあったりするとやりづらくなる。デジカメが身近なものになればなるほど、薄くてウェアラブルなものが珍重されるだろう。

 

 さて、少し先に出ているDiMAGE Xがズームレンズなのに、カシオEXILIM単焦点レンズでは不利だ。ズームモデルもやらないわけにはいかない。

 そしてそれは意外に早く、翌2003年にもう登場した。
 EXILIM ZOOM EX-Z3がそれ。

 ズームレンズは多数のレンズを組み合わせて作るから、電源を切って収納するときにも、レンズ枚数分積み重なった厚みが必要になる。それが小型化を妨げた。
 では、収納時には一部のレンズを横に逃がせば厚みを抑えられるという発想で、スライディングレンズシステムという代物が作られた。
 このレンズはPENTAXとの共同開発なので、PENTAX Optio Sという兄弟モデルも出た。

 これによって、Optio Sで20mm、EX-Z3で22.9mmという薄さを実現。同時期のDiMAGE Xtはやはり20mmなので、同等になった。
 面積でも、数ミリながらDiMAGE Xtより小さくしてきた。

 

 スライディングレンズのEXILIM ZOOM、Optio S。
 屈曲光学系のDiMAGE Xt・X20(単三電池モデルながら23.5mm厚)、年末発売のCybershot DSC-T1(21mm)。
 それからスイバル型(レンズとセンサーを縦に収めてしまい、レンズ部分を回転させて被写体に向ける方式)の京セラFinecam SL300Rは15mmの薄さにしてみせた。
 2倍ズームに抑えて23.9mmまで薄くしたIXY DIGITAL 30もあった。

 2003年は、こういうウルトラスリムタイプのデジカメが競争を始めた時代だった。

 

 2003年、μ-10 Digitalが防水で席巻し、ウルトラスリムデジカメが盛り上がりだした。
 そのふたつのトレンドが2004年に合流したのが、屈曲光学系ズームレンズのコンパクトボディ機に、JIS7等級の高い防水性能をもたせたOptio 43WR。

 そしてOptio WPに洗練され、他社へと広まっていく。

 

 そういうわけで、μ-30 Digital、EXILIM EX-S3、Optio WP、いずれもコンパクトデジカメ史上で重要なポイントにあるシリーズの機種だ。
 奇しくも同じ日にハードオフで見つけたのは不思議な縁だ。

 

 μシリーズは、μ-30の次からは、生活防水で薄型コンパクトなカメラになり、特に防水性能の強力なものはμ-xxSWとかμ-TOUGHシリーズと名付けられ、そして2012年には消えた。

 EXILIMは、特にスリムでもなんでもないネオ一眼スタイルの大型カメラまで共通で使うブランドネームになってしまった。
 小型ズーム機は単に当たり前のものになってしまい、単焦点超薄型モデルはもう出ていない。

 DiMAGE Xは、屈曲光学系ズームレンズという発想を残して、コニカミノルタのカメラ事業とともに消えていった。
 屈曲光学系ズームレンズは、突然スマートフォンに採用されたりしたが、デジカメではもう防水モデルでしか見かけない。
 カード型デジカメでも12倍ズームが当たり前みたいな昨今、屈曲光学系では設計の自由度に制限があるのだろう。防水なら、外形を変化させないことが強いメリットになるんだけれど。
 Optio Sのスライディングレンズシステムは、今でも使われているのだろうか。これは見てもわからないので、どうだろう。

 

 古いデジカメは、スイバルのような今では失われてしまったアイディアを面白がるのも楽しいのだが、このように現代でも見られるアイディアや機構の始まりを辿るというのも、また楽しいものだ。