堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

Togetterが苦手で

 先日、とある会社の製品に気になるところがあった、とついーとしたのだけれど、気がつけばそれがTogetterに転載されていて。
 そのTogetterまとめは、全体の方向性とかキャプションなどから見て、その会社へのバッシングを目的としたものに見えた。

 私は確かに、その製品については良いとは思えなかった。
 しかし、別に会社に罵声浴びせようと思うほど怒ったわけでもないし、その会社を嫌っているわけでもない。
 よって、まとめに同調できない。にも関わらず、まとめた趣旨の補強に勝手に使われた。

 気に入らないし、こういうのは批判の仕方としておかしい。
 勝手にTwitterから都合のいいついーと集めて「みんなこう言ってますよ―!」とかやるの、迷惑。
 選挙とか署名とかは意思表示だけど、意思表示のように見えるものを相手の意思確認もなく文脈も無視して無断で収集して並べ立てる行為は全然違うぞ。

 

 

 まあ、批判は自分の言葉でやれ! という月並みな話ではある。

 何かを嫌いだと表明するのはかなり難しいのだ。わかる。いやこの記事もそういう内容だけど、いかに角が立たんように迂遠な言い回しを選んでいることか。「アホが悪質な使い方するのに便利なサービスはちっとは現状見て対策しろ」とかそんなこと言えない。あ、言った。いやこれはTogetterより別のアレに思ってることだからただの例示。

 嫌いなものをまじまじ観察して、妥当で合理的な嫌うべき理由を見つけ出すなんて作業は、不愉快だし、上手くもやれない。
 それで感情的にやってしまうと、理由になってない変な話とか、無茶苦茶な極論・暴論を並べ立てたりしてしまう。これはもう逆に叩かれる。

 自分の言葉でバッシングをやるの大変。この道は地雷だらけだ。怖い。

 まあ、一日くらい時間を置いたら、そもそも公言せにゃならんほどの怒りでもなかった、とわかったりもするから、そうするのがええと思うけど。

 

 三日経ってもなお、かの邪智暴虐のアレを除かねばならぬと激怒しているなら、もう覚悟決めて、アレがいかに悪くて除かれるべきかを追求するしかない。
 まあこれはこれで、自分が気に入らないものとか怒るポイントとかが見えてきたり、当初怒ってたことと違う方向に考えが広がっていったり、結構得るものがあることだから、案外時間のムダでもない。たとえ結果的に批判をしないことにしたとしても。

 しかしこの時も罠があって、言論人だとか作家だとか肩書のある人が、率先して同じものをバッシングしていてくれることがある。
 そういうのがあれば、「この人が言ってる!」と簡単にもっともらしい理由付けができるから、ついつい飛びついてしまいがち。気持ちはわかる。
 けれども、それやっちゃうと敵にも自分にも見識が広がらないから、得るものがない。ムカつくもの叩けて気分いいだけ。

 ひどい時には、その肩書ある偉い人の言ってることが、無茶苦茶だったり間違ってたり根拠薄弱だったりする。
 ほら、大きく分けたら自分と同じ側だけど、あの人はなぁ……って人。でもファンが結構いて、あんなの信用してる連中は、逆にマイナスにならないかと不安になるようなあの人。
 でも、それは信じてない人だからわかることで、自分が信用している人がそうじゃないか、とはなかなか判断できない。

 例えば、私は毎月日経サイエンス読んでる程度には科学好きだし、もっと世の中科学的になる方が人は幸せになると思ってる。
 一方で、なんかびっくりするようなこといってる「科学者」がいて、ひどい本出して妙なファンを集めてたりもする。
 でもこれは、たまたま気がつけたからその人の本はアレだと思えているだけで、自分が信じている日経サイエンストンデモ本ではないか、という検証は私には難しい。
 あくまで一般向け雑誌だから、隅々まで正確さが保証されている本でもない。でも、雑な部分があったって私には知識不足で判断できない。好きで読んでる雑誌だから、変なものだとは思いたくもないし。

 

 それで話がTogetterに戻ってくる。
 「Twitterを検索して、自分の怒りにマッチする赤の他人の言葉を収集し、ただ並べ立てれば批判になる」という考え方は、まあ、楽だろうとは思う。

 しかし、なぜ批判すべきかを自分で考えてはおらんよね。他人の言葉に丸投げ。

 自分だけでは考えきれないことを、誰か信頼できる人の意見に頼るのも、時には必要だ。色々限界がある。私が科学論文を理解できないから、日経サイエンスで済ませてるのもまさにそれで。
 でも、全くの赤の他人の、140字以内のつぶやきを、相手の意志すら無視して恣意的に集める行為でできたまとめに、自分の考えを預けてしまうのは、いくらなんでも雑にすぎる。これが無茶な行為だとわからないくらいだと、日頃、自分が信じるものをどのように選んでるのか疑ってしまう。

 そういうわけで、Togetterで他人のついーとを使って何らかの意見表明をするのは、良くないと思ってます。私のついーとがそれに使われるのは不快です。

 

 まあ、実際のところは、私のついーとなんてあんまり内容もないので、たまにTogetterにまとめられていたといっても、上の話のような使い方されてることは稀です。(久々にやられたからこんな記事書いてるんだけど)
 大抵は、ちょっと流行った大喜利ネタに首突っ込んだのを拾われたとか、その程度のなんの悪意もないようなものばかり。
 別にそんなこと不快に思うほどでもないし、「Togetter使うやつは全員バカ」だとか過激派やってるわけでもないです。

 

 ただ、もうひとつ私の考え方として、ネットに何か公開するのが自由なら、それを引っ込める自由もある方がいいと思うんです。
 Togetterにまとめられたついーとを、Twitter側で削除しても、Togetterから消えない。そもそもこれはTwitter利用規約に準じた利用にあたらない転載じゃないか、という議論は以前あったと思うんですけど、変わらないなあ。
 そりゃTogetterにTwitter連携してログインすれば見れますし削除できますけど、その手間が私に負わされてる理由がないと思う。

 そういうわけなので、私は時々Togetterをチェックして、まとめられていたら内容のいかんを問わず削除してます。
 Twitterで消したらTogetterでも消える仕様になってれば、こんな手間かけて消す気はないんですが。

 

 しかしその論でいくと、他人のついーとをスクリーンショットで画像化して貼り付けるというのも、私のポリシーに反するな。
 私も以前このブログで一度やってるな。いかんいかん。一貫性。(一応、相手の問題のついーとが削除された時点でこちらの画像も取り下げはしました
 他人がやってるのを見ると、正直あまりいい気してなかったのにな。

 ウェブ魚拓も、ひとの失言を叩き続けるために使われてるケースばかり目に入って辛い。削除をもって撤回したということでいいだろうと思うのに。