最近かくよむちほーに篭っていたが、運動不足になってはいけないので、ちょっと和歌山へいってきた。
現在、和歌山電鐵とはニタマ駅長様に拝謁するための路線なのだが、かの高貴なるお方はそういつもいつも庶民の前に姿を現したりはしないので、日を選ぶ必要がある。事前に調べていくべし。
また、本来は日前宮・竈山神社・伊太祁曽神社の紀州三社参りをするための路線なのだけど、それは以前やったことがある。
今回は、あえて三社以外のところを中心に巡ってみた。
和歌山の鉄道は、北から大阪方面への接続路線ができるたびに中心駅が移動し、街の賑わいも変遷するダイナミックな姿を100年以上前から見せている。
駅と一緒に賑わいが西へ東へ移動し、南海電鉄・阪和電鉄・国鉄がそれぞれの事情で戦う熱い歴史がある。
しかし私の知っている時代からは、関西空港ができて、南海本線・JR阪和線ともに空港行きの優等列車を増やした分、和歌山方面はどんどん扱いが悪くなっていくばかり。
その結果、和歌山市駅にあった高島屋は撤退。
その後、跡地にデイリーカナートイズミヤとキャンドゥが入ってるのは雑賀城見に行った時に確認したんだけど、今回行ったら閉店していた。
また駅地下食堂街も、前に来た時に残っていた最後の店が閉じたらしく、ついに封鎖されていた。
正直、これから市駅前の賑わいが戻るとも考えづらく、これからどうなってしまうんだろうなあ。
南海も他の鉄道もみんな、和歌山の市街地真ん中に線路を入れず、外れに駅を作ってしまってた100年前の判断がよくなかったのかな。駅から大阪まで1時間くらいでいけるのに、街から駅まで何十分もかかってしまう。
市駅から和歌山駅へは、大体いつも鉄道の接続が悪いので、バスで向かう。紀勢線の市駅-紀和-和歌山区間は、だいたいいつ来ても三十分以上待ちな気がする。
JR和歌山駅の改札で、一日乗車券を買いたい旨を伝えて通り、9番ホームへ。そこに販売所があるから一日乗車券780円を買い求めた。(普通の片道切符なら、JRと同じところの券売機で買える)
なんか鉄道むすめのヘッドマークがついてるな、と思ったら、スタンプラリーのようだ。
http://tetsudou-musume.net/contents/special/meguri2017/
いや、ちょっとまってくれ、北は三陸鉄道、南は西鉄ってどれだけ広範囲、しかも和歌山電鐵やら水間鉄道やら、何かのついででいけるような場所じゃないとこ多いぞ。
私の遊んでるスマホ位置ゲーのステーションメモリーズでも、このスタンプラリーとコラボイベントが開催されていて、スタンプ設置駅にチェックインすると同様にイベントを進められるようだ。
伊太祈曽駅の駅ノート(駅メモの機能としてアプリ内にあるやつ)を見ると、もうスタンプ10個集めた20個集めたと報告がある。
私には凄まじいハードコア・スタンプラリーに見えるが、エキスパート乗り鉄にはこれくらいの歯ごたえが欲しいんだろうか。
貴志駅・大国主神社
とりあえず一気に貴志駅まで。
神格化されているが、たしか前からだっけ。
廃線されるはずの路線を一躍観光路線に持ち上げたんだから、もう福の神の一種であろうな。
今日はニタマ駅長殿はお休みであられた。
基本的に完全週休二日みたいで、猫でもそうだから人もそうなるべきであろう。
駅。
せっかくだからちょっと貴志川へ。
川沿いに大国主神社がある。
そういえば前に貴志駅まで来たときも、神社に寄ったな。この見事な神楽殿を見て思い出したぞ。
慌てたから傾いたけど、桜吹雪が散った。
大国主神社の拝殿。なかなか貫禄がある。
ここでは大飯盛物祭という奇才がある。
文字通り、米俵5つ入る桶に飯を山盛りにしたのが始まりで、最近でも餅6000個を投入する高コストな祭りで、毎年はちょっと無理になってるそう。2年前の4月に開催したらしいけど、今年はやりそうな雰囲気じゃなかったな。
カワラタケには見えないけど、これはなんのキノコだろ。
貴志駅で機関車発見。
復路はまずいちご電車から。時期によっては貴志駅からいちご狩り園にいけるらしいが。
甘露寺前・平池緑地公園
隣の甘露寺前駅すぐに、平池という池がある。
自然の池ではなくて、中世に作られた溜池であるそう。
で、池の中に島が見えるのだが、これ円墳らしい。
池の端やちょっと離れたところなど、かなり多数の古墳が集まっているところ。平池ができたのは中世らしいから、古墳より後だろう。ダイナミックに作るなあ。
こういう地形なので、せっかくだからQ-S1のレンズをSTANDARD ZOOM(23-69mm)からTELEPHOTO ZOOM(69-207mm)に変更。
池の中に隔離されたせいだろうか、墳丘の形もよく残ってる気がするし、もしかしてまわりの大きめな石は葺き石が残ってるのかな。
岸辺の古墳は、この通り上に上がれるような丘になっている。
こちらは最初の写真とは別で、かなり岸の近くにある。多分古墳ならまわりを囲うように堀があるはずで、それっぽいのはあるけど妙に浅くてはっきりしない、とのこと。
それから、野鳥がたくさん集まってきている。
Q-S1にTELEPHOTO ZOOMだと、テレ端209mmしかなくてちょっと物足りないけれど。
と思ったら、私がいる方にお構いなくずんずん歩いてくる。こいつマガモかアオクビアヒルかどっちなんだろう。図鑑見ても違いがわからん。
これはヒドリガモかな。手前が雌、奥の眉間から頭頂部が白いのは雄っぽい。
こいつはオナガガモかな。
ずいぶん近くで撮影できるくらい油断していて、人に慣れてる感じ。カモの類はそういうもんなんだろう。
植物の方も、絶滅危惧種のオニバスが出るそう。これは夏の後半くらいから、見られる時は見られるらしい。種子のまま何年も休眠する植物で、出ない年もあれば出る年もある、そんなもんらしい。
それから駅に戻ったんだけども、踏切の遮断機が降りてホームに行けなくなったところでやってくる列車。ほんとに数秒遅れで間に合わなかった。
次が30分、ということで、平池とは反対側、県道13号線の方へいってみた。
うお、なんだこの店。
しかしあいにく鍵がかかっていた。ちょうど12時、食事中だったかな。惜しいなあ。
食事はこちらの「しま彰」で食べた。
メニューは中華そばの普通・大盛り・特盛りとダブル(何かわからない)、それからライスだけらしい。今日は日替わりでチャーシュー丼があったので、普通ラーメンとそれで。
なんというか、変に頑張りすぎない感じのラーメンだった。こういうのでいいのだ。
山東駅・足守神社
Q-S1のレンズをSTANDARD PRIMEに付け替えて、次は山東駅で下車。
駅に謎のクリーチャーが多数。
ツイッターアカウントを発見したものの、3年前のエイプリルフールで白たけのこまんになり、そのまま放置されている。
でもって山の手の木枕地区へと歩いていく。
山肌をくり抜いたかのような地蔵尊が。なんか渋い。
丘の上には、足守神社。ここから見えてるのは足守観音寺、右手に神社がある。ふたつともひとつの宗教法人の管理下にあるようだ。
名前が名前、足の健康にご利益があるとかで、絵馬のかわりに草履が奉納されている。大量に。
私も体重があるからいつか膝に来るとは思うが、それが2~3日くらい延期されていることを祈ろう。
吉礼駅・都麻津姫神社
キレ駅。キレてないですよ。キレてない。うん。オレをキレさせたら大したもんだよ。うん。
都麻津姫神社、なる神社があった。
伊太祁曽神社に祀られているのが五十猛命で、その妹神の大屋津姫命と枛津姫命を併せて伊太祈曽三神というらしいのだけど、その枛津姫命を祀るのがここ。
続日本記にも名前があるのだけど、都麻津姫神社は今はふたつあり、どっちがどうなのかとかはよくわからんようだ。
まあ、小さな集落の氏神様っぽい感じの神社ではあるけれど、こんな変わった様式のお社があったりもして、何か歴史的な雰囲気。
吉礼駅、写真映えするな。
やってきたのはたま電。
交通センター前駅
和歌山電鐵では一番新しい駅で、運転免許試験場の目の前にある。以前は隣の岡崎前駅から歩いてたらしい。
駅前には、もう見るからにかつて自動車教習所だったところが公園化された、県立和歌山交通公園がある。
今はなき南海平野線で走っていた車両。
当時は南海の路線だった阪堺線の路面電車が、今池駅から分岐してずっと東の平野まで通っていた。地下鉄谷町線がほぼ同じルートで平野方面に行くようになるまで、この小さな路面電車で人を運んでいた。
モ205型というものらしい。平野線車両は一部は阪堺線・上町線に移されたらしいけれど、この型はすべて廃車になったそうで。
General Electricのマークが見えるマスコン。
イスまで木製、ひたすら質実剛健な車内。
車内に関三平氏のコラムが貼り出されていた。が、これモ205型のはずが、コラムはモ101型の話。モ101型は車体も木製だったらしい。
教習所に通った20代が懐かしい。子供用自転車や三輪車がフリーレンタル。お父さんが交通ルールを教えてやるといいかもしれないな。
駅側から一枚。
ふたたびたま電。
日前宮駅・日前神宮
日前神宮と國懸神宮がセットになった神社で、大鳥居を通ると丁字路で、右に國懸神宮、左に日前神宮と、どちらが格上という感じでもなく対象に並んでいる。
日前大神は天照大神の別名ともいうし、大和の東の出口である伊勢と、西の出口である紀の川下流のこことは同格だともいうし、こちらもご神体が鏡でこれは八咫鏡と同等のものだとか、大層な話が多数。
それで神社裏手に秋月城という城の跡があるらしい。
行ってみると、道の脇にちょっと張り出した小高い部分がある。これがそうらしい。
日前神宮にあまりにも近すぎる気がしたんだけど、そもそも日前神宮の神祇官が神社を守るために作った城らしい。
独立した城というより出丸みたいなもんだったのかな。
ここから西に少し行くと、太田城があった。
信長の紀州征伐では佐久間信盛の八万の軍勢を退け、秀吉の紀州征伐でも十倍の軍勢相手に奮闘し、力攻めを諦めさせて水攻めを受けることになったような、かなりの名城といっていい。
雑賀衆や根来衆に比べると太田衆はちと地味な感じはするけれど、よく戦った豪の者といえよう。
先に水攻めを伝える碑に遭遇した。
もともと太田城水攻めでの戦死者を祀る塚があって、昭和24年にこの碑が建ち、昭和60年に太田城本丸といわれるここに移された。
塚の字は徳川頼貞による。
来迎寺というお寺の境内に、この城址碑が立っている。
こちらの案内板によると、備中高松城・忍城と並ぶ日本三大水攻めのひとつという。日本三大ってよくあるけど、水攻めは初めて聞いた。けれどまあ、確かにそれくらいは言っていいか。
水攻めにより降伏した太田城は、特に指導的な者のみ処刑され、他の百姓は武装解除の上で帰農する処理をされた。程なく近隣の百姓全体に武装解除の処置がなされて、刀狩りの先駆だったんじゃないか、とも。
ここからは和歌山駅まで歩いて帰宅。
Q-S1の露出について
今回のカメラはいつものQ-S1だけど、なんか妙に露出の癖が強い。
やけに分割測光の中央重点度が高いというか、画面中央に明るい・暗いものがあるとモロに引っ張られて露出がブレる。
なんでだろう、K-70とかこんなんじゃないのに、と思ってたら、「測距点と露出の関連付け」がオンになっていた。
私は多点測距が嫌いだから、AF点は手動で使ってる(そして大抵はセンターのまま)から、常にセンターにある測距点に露出が引っ張られていた。
「測距点と露出の関連付け」設定は標準ではオフで、私が何か間違えてオンにしたようだ。