堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

津城を訪ねる

 世界一短い名前の都市たる、津へいってきた。

 しばらくできてなかった城巡りだ。

 

 

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 いきなりこんな写真なのだが、津市で通りかかった公園のトイレが、スペースシャトルだったり新幹線だったりと、謎の凝りようだった。多分まだ色々あるだろうと思う。

 

 さて、今回は津城が目当てなので、近い駅は近鉄津新町駅

 どうも地図で見る限り、津新町駅から津城を通り過ぎた先、津観音というお寺の周りに寺町が広がって、そのあたりが商業エリアのように見える。駅から遠いけど、もっぱら車で寄りやすいところが賑わってるタイプの街かな、と予想。
 まずは城へと歩いていく。

 

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 城の西側、二の丸っぽいところに市役所があったり、公園があったり。
 公園自体はよく整備されてはいるものの、別に城の石垣が残っていたりするものではなさそうに見えた。西側を見ると道路に対して少し土地が高くなっていて、道路は堀を埋め立てて通したのかな、と見えなくもなかった。

 どうも津は記念碑の好きな街っぽくて、やけにたくさんある。この公園だけでも3つ、それ以外にも神社やらお寺やらそこらじゅうに見られた。
 これは切支丹殉教記念碑。1638年に津藩の中島長兵衛という300石取りの武士が、禁教令を破ってキリスト教を信仰していたとバレた。法令に基づいて逆さ磔にして晒し、一日二度は下ろして水を飲ませて改宗を強いたけれども、7~8日過ぎても改宗することなくそのまま息絶えた。その後斬首されて晒し首にされたが、元の倍くらいに顔が膨れ上がっていたという。
 信教の自由を大事にせよという意図で平成17年に建立されたとのこと。

 他に、津市と上富良野町の友好都市提携記念碑、市政100周年記念碑が見られた。

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 なんだか妙に立派な時計塔もあった。三方に時計つけてるぜいたく仕様。

 

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 公園を東に渡ると、まだ残っている内堀と本丸石垣が見える。

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 もっぱら津城の主としてアピールされてるのは藤堂高虎なのだけど、それより前、1577年までに、織田信包が入って城郭・石垣を整備して五重の天守と小天守を建てたらしい。その時代の石垣かなあ。
 なかなか丁寧に積まれたきれいな打ち込み接ぎに見える。

 

 しかしいきなり城に行かず、南側の高山神社へ寄ってみた。タカヤマ神社かと思ったらコウザン神社だった。

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 外宮鳥居という形の鳥居。伊勢神宮に近いと、こっちタイプの形が多くなるのかなあ。

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 飛騨高山も関係あるとは思えず、海に近い平野部の平城である津城にあって、高山神社とは……?
 と思ったら、藤堂高虎法号が「寒松院殿前伊州羽林道賢高山権大僧都」だからそこから取ったと。

 

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 さて、城に入ると、なにやら赤い門がある。

 城門にしては華奢だけど……と思えば、1820年に十代藩主藤堂高兌が開いた藩校・有造館の講堂の門だったそう。入徳門と名付けられている。
 その後も、小中学校師範学校、幼稚園から図書館の正門として使い回され続け、戦災でも燃えることもなく、今に至るまで残ってる。

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 場内は日本庭園になっている。どうも写真に切り取るのが難しくていまいちショボく写ってしまったが。

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 でもって城址公園には欠かせない、城主の銅像

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 でもって、本丸北東側にあたる丑寅櫓が再建されている。

 津城は、関ケ原の前哨戦で、わずか1700で3万を相手に籠城戦を繰り広げたのだけど、そのときに織田信包が建てた天守は焼かれた。
 だから藤堂高虎が来た頃には天守がなかった……と思いきや、その籠城戦を戦った城主たる富田信高が再建してたらしいとも。それから藤堂高虎が来て、息子の藤堂高次時代に火災で失われるまでは天守があったらしい。

 現地案内板では、この丑寅櫓は「他城では天守に相当する高い格式を備えていた」とある。

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 ゆーても、やっぱり櫓は櫓だし、天守と比べるとだいぶ小さいなあ。

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 外からは、高虎の句碑と重ねて丑寅櫓を見られる。

 

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 で、津観音まで足を伸ばしてみたのだけど。

 どうもその、途中にあった津センターパレスというショッピングセンターっぽいやつが、入居してた食品スーパーがすでに撤退、ドラッグストアももう閉店が決まってる、という状態で……
 近くの商店街も、通った場所が間違ってたのか、開いてる店のほうが少ない。

 心配になりつつ、観音寺に到着。

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 境内はすっきりした感じで、本堂とか門とか五重塔とか、それ自体は立派なのが、広々と隙間を開けて建てられている。

 それから、「なむあみだ仏っ!」とコラボしてる旨の看板があったのだが、あのゲームはお寺から見てOKなんやという驚きと、特にそれっぽい女性ファンは見えないなあという不安と。

 津市の石碑好きはここでも発揮されていて、小津安二郎記念碑(小津の祖母が津観音近くで商売をしていて小津もよく来ていた)、清雲院於奈津の方顕彰碑(津出身の家康の側室で、女傑といわれた)が建っていた。

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 観音様も大きく作られていた。

 

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 で、すぐ近くにこういう商店街があった。
 中はほとんどスナックとかクラブばかりになっていた。写真から見えるのがメインストリートで、さらに両側に裏通りもある。昭和の頃には栄えていたんだろうと思う。
 けれども、今は多分夜になってもシャッターが上がらない店が多いんだろうな……という感じで。
 写真右手にフィリピンパブの残骸っぽいのが写ってるのだけど、フィリピンパブが流行ったのが結構前だし、それから入れ替わってもいないんだろうし。

 近くにはかなり大きな立体駐車場があったりもして、昔は賑わっていたんだろうけど、今は……

 もうこの国は、津あたりの地方都市でさえ支えられなくなっていくほどシュリンクしてるんだなあ。

 

 さて、ここからどうしようかと思ったが、バス探して待って乗らなくても、津駅まで歩いていくことにした。

 

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 津駅に戻る途中、何やら森が見えたので行ってみると、四天王寺という古刹があった。
 推古天皇の勅願で聖徳太子が建立した、といい、織田信包藤堂高虎に支えられてきたそう。

 この山門は、1646年から残る数少ない建物だそう。

 

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 お堂は最近のものっぽかったけど、なんかこんな渋い……なんだろう、鐘楼かなんかだろうか。

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 それから、平景清が鎧をかけたという松があったらしい。
 この碑の前の木はどう見ても松ではなくて桜だけれども。まあ景清の時代の松は今までは残らんか。

 芭蕉の文塚やら、信長の母親の墓(本能寺の変の後、信包を頼って津に来て亡くなった)やら、色々あるお寺だった。

 

 それからさらに歩いて津駅へ。
 駅について10分後に大阪行きの特急が来たので、さっさと乗り込んだ。