堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

芥川山城・高槻城

 天気もいいし暖かいし、休みを作ってお出かけ。
 最近城めぐりもあんまりできてなかったってことで、芥川山城にいってくることにした。

 芥川城、という城が、同じ高槻市にふたつある。古文書でさえ混同されているくらいらしいが、ひとつは平地の西国街道沿いにあり、もうひとつは今回登った山の上。
 信長が摂津に来る頃だったら山の方が芥川城で通っていたと思うんだけど、ともあれ区別のために山をつけて芥川山城と呼ばれている。

 芥川に添った渓谷が摂津峡という景勝地で、できればそっちも見たかったし、現地の案内板では「芥川城を見てから摂津峡に抜けて戻ってくる」という順路が取れそうだったんだけど、結局道がわからなかった。

 

 まずJRで高槻駅まで行って、それからバスに乗って塚脇というバス停へ。バスは摂津峡行きとわかる表示がされていた。

 

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 さて、バス停にあった城の縄張り図。

 私が通ったルートは、まず右の方の「亀山方面へ抜ける間道」から上がっていって、堅土塁と書かれている曲輪から入って主郭御殿まで行き、大手石垣のあるすぐ傍らの道(これが大手道)から下っていった。

 最初は間道だけあって、特に何もない感じの山道を長々と登っていて、いつの間にか城に入ってた感じだったんだけど、改めて見返すと相当広大な縄張りだったな、と思える。

 

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 摂津峡方面とは少し外れ、信号で右折。集落に入ったところで「三好山登山道」と書かれている看板があるので、そちらへ上がっていく。
 妙力寺というお寺(古墳がある)とか、老人ホームとかの脇を抜けていくと、こんな分かれ道がある。

 左手から行った先で、芥川城の大手通から登っていくことができるのだが、大手通は道が悪かった。
 右手から上がる間道は、かなり登りやすい道だ。

 

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 砂利が敷かれて、整備されている。
 城跡を含めて、三好山全体が私有地だそうで、なんか林業かなにかやってる気配もある。おかげで、道沿いにはイノシシよけの柵が張られているので、わりと安全。

 途中で、帯仕山へと通じる分かれ道があった。そちらにも付城があったようだ。

 

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 十分ほど登ると、特に何とも書かれていないのだけど、石垣があった。
 まあ石垣って別に当時モノじゃないこともよくあるんだけど、なんというか石がバラバラで整っていないから、古いものにも見える。
 これは城の東側の曲輪群あたりで見かけたものだけど、うぃきぺによれば、そのあたりの石垣は廃城された後の江戸時代に作られたものとか。

 また、曲輪の一部が墓地に利用されていた。
 きっちり切られた墓石もあれば、自然石を立てただけみたいなのもあり。自然石のものには「延享」「享保」といった年号が見え、江戸時代から使っていたようだ。300年くらい前のだな。
 きれいに切ってあるのは多分新しいと思うが、いつのかはわからなかった。いずれもかなり小さなもので、あまり権力者とか富豪のものという感じはしなかった。
 曲輪を石垣で固めたのはこのためのだろうか。
 特に周囲にお寺などは見えないが、昔はあったのだろうか。ちなみに写真でわかる限り、南無阿弥陀仏とあったり、釈○○という法名だったりで、真宗のもの。来る時に見かけた妙力寺は法華だった。

 

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 東曲輪群には、竪土塁がある。芥川城では(残っているのは?)ここだけらしい。
(もっと広角のレンズつけているべきだった)

 

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 それから堀切を渡す形で土橋がついている。
 この堀切を境にして、東曲輪群から中央曲輪群へと渡る。

 しかしどうも、中央曲輪あたりでは特に写真を撮っていない。城っぽいものはあまり見えず、道もちょっと悪かった覚えが。

 

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 史跡城山城跡、というよくわからない碑が立っていた。昭和43年に高槻市教育委員会が設置したようだ。

 左の黄色い案内に「大手道」とある。大手道は西曲輪群と中央曲輪郡の間あたりに登ってくるので、この先が本丸のあった西曲輪群だ。
 この黄色いテープで示した道標は、かなり詳しくそこらじゅうにある。タイムリーに更新もしてくれているようで、道が危ないところにはそう書いてあるし、「ナラ枯れ頭上注意」なんてのもあった。ありがたい。

 この近くに、頂上まですぐだという看板もあった。頂上がつまり主郭の跡になる。

 

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 頂上や一段下の曲輪跡あたりからは、かなり見晴らしがいい。高槻の街を一望できる。
 こちら方向以外はぐるっと芥川の流れる急な渓谷へと落ち込んでいる(そこが摂津峡)ので、なかなか攻め込むのも難しそうな地形だ。

 何度か落城している城ではあるけれど、三好長逸が信長に攻められた時以外は大体兵糧攻めによるもので、実際堅固だったようだ。

 

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 頂上のお社は、三好長慶を祀っているものらしい。
 飯盛山城には三好長慶じゃなく楠木正行の像があったのだが、やはり長慶といえば芥川城だろうか。

 三好長慶、一時は天下を取ったといっていい人なのに今ひとつ扱いが悪いように思えるが、実のところ私もやっぱり戦国時代観が信長・秀吉中心主義的に把握しちゃってるもんで、三好長慶の足跡はちょっと理解が弱いな。学ぼう。
 最後が悲惨なせいで、あまり簡単に英雄視しづらいところがあって、不人気はそのせいかもしれないなあ。

 

 主郭はそれなりに広々としている。
 また、古い時代の山城は戦闘用のものが多く、主郭といっても倉庫程度のものしかないのが多いが、芥川城は早くから生活できるくらいの御殿を建てていた。

 

 本丸の西側にも道があったが、土塁の上を歩くような地形になっていた。地面が粘土質で急坂もあり、また足を滑らせたら崖から転落するような狭いところで、少々危ない。
 黄色い案内にも「左スベる」と書いてくれていたし、私も気をつけて立ち木を掴んでいた時にずるっといってヒヤヒヤした。
 特に何というほどのものがあるところではないので、ただの観光客は無理に行かないほうがいいかも。

 

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 主郭から一段降りて、西側に「田の丸」というところがある。

 確かに曲輪っぽいのだけど、植林されてるみたいで、見ての通りの木だらけ。
 後で知ったところでは二重の堀切があったらしいのだけど、気付かなかったな。

 田の丸は行き止まりでそれ以上は行けないので、戻って、大手道から下山してみることにした。

 

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 下りはじめてすぐ、というかさっき立っていたところを守るように、石垣があった。

 豊臣時代になると山城にも石垣ができるけれど、芥川城の頃だと珍しい。
 同じ三好長慶の城だった飯盛山城にも石垣があるから、先進的に石垣をつけたのかもしれない。(そういえば長慶の家臣には松永久秀がいて、久秀が作った信貴山城や多聞山城には石垣があったらしいが)
 しかし高山右近が後から付けたんじゃないかという説もある。

 

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 登ってきた間道の方はよく整備されていたんだけど、この大手道がかなりハードだった。

 この池のようなのは、使用中というくらいだから、何らかの水源なのだろうか。
 このあたりから水がどんどん道に流れ込んじゃっていて、道だか沢だかわからんような状態。水流にえぐり取られて深いところもあれば、浅けりゃ浅いでぬかるみになっている。

 イノシシよけの柵が道沿いにずっと続いていたから迷いはしなかったんだけれど、本当に通っていいのかの不安はずっと。

 

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 出入り口、といいつつ柵で塞がれていて何かと思ったが、開くようになっていた。ロープで括って閉めてあっただけで、鍵などはかかっていない。
 ここから麓の城山集落へ続いているから、イノシシが突破して里に下りてしまうと不味いから、開けたら閉めるようにと注意書き多数。

 

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 下りてくると、こんな石垣があった。
 まあこれは特に城のものではなさそうだ。

 

 さて、これで芥川山城はおしまい。

 せっかくだから摂津峡を覗いてみたくはあるんだけども、山登って下りてまた登るのが体力的に辛いので、まあまたの機会に。

 

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 バスでJR高槻駅まで戻り、せっかくだから高槻城へも。はじめてじゃないけれど。
 かなり駅チカの城なので、さして苦にならない。

 とりあえずしろあと歴史館を見学。(はじめてじゃないのでさらっと。芥川山城や高槻城高山右近、くらわんか船、芥川宿など高槻関係のネタを手広くやっている)。

 しろあと歴史館の裏に中学校があり、さらにその向こうが城址公園。

 「AR高槻城」というスマホアプリが配布されていて、それを使うと在りし頃の高槻城の姿をARで見られたようだ。もし行くなら事前ダウンロードしておきたい。現地でセルラー回線から落とすのはちょっと大きそう(警告出たから私はやめておいた)。

play.google.com

 

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 城址公園には、高槻市立歴史民俗資料館として、江戸時代の商家の建物が移築されている。土間の広い商家らしい作りのやつ。

 

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 高山右近像。

 よく見ると刀じゃなくて、磔刑にされるイエスの像を持っている。

ameblo.jp

 こちらに調べた方の話があった。

 

 しかし城址公園のどのあたりが本丸だったとか、そういう掲示板とかが上手く見つけられなかったな。探した場所が悪かったか? あるいは城址公園じゃなくて中学校が本丸か?