堺風の頭部

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泉佐野再確認(4) ちぬうみ創生神楽

 ちぬうみ創生神楽、というのがあると聞いた。

 何年か前からやってるそうだけど、まあ何年か前は東京や奈良にいたので経過を知らない。今年初めて知った。
 10月29日にやる予定だったんだけど、その日は台風22号が来ていて神楽どころじゃなく中止になって、12月3日に、場所も変えて開催されることになった。
 当初予定は泉佐野丘陵緑地だったが、さすがにあそこに夕方5時に集まれというのは厳しいものがあると思ったのか、今回はりんくうタウン駅高架のショッピングモール・りんくうパピリオにある「星の広場」というステージになった。

 

 創生神楽ってなんだろうなと思ったんだけど、まあ、創生というくらいだから、地元伝統のものというわけではない。
 チラシによると「ちぬうみ創生神楽とは泉佐野地域に伝わる神話・民話・伝承を掘り起こし、独自の舞として考案したものです。」とある。

 泉佐野市に伝統的な神楽舞があるのかどうかは、私には今ちょっとわからない。日根神社みたいなかなり由緒ある神社もあるくらいだし、何かあるのかもしれないが。
 ない、あるいは失われてしまったから、新たに作って復興しよう、というような話であればまあ、古式の資料をできるだけ踏まえた上でやってみるのも面白い試みかもしれない。

 

 創生神楽の宗家という人物が、表博耀氏。ちぬうみ創生神楽のし掛け人も当然この方なんだろう。

 「ネオ・ジャパネスク(温故知創)」と題した独自の日本的世界観を表現する舞台や芸術作品店などの事業を各国で展開、とのこと。
 「新日本様式ブランド推進懇談会」という経済産業省の事業の発起人でもあるらしい。Wikipediaに記事があった。
 ネオ・ジャパネスクのサイトでは、2010年に観光庁の「エンタメ観光マイスター」第一号に任命されたとある。ただ、スポーツ観光マイスターはたくさん出るんだけど、エンタメというのは表氏以外に見当たらない。後が続かなかった制度だろうか。

 元々美容師さんらしい。90年代から世界各地でネオ・ジャパネスクな芸術活動を展開して、国際文化交流に携わってきた、というような話。あまり詳しいことはわからなかったけれど。

 

 ちぬうみ創生神楽の主催者は、一般社団法人泉佐野シティプロモーション推進協議会
 また、泉佐野市の「ちぬうみ」の他に、淡路市でもやっているらしくて、それをフックにして泉佐野と淡路の交流も始めた、とのこと。

 

 さて、ちぬうみ創生神楽本編に。

 前フリとして、先の泉佐野シティプロモーション推進協議会の会長さんと千代松泉佐野市長の挨拶。
 それから紹介だけだったけど松浪武久府議が来ていて、挨拶が届いていたのが自民党谷川とむ議員。(丸山穂高議員はなかった)

 

 第一段は「ちぬうみ海流之章」。
 最初にその段のあらすじ的な解説があってから、短歌を詠んで、舞に入る。

 南泉州の海を「茅渟の海」というが、これは神武東征に由来がある。
 神武東征の際、生駒を東に進軍して大和に入ろうとするが、長髄彦の軍勢に敗退。神日本磐余彦尊(後の神武天皇)の兄・五瀬命が矢を受けてしまう。
 その矢傷を洗ったところが、血で濡れてしまったことから「茅渟の海」という名がついた。

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 長い柄に四本の赤い布を垂らした纏を持った黒子さんがふたりで、茅渟の海を表現したらしい舞。

 

 第二弾は「美と健康敬愛成就之章」。
 ここでは、衣通姫伝説を題材に取る。

 前に茅渟宮跡に行ったときに書いたが、あらためてざっくりいうと、衣通姫允恭天皇の皇后・忍坂大中姫の妹にあたる。
 なにしろ絶世の美人だったそうで、允恭天皇が正妻ほったらかして衣通姫のところにばっかり通いつめてブチキレられ、何度もモメた末に、都(当時は藤原宮)から山を隔てた遠くの和泉・茅渟の地に別邸を作って遠ざけられた。

 これは悲恋物語か、美しすぎるゆえの悲劇か、そういう類のものだと思うんだけれど、この段の舞は、健康・美貌・恋愛成就の神徳を授かるものであるらしい。美しくなって恋愛が成就して、それからどうなってしまうんだろう……

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 美女のテーマだけあって、舞は華やか。

 

 第三段は、「事業開拓成就之章」。
 もうちょっと古く雅な言葉遣いで章題付けたほうがいい気がしなくもないけれど。

 特に時代順にやるわけでもないらしく、19代允恭天皇の時代から遡って、また神武東征に戻る。

 日根神社の伝承によれば、泉佐野日根野あたりが神日本磐余彦尊が大和へ攻めこむために拠点を置いた地であり、「日の御子が根拠地にした平野」で日根野になった、という。
 ここから南に大きく迂回、熊野経由で大和に攻め入ろうということになり、その後も苦戦に苦戦を重ねることになる。
 ちょっと「事業開拓成就」というには早い気がするが、まあ最終的には大和を平定できるんだから、いいんだろうか。

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 神日本磐余彦尊が、幟を持った二人の兵を引き連れ、矛をもって戦う舞から、苦戦を憂いて天照大神八咫烏を遣わして宝剣を授け、それを受け取って刀の舞。

 

 第四段は「長寿と知恵と孝行成就之章」。

 これは泉佐野にある蟻通神社にちなむ話。
 「枕草子」にあるエピソードで、唐の皇帝が倭を征服すべく、帝に三つの難題をふっかけてきた。そのひとつが「七曲りの小さな玉に糸を通せ」というものだった。
 もちろん押し込んでも通らない。中将某が親に相談してみると、「蟻に糸を結んで、玉の片側に蜜を塗って反対側から蟻を入れればよい」とアイディアをくれて、見事解決した。
 当時、都は姥捨てをすることになっていて、四十歳を過ぎた老人は追い出されるか殺されることになっていたが、これで老人の知恵を大切にすべしと、中将某の親が都に住むことを許された。

 そういうわけで、長寿、知恵、孝行の物語となっている。

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 蟻は、スクリーンの裏から影絵で通る姿を表現されていた。
 中将と老父の他に、糸を結び付けられる蟻をやる子供もいた。真っ黒な全身タイツみたいなやつに触覚が生えたかわいい格好。

 

 最後の第五段は「ちぬうみ之唄」として、唄入りの舞を待ってから登場人物勢揃いで締めの挨拶、という流れ。

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 ここまでは仮面をつけての舞だったから、泉佐野ローカルだし、顔のわかりにくい写真を選んだのだけど、この舞は全員仮面がない。こんなわかりにくい写真になってしまったが、5人での舞だった。

 

 思っていたより観客も多くて、お年寄りが多いけれど多少は若い人もいた。
 ハッシュタグを付けてツイッターにつぶやいたら、泉佐野の地元商店で使える共通ポイント「さのぽ」を50ポイントもらえるキャンペーンなんてハイカラなこともしていた。

 

 まあ、衣通姫を恋愛成就といっちゃうのは無理ないかなあ、とか、もうちょっと言葉の選択に重みがほしいなあ、とか、思うところはないでもないけれど、時代を重ねれば深みもでてくるだろうか。