平日の昼から、ちょっとdocomoショップに用事があって出かけて、一時間ぐらいで済ませ、まだ日が高い。
まあイオンモールにあるところだから、別になんなり用事があるフリをすることもできるが、ちょっと行ったことのないあたりに行ってみることとした。
砂川奇勝
でまあ、阪和鉄道と南海電鉄の戦いの歴史を紐解いて……とか思ったのだけど。
ちょうど最近、詳しく調べてる方があった。
こんな良記事があったら、行って写真撮ってきただけの私には書くことないではないか。
あいにく宅地開発されまくってしまい、かつての天下の奇勝ももうわずかにしか残っていない。
とりあえず、写真で見ていこう。
と、このように白い地面に松が生えた、砂岩の丘陵。
今でも断崖の痕跡が残っているが、断崖の上まで宅地化してるなあ。
砂浜の砂ともまた違う、白い乾いた砂。見るからに脆そうで、実際に水が流れて溝ができ、溝ができるからそこに水が集中して流れてさらに深くなる、というような動きが見て取れる砂岩の丘。
どう見ても豊かな土壌ではなくて、育つ植物も限られるみたい。
秋咲きの花もほとんど見られず、萩っぽいのが所々に咲いている程度。
笹みたいなのが顔を出しかけている。
ちなみにGoogle mapsで3D地図を出せば、結構それっぽく地形が見えて面白い。断崖がはっきり見える。
確かになかなか他所では見られるところは少なそうな景色だけど、ほんとうにちょっとしか残ってない、すぐ向こうに民家が見えてしまうスケール感が寂しい。
まあ、高度成長期までは、こんな泉州の外れでしかも駅から遠い山手の方に戸建てを多数並べても需要があったんだろうけど、今となってはどうだろう。ほんの数十年の間しか保たない住宅需要のために、天下の奇勝を破壊し尽くしたのは、よかったのかどうか。
まあ、戦後に壊し始めた頃には、別の未来を見ていたんだろうけれど。
長慶寺
あじさいで有名なお寺。今シーズン違うけど。
聖武天皇の勅願寺で、行基の開基。古い。
近くに「海会寺跡」という国指定史跡があるのだけど、長慶寺もその一部として開かれ、一帯に大伽藍を形成していた、とのこと。
駐車場から上がっていくと、最初に開山堂が見える。開基は行基ということになっている。
建物自体はどれも新しめ。江戸時代は岸和田藩の保護があったらしいけど、明治になってからかなり衰退したらしい。それから盛り返してあれこれ建てたようだ。
塔がふたつも立っていた。
先のは三宝塔だけど、もうひとつはなんだろう、六段あるように見えるが……
本堂に手を合わせて。
「南海沿線七福神」というのがたまにアピールされているけれど、南海から来るのはかなり大変そうだ。強いていえば岡田浦駅が最寄りではあるが……