堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

読書記「リア充になれない俺は革命家の同志になりました」

 「とある魔術の禁書目録」しか読まなくなって久しいラノベだったが、こんなタイトルの作品が出ていたと今更知って、さっそく買って読んだのだった。 

 しっかし、2巻が出て半年以上過ぎて、もう打ち切られてしまってから気付くとは、まったく惜しいことをしたものだ。

リア充になれない俺は革命家の同志になりました2 (講談社ラノベ文庫)

リア充になれない俺は革命家の同志になりました2 (講談社ラノベ文庫)

 

 

 正直読む前には、まあこんなタイトルでも、内容は若い子が読んでわかるようなレベルに抑えてるだろう、と思っていた。
 しかしちょっと読み進めたら、実名で「腹腹時計」を出してくる、まったく遠慮ないろくでもなさを発揮し、態度を改めた。
 全編通して、左翼ネタの遠慮のなさに関しては、実によく期待に答えてくれたように思う。

 

 内容は、スクールカーストものであった。

 上位のリア充どもの生活は下層民からの搾取によって成り立っている、と、スクールカーストマルクスのいうブルジョア(資本家)とプロレタリア(労働者)の階級闘争論に落とし込んで、リア充階級打倒のプロレタリア革命運動を……という妄想を抱いた共産主義大好きなヒロインがあれこれするのに主人公が巻き込まれる話。

 美少女の口からポンポン飛び出す極左用語。マルクスゲバラ、レーニンから連合赤軍まで。
 「スターリニスト」は、ヒロインの黒羽瑞穂にとっては罵倒用語らしいので、すると新左翼系列だろうか。幸い、口調が革マル派だったりはしないが。
 発射された極左用語は、ちゃんと説明が加えられている……ことが多いけど、たまに説明してないこともあり、それなりに共産主義好きでないと拾いきれないだろうと思う。
 そしてその説明が、主人公からのツッコミでもってなされることが多々あるもんで、そんなネタ拾えてる主人公もよっぽどだぞ、と思わされる。
 ヒロインも実に酷いが、相当おかしな主人公でもあるのだ。

 ラブコメでは、主人公が肝心なところで耳が遠くなるとか、健忘症を起こして肝心なことを忘れるといったことがよくある。
 しかし今作の主人公白根与一は、肝心なところでヒロインが放った渾身の極左メッセージをピンポイントで取りこぼす、という、ラブコメ史上類例のない病気を起こす。
 こんな奴が○○のあの有名なセリフをスルーしてしまうわけないだろとか、こんな奴があの基本中の基本である○○を知らないわけないだろとか、実にいいシーンで、空前絶後のズッコケをさせてくれる。
 おかげで、良質なコメディである一面も持つ。

 

 では革命小説としてはどうなのか。
 これは、いささか上手くない。

  資本主義社会における階級と、スクールカーストを同じように扱うのは無理がある。
 共産主義革命なら、資本家を打倒しての生産手段の公有化という目指すべきゴールがあるけれど、反スクールカースト革命なんてゴールの定めようがない。
 空気や暗黙の合意で成立するスクールカーストは、たとえ上位者を倒したところで粉砕できる性質のものではないだろう。

 黒羽瑞穂は革命家を自称して、リア充を、生徒会を、教師をターゲットにハンストに暴動の扇動にとガンガンやるタイプであるから、傍目に愉快ではあるけど、革命の末に成し遂げたいものがよく見えない。
 だから、一個人や一部活レベルの問題に介入して解決を図ることはできても、最終目標として掲げているはずのスクールカースト革命については、実現に歩を進めていっているように見えない。
 そんなところが現代左翼みたいで寂しいなあ。ある意味、リアリズムかもしれない。

 

 しかし黒羽瑞穂は、目指す革命の到達点が見えないという革命家としての大きな難点があるものの、魅力的ヒロインなのは疑いない。
 本書の記述から察するに、彼女が目指す革命家像はチェ・ゲバラだろう。セリフを引用することも多いし、また行動面においても、チェを世界一格好いい男たらしめる高潔さ、彼女もそれに似たものを持っている。
 時に、高潔な美しい革命家の姿を見せるヒロインなのは確かだ。

 まあ現実にいたら頭おかしい上にめんどくさいのだけど、そんな無意味な仮定は超克して、かっこいいヒロインだとしよう。

 日本は昔から共産主義者を嫌う国で、戦前から弾圧していたし、戦後もアメリカの指導によって反共陣営の一員を続けてきた。
 ここ10年くらいにネットで吹き上がっているのも、やっぱり元々左翼・共産主義者が嫌いだという気風が下地にあるから、風を吹き込めば炎上しやすいためだろう。
 右翼だ保守だ愛国者だ、という人の話が、単に左翼を嫌う言動だけで構成されてることがよくあるものだ。

 ついでにいえば女性蔑視も根強いこの日本に、若い人たちに向けて、「格好いい極左革命家ヒロイン」という存在を、コメディタッチで受け入れやすく投じた、という点に、この作品の意義がある。
 黒羽瑞穂はいいキャラじゃないか。なら、左翼思想・共産主義もそんなに悪いものではないのでは。
 そう考え、左翼への偏見を打ち消す青少年が現れるなら、この「リア充になれない俺は革命家の同志になりました」は、深い社会的意義のある作品だと言えよう。

 正しいか間違っているか、正義か不正義か、という意味では、左翼が正しく正義であることを言ってることは多い。
 しかしそれが受け入れられない、なんとなく左翼が嫌いな雰囲気がある。それを打ち破ることこそ、これからの左翼が生きる道の第一歩ではないだろうか。
 そしてその一歩は、この小説なのだ。

 この社会的効果を狙ってやっているなら、作者の仙波ユウスケ氏、いや同志仙波は、なかなかの謀略家といえるだろう。

 

 

  ……という与太はさておいて、検索していたらいいblogがヒットした。

b-sekidate.hatenablog.jp

 この「リア充になれない俺は~~」以外の作品についても、実によく読み込んで、また教養の裏付けも感じられる、面白い評論をしているblogで、久しぶりに良いサイト見つけたなと。