堺風の頭部

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『宇宙に「終わり」はあるのか』読書記

 表題の本を読んだのだけど、これは面白かった。

 Twitterでフォローしてる「宇宙物理たんbot」が猛烈にプッシュしていて、何事かと思って買ってみた一冊だけれど、なるほど。

 

 以下、一応ネタバレを避けて書くつもり。

 

 私は理系の学はないし、正直天文学とか宇宙は子供の頃から苦手だった。

 天才バカボンの歌に騙されて、太陽が西から登って東に沈むもんだと勘違いしたままテストに回答してボロボロになって、あれが小学校で取った一番悪い点だったという思い出がある。

 いつもうつむいてる子だったからな。空の話は好きでなかった。下向かないで前見てたのってパソコンの前座ってるときだけだったよ。*1

 おかげで、ちょっと油断すると目が滑っていて、あれっと思ってページを戻したりしながら、読むのに時間がかかった。

 しかしそれでも、なかなかないくらい面白かった。

 

 それでこの本は、「終わりはあるのか」というタイトルだけれど、ビッグバン以前から、今を経て、ビッグウィンパーと呼ばれる宇宙の終わりまで時間を辿っていく。

 疑問形のタイトルなんだけれど、終わりまで書いてるんだからそれが終わりなのだろう。(最後に残るものがあるから、それさえ無くなるさらなる「終わり」があるのかもしれんが)

 

 これを読む前の、私の大雑把な宇宙観だと、宇宙の終わりというのは、みんなブラックホールに飲み込まれて終わるのかな、という程度の認識だった。

 ブラックホールがどんどん膨らんで、輝く恒星も、生命があるかもしれないような惑星も、何もかもどんどん飲み込まれていくような姿を想像していた。

 星が生まれる、という現象も、過去にたくさん起きて今の星々があるように、これから後にも同じように果てしなく生まれ続けるのかと思っていた。死んだ星はまた別の星の材料になって、集まって固まって燃え始めるのかなって。

 でも星が死ぬ時にブラックホールが残る場合がある、そうなっちゃった分の物質は他の星の材料にはならずに減る。ブラックホールに飲み込まれた星の分も減る。ブラックホール同士が合体するのも、重力波が観測されたときに知った。そしてやがて全てはブラックホールになって終わる。

 

 しかし、そういうことではなかった。

 銀河ひとつに関していうなら、一部の星が銀河から放り出されつつ、残ったものはすべてブラックホールに飲まれる、というのは大体合ってるらしい。ただ、今夜空に見てるような星々がどんどん飲み込まれるような、賑やかな終わり方のものではないと。

 本では、正しい銀河の終わりまで、いろいろなことが的確に説明されつつ時間を辿っていく。

 総じて、ただただ静かに、暗く、寂しくなっていく。

 何から順に消えていくのかについても、先述の通り、私はかなり勘違いしていたが、丁寧に説明される。煌く星がどんどん飲まれる、というのは順番が大間違いだ。

 

 我々より一千億年後、そんな遅いタイミングで生まれてしまった知的生命体が見る宇宙と、彼らが見られない宇宙についての話があって、そこで終わりゆく宇宙の寂しさを突きつけられる。

 ここのところは、擬人化というか、人間並みの存在を仮定してることで、その時点での宇宙の有様がリアルに伝わってしまう。それも、確率は厳しいながらも有機化合物から生命が生まれる可能性がありそうな最後のタイミング、というところで差し込まれる。

 そこからは、さらにタイムスケールを伸ばしながら、ただただ寂しくなっていく。何もかもがなくなっていく。

 

 最後には、T.S.エリオットの「虚ろな人間たち」に詠まれた、

This is the way the world ends
This is the way the world ends
This is the way the world ends
Not with a bang but a whimper.

 ビッグウィンパーという終わりを迎える。

 宇宙の最後が、暗く静かで寂しいものだろう、というのは想像していたけれど、科学的に論理的に具体的に、時間通りに語られた末にたどり着いたときの、爽快感というのもちょっと違う、寂寥感とも違う、ぞっとするような虚無に触れてしまった感覚。

 ちょっとないような読後感だった。

 

 そういえば、ホーキング放射については、私でも少し知ってはいた。ブラックホールがただ吸い込むだけじゃなくて、わずかにエネルギーを外に出している、って話。

 言われてみれば、それならブラックホールにも寿命があって、エネルギーを使い果たして消滅するんだ、というのはわかる話だった。ただ、あまりにも時間スケールが大きすぎて想像できてなかった。

 断片的に知ってるような理論や、全然理解していない理論でも、その理論によってこういうことがわかる、という形で紹介されて説明されるから、伝わる。

 多分だけれど、説明すべきことを説明すべきところで、必要十分に説明する、というのが的確なんだと思う。

 

 本のタイトルも「終わり」とあるし、私もここまで終わりの方の話ばかり書いていたけど、始まりについても、ビッグバン以前から語られている。

 ただまあ、ビッグバンについても限られた手がかりしかないし、それ以前はもう理論で考える以上にはわからないらしい。だから、話も難しくてよくわからないところが多い。

 ビッグバンが起きて、クォークができて原子ができて……となっていくと、まだしも話がつかめてくる感じ。私は原子ができはじめてからは、ある程度話が見えてきたつもり。

 過去にも未来にも、現在から遠ざかるほうが、当然わからないことが増えて話が難しくなる。この本は時系列順の話だから、最初が難しくなってる構成ではあるかな。私と同じ、ちゃんとした理系でない人は、最初だけは少し頑張ろう。

 もちろん、過去編がずっと難しすぎて辛いなんてことでもなく、「宇宙の晴れ上がり」の説明なんて、聞いたら、ああそういうことをいってたのか、とクリアになった。

 

 「宇宙ヤバイ」のコピペも随分古いものだけど、本当にやばいのがこの本でわかる。

 というかコピペ以上にやばくて、「億年とか平気で出てくる」ところか、阿僧祇年なんて印刷されてるの初めて見たし、その後は無量大数でも足りなくなっていた。無量大数なんて小学生しか言わねえよ。

 

*1:私が小学生の頃からもうタッチタイピングできる子だった、という自慢である