堺風の頭部

徘徊、カメラ、PC、その他。

PHS/ガラケーとわたし

特別お題「おもいでのケータイ」

 なにかPRお題が出ていたので開いてみたが、KDDIのキャンペーンだった。あいにく私は高校生の頃に初めてPHSを持って以来、NTTパーソナルからdocomoだ。

 しかしまあ、auに恨みや悪感情もないので、そのまま一筆してしまおう。不躾にもdocomo端末の話しかしない失敬さは、キャンペーンの流布に協力することで帳消しとしてもらいたい。

 

PHSの昔は忘れちまった

 さて、じゃあ初めて持たされたPHSから思い出してみよう……とするものの、はて、何を持ったのだったか。NECの端末だったのは覚えているが、機種名……

 いかんせん、今更90年代のPHS端末の情報をネットで調べるのはめんどくさい。どんな形だったかの記憶すら怪しい。興味がなかったんだろう。

 親戚にNTT関係者がいるもので、その営業ノルマの都合で持たされただけだったしなあ。

 

 そもそも正直、今でも電話好きじゃない。他人を突然、けたたましい音で呼びつける、というのも随分不躾に思うから、できるだけ掛けたくない。

 掛かってくる方も大いに苦手。過去に仕事でかかってきた電話が、クソみたいなクレーマーだったとか、四六時中あれこれ電話越しにいわれて生活リズムもめちゃくちゃになってたとか、悪い記憶ばかりだ。私が悪いことを忘れられないせいかもしれないが。

 と、KDDIのキャンペーンで電話を否定するという暴挙。

 

パルディオ642S・641P-II

 ただ、周囲がアナログ携帯に切り替えていく中、私はPHSを引っ張った。

 アナログ携帯は人が多いと音質が悪化したから、田舎から都心に近づくにつれて、聞き取りづらい → ノイズしか聞こえない → ノイズすら雑踏に紛れて認識できない、と、さっぱりダメだった。

 電話変わってといわれて受け取って、何も聞こえない、「切れちゃってる」と返したら友人が耳に当てて「ちゃんとつながってるよ」といわれたりして、これは私の耳か脳が悪かったのだろうか。

 こちらがPHSなら、音質がずっとましになって、ちゃんと聞こえた。それでまわりみんなアナログ携帯なんか使うなら、私はPHS維持するしかなかった。

 

 ある時、親戚の営業ノルマの都合で機種変したSHARPの端末、折りたたみだったからパルディオ642Sだと思うけど、これは良かった。

 PHSって端末各社、あんまりやる気ない感じであんまり楽しい機種はなかったんだけど、SHARPだけは、カラーディスプレイありブラウザあり、着メロの端末打ち込みもできた。

 携帯でできるようなことを、PHSでも普通にやらせてくれたのがSHARPの端末だけだった。おかげで、642Sの頃だけは、世間並みに電話機で遊べた。

 

 それが再び営業ノルマの都合で641P-IIに機種変することになったら、これがまた、画面しょぼいわ低機能だわインターフェースは異様だわ、機能があっても使えない。また触る気を失ってしまった。

 なんかLUMIXもDIGAもガラケーも、Panasonicの電子機器使うと大体インターフェース最悪だと思うんだけど、あのセンスどこからくるんだろう。

 

Fomamovaはオレが置いてきた」

SH700iS

 docomoが「個人向けのPHSから撤退したいからもうFomaに乗り換えてください、継続割引は引き継ぎますんで」とお願いしてきた。そういうことならSHARPの端末をくださいといったら、SH700iSが出てきた。

 

 2006年にして、「これがカメラ付きケータイかー」と喜ぶ、周回遅れの生き様であった。しかも数枚撮影して、画質も良くないしPCに転送するのがめんどくさいことがわかって、ほとんど使わず。

 ただ、さすがはSHARPで、ちょっと気の利いたこともできた。miniSDカードにテキストファイルを入れて読み込めたから、当時好きだったラノベ作家の岡崎裕信が、本にならない作品を公開してたのを転送して読んでたな。

 動画を見たりもできたから、テレビを録画したtrue tearsをあれこれ変換してどうにか再生できるようにして、急行きたぐにの車内で見ながら富山に行ったりもした。

 

 また、2006年はちょうど、バイクの免許を取って乗り始めた頃だった。

 そして乗車中に、突然凄まじい豪雨が降ってきて見る間に道路が冠水、ポケットのSH700iSも水没。ああ、機種変しなきゃいけない、と思ったら、干したら一週間で直った。強い。

 その後、ロードバイクで走っていたらポケットから滑り落ちてたのに気付き、警察に届けたら二日後に発見。なんか車に轢かれないまでも跳ね飛ばされた感じの、すごいボロボロの外装になっていたが、電源入れたら動いた。強い。

 さすがにこの後速やかに次の端末を手配したけれど、このすさまじいまでの頑丈さは、PHS時代から培ったSHARPへの信頼が厚くなった。

 

SH-05A

 で、2009年に私の手にやってきたのがSH-05Aであった。思えば、初めて自分の都合で機種変した端末だったなあ。

 2009年、つまりXperia日本上陸の年。本当に、3ヶ月もないくらいの僅かな時間差で、スマホ時代到来直前に機種変しちゃった。

 SH700iSを壊すのがあと3ヶ月遅かったら、私は多分真っ先にXperiaに飛びついていたと思う。そして頭を抱えていたと思う。正解だったのやらどうやら……。

 

 SH-05Aは、簡易ながらも防水つき、画面もきれいで操作性にも変なところなく、至極真っ当によい端末だった。まあ、ガラケーは商品として煮詰まってた時期だし、普通の端末がどれも普通に良い時期ではあるけれど。

 なんというか、欠点がないから特に印象もなく、ただただ無難に真っ当に仕事をこなして、私の手を離れていった。生活用品と見れば、一番いい仕事したかもしれない。あ、外観はよかったな。

 

 そして、アイドルマスターシンデレラガールズがサービスインして、同時にやり始めたのもこの端末だった。

 まあ、別にハマるというほどでもなく、ちょっとやって止まってしまったのだけど。まだアカウントはある。

 

Windows 7ケータイ F-07C

 で、久しぶりの営業ノルマの都合がやってきて、2012年ごろに機種変。

 端末代払い終わったところでまた端末代払うのは不服であったから、「面白い端末でないと嫌だ」ということで、SH-06Cをよこせといってみた。

ascii.jp

 プロジェクター内蔵ケータイ。2011年あたりって、末期なせいか力の入れどころがヘンな端末が結構出てたもので。

 しかしこれは元々ビジネスモデルで、さほど生産数も多くなかったらしくて、「もうない」と言われてしまった。

 そこで、富士通ガラケー最後の大変態端末F-07Cはどうだ、といったら、意外にも安かった。

 

 F-07C、Windows 7が動く携帯電話。

 元々LOOXなど超小型パソコンも手がけていた富士通が、ついに携帯電話サイズにパソコンを押し込むという、奇跡的なまでの変態行為を働いた。よく商品化したもんだ。

 よく間違えられるが、当時あったWindows Mobileの端末ではない。

 旧来のガラケーにパソコンが同居していて、ボタンを押すと切り替わってWindows 7が起動し始める感じ。ガラケー部分は完全に独立していて、CPUが共有されたりもしていない。画面・キーボード・SDカードが共有できる、Windowsからモデムとして携帯を使える、くらいか。

 

 PCとしてのスペックはOSが動く下限くらいで、Atom Z650(Oak Trail)を1.2GHzから600MHzに落とし、メモリーは1GB、ストレージ32GB。

 まあ、使って使えないこともない。旅行中にIRCで友人と連絡を取るとか、ちょっとブラウザを使うとか、それくらいはできた。

 ただ、バッテリーで使うとWindows 7の稼働時間は公称2時間、実質1時間そこそこ。

 もっぱら「Windows 7動くねんで」と見せびらかすのに便利だった。

 

 それでこのF-07C、まだ現役で使っている。

 白ロムで買ったんじゃなくて、キャリア契約で購入した上で、2017年になってもまだ通話できる状態で使われているF-07C、何千台もないと思う。何百台はあるかもしれんが。

 富士通のひとと知り合ったら見せびらかそうと思うので、壊れないうちに知り合ってください。

 

 Windows 7のために、ガラケーとしては超巨大な1400mAhもの大型バッテリーを積んでるもんだから、すんごい電池持ちがよくて便利な端末ではある。

 一度バッテリーも交換して健康になったし、壊れるか、3Gが停波されるまでは使うつもり。

 スマホdocomoじゃなくてFreetelで安く済ませているから、果たしてF-07C終了後にdocomoから別のものを買って回線を維持するか、どうだろうなあ。

 

 一時期の、10年以上忠実に使ってるユーザーより、乗り換えまくって特典食い荒らす人が異常に優遇されてた時代に白けてしまって、特にdocomoへの忠誠心があるわけでもない。まあauソフトバンクへの好印象もないけど。

 キャリアへの印象はフラットだから、面白い端末があればauに乗り換える可能性もあるよ、と水を向けて、この記事のオチとしよう。比較対象がF-07Cだから、よっぽどのものでないと面白いっていわんけどね。

 

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