うぃきぺの「日根郡」の記事を眺めていた。
すると、「旧高旧領取調帳」という文書に記載されている、明治初年時点で日根郡のどの村が誰の領地だったか、という記録がまとめられていた。
和泉国の、特に南の方はみんな岸和田藩の領地だろうと思っていたのだけど、意外とそうでもない村がある。
京都守護職が取ってたり、遠くの大名が取ってたり。
しかし昔の村の名前ではなかなかピンとこない。
現在の地名から推定して、Googleマップにピンを立てて見やすくしてみた。
まずは以下のリンクを開いてみられたし。
日根郡(今の貝塚市・泉佐野市・泉南市・阪南市・岬町)と、南郡(貝塚市・岸和田市)の各村について、知行別に色分けしてみた。
旧村名は、今でも大体地名として残っているので、Googleマップ上のその場所にピンを立てた。
波有手村など、現在と違っても場所がわかるところはピンを立てた。わからんかったのは諦めたが、片手で足りる程度で済んだので。